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4 日曜 お出かけ日和
「ね、服、買いに行かない?」
「瀕死の俺に、そういう心的負担の大きいことを言うなよ。今、服屋みたいなキラついたところに行ったら絶命する」
倉持は萌え袖のまま、客室でゴロゴロとしている。
漫画を並べた棚がスカスカで、床に本が積み上がっていた。
「厨川の本棚は、歴史物とミステリーばかりで助かる。少女漫画が並んでたら死んでた」
「少女漫画が読みたかったなら、私の部屋にたくさんあるからさ。次の恋愛に役に立つかもよ」
「そんなわけあるか」
少しは話をする気になったらしく、倉持は憮然と本を閉じて、ベッドに体を起こした。
「服これだけじゃ、暮らせないよ」
「……服を買いに行く為の服がない」
「わがまま言わない。もっさいスーツ着て行けばいいじゃん」
私はどうにか倉持を近くのファストファッションの店まで連れ出した。倉持の意見は聞かない。無難に着られそうな服を次々とカゴに入れる。
倉持はデザイン云々じゃなくて、肌触りと機能性だけで服を選ぶタイプだと知っている。体はしっかりしているから、シンプルなものを着ておけば間違いない。
スニーカーも買って、休日のお父さんくらいの格好になった倉持を連れて、グロッサリーショッピングもする。こんなの、久しぶりで楽しい。
「ほら、呪文を唱えなきゃ買えないコーヒー屋さんだよ、一緒に入ってあげようか?」
陽キャを敵だと思っている弟が、絶対に一人で入店しないコーヒー屋さんを指差せば、倉持は力無く首を振る。
「悪いけど、あれは大学にもあるし、普通に買える」
「そこはイメージ通りにしてよ」
「コーヒーを飲むなら、喫茶店に行こう。豆が美味いところがあるんだ」
人通りの多い道を曲がると、蔦の這う石壁が続く。
少し奥まった所にある喫茶店は、ドアを開けると、カランとレトロなベルの音が鳴る。薄暗い店内から、香ばしい豆の香りがした。
蔦に覆われたカフェは、元は古民家だったようにも見える。それにしたって年季が入っていて、道具もマスターも古い。
古いオルゴールのような、規則正しい緩慢な動きでコーヒーが抽出され、音もなく目の前に並べられる。
「……美味しいね」
「美味しいよな」
私にとってカフェといえば、友達とワイワイ話すところだし、持ち込んだ仕事をするところで、コーヒーをしっかり味わうなんて稀なことだ。
丁寧な、いい時間をすごしているのを感じて、自然と口角が上がる。
高校生の私なら、倉持が指し示す贅沢を理解できなかったかもしれない。
「カフェインを摂る習慣がない人だったから、一人で来てた」
ぽつりとこぼした言葉の主語が、別れた彼女だとわかって、内心身構える。
「ええと……それは、宗教上の理由?」
「彼女の信念だ。人は口にする物を選ぶべきだって」
「ふーん。ご飯はどうしてたの? 倉持、栄養素で食事するタイプでしょ?」
「彼女は自分で選んだものを口にするから。キッチンも分けてたし、冷蔵庫も共有してない」
同棲していたと聞いたが、私の思っていたイメージとはかなり違っている。
「それって、シェアハウス?」
「いや、普通のフラットだけど、キッチンが2箇所あって、独立して暮らしていた」
「お付き合いしている、彼女なんだよね?」
「――心の結びつきはあった。関係は良好だった……と思う」
「心の?」
(互いに深く理解し合っていたって、ことなのかな……?)
そうでなければ、あんな傷ついたような酔い方はしない。
倉持が穏やかな顔で誰かに微笑んでいる様子を想像して、なんだかもやっとした。倉持は皮肉に笑うことはあるけれど、私に穏やかな笑顔を向けたことはない。
「でもさ、心が結びついているのに、体が結びつかないのって、なんで?」
倉持は、眉を寄せて、ぐっと口を一文字に結ぶ。わかってる、デリカシーがないって思ってるんだ。
「心が結びついていても、兄弟や姉妹ではセックスしないだろ?」
「そりゃしないけど。彼女ってそういうカテゴリーじゃなくない?」
何か地雷を踏んだ気がした。
重い沈黙が落ちて、私はバタバタとメニューを捲る。
「ごめん。お腹空いたから、なんか注文するわ! 倉持も食べよう!」
私の食べたクラブサンドも、倉持が注文したレトロ味のナポリタンも、すごく美味しかった。
彼女のこと以外なら、倉持はたくさん喋る。これまでどんな研究をしてきたのかとか、何処に行ったとか、今興味がある遺跡についてとか。私が知らない専門用語が出て来ても、丁寧に説明しながら話を続ける。
昔は聞き流してきたことが、するすると頭に入ってワクワクする。
(そりゃそうか、倉持ってば、今までで溜めこんできたものを、ひとに伝える仕事に就いたんだもんね)
楽しい時間は、過ぎるのが早い。
名残惜しくて、マスターにきいて、オススメの豆を持ち帰りにしてもらった。
私がホクホクと豆の香りを楽しんでいると、隣からため息が聞こえる。
「おっさんしかいない喫茶店で、よく楽しめたな。長年通ってる俺より、マスターと仲良くなって……」
「倉持、いいところ知ってるね! 古き良きものを日の目に当てるのが倉持の仕事でしょ。古き良き喫茶店、オシゴトに矛盾してない!」
「あ、そ」
この素っ気なさは、満更じゃない時の言い方だ。
「まだ、おススメの店、あるんじゃない? 今度、連れてってよ」
「おススメ? なんだろ、猫カフェじゃないけど、猫がいるカフェとか……?」
「何それ!」
高校の時は、私が連れまわすばかりで、倉持の好きなものに目を向ける余裕はなかった。
あの頃のストイックな倉持に興味をそそられたけれど、今も倉持からは、楽しそうな気配がする。きっと私の知らないことが、ぎっしり詰まっている。
ふと、倉持の彼女のことが頭をよぎった。
心が通った関係って、趣味とか価値観とか、全部シェアできていたってことなんだろうか。人と巡り合う確率から考えて、すごいことだと思う。自分の恋愛を振り返ってみても、そんな関係には巡り会えなかった。
夕焼けがビビットな色分けで、足元の影を浮かび上がらせて、私と倉持の間にくっきりと線を描く。
「ねぇ、トラウマって、おっぱい恐怖症とか? だから、彼女とうまくいかなかったの?」
「全然違う」
「じゃぁ、私のせいって何? あの時の本、もしかして、すっごく高いやつだった? 借り物だったとか? あの後、うっかり破っちゃって、その恐怖で本を本屋で買えなくなっちゃったとか?」
「想像が斜め上すぎる」
「じゃぁ。私のせいって、なんだよ~」
「しつこい。言いたくないっていった」
延々と馬鹿な話をしながら、並んで歩く。
私と倉持の心は通じていないかもしれないけど、カフェの焙煎の煙は私たちに染み込んで、同じ甘くて香ばしい匂いがしている。
うん、いい。仲の良い友達って感じ。
(でも、心が通ってるって、どんなだろ……)
考え事は得意じゃない。
ぐるぐる考えるより、気まずくても質問しちゃった方が迷わないし。
倉持に嫌われてるかどうかだって、思い込みってこともある。私を嫌っているかどうかの答えは倉持しか持っていないんだよね。
意を決して、私が嫌いか尋ねようとしたら、倉持が先に口を開いた。
「厨川……迷惑かけて悪かった。連休が明けたら、すぐに住む所を見つけるから」
「ええっ、まだいいよ。そのトラウマが癒えるまでは、うちにいてよ」
「はぁ?」
「つまり、話したくはないけど、私のせいで困ったことが起きたんでしょ? やっちゃったことは、どうしようもないし、謝り方もわからないから、少しくらい賠償させて」
「……賠償ね」
「そうそう、家賃はとらないから、もう少し私の家にいるのって、賠償になる?」
倉持はむっつりと黙って、家に着くまで無言だった。
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