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5 月曜 カレンダーでは休み。私は仕事
世間はお休みだけど、私は仕事。
休み明けは気合が入る。休日前に残してきた仕事を考えながらスーツに着替える。髪を巻いて、化粧は濃いめ、ヒールも高め、これが私の出社スタイルだ。
倉持も昨日買った服を着て、出かける準備をしていた。
乾かしただけの長い前髪には、ワックスが必要かもしれない。
自分の髪につけてから、その手でわしゃわしゃと倉持の髪を揉んでやる。
「どこ行くの? 仕事?」
「仕事は明日から。部屋から仕事の荷物を持ち出してくる。引越し先が決まってからじゃないと、他のものは動かせないけど」
「仕事、フレックスにして、一緒に行ってあげようか?」
急に胸がソワソワして、倉持を引き留める。
倉持はあんなことがあったばかりで、重病人の病み上がりとかわらない。これ以上何かショックを受けるのはよくない。
「保護者かよ」
スマホでニュースを読みながら、コーヒーを飲んでいる倉持は、見た目には落ち着いている。
「ほら、だって、気まずいじゃん」
元カレの部屋に行ったら、別の女がいた時のことを思い出して、胃がきゅっとなる。
ああいう気力の奪われる瞬間は、誰だってなるべく邂逅したくないはずだから。
「経験があるような言い方だな」
「あるから警告してんの! 夜に行きな。明かりがついてない時なら安全だから」
「安全も何も、彼女、今日は仕事だから」
私の警告を軽く流して立ち上がる倉持を、両手で遮って引き留める。
「まてまて、コーヒーだけじゃダメ! 納豆があるから、朝ごはん、食べて! 空腹はダメだよ。なんかあった時に戦えない」
「もう戦いは終わってる。……母親かよ」
「ちがうよ、友達だよ!」
倉持は照れていると解釈するにしては、ちょっと無理があるくらい嫌そうな顔をする。
「あのさ、厨川、そうやってなんでも自分に繋がりがあるみたいに言うの、良くない癖だよ。高校の時はさておき、今は別に、友達じゃないだろ」
「友達だし!」
「一緒におにぎり食べれば友達って、小学生じゃないんだから。酔っていた時に言ったことは、もう忘れてくれ。何かを償って欲しいわけじゃない。泊めてもらうのは有難いけど、俺の人生に、簡単に踏み込んでくるなよ」
倉持は非難の滲む目を、ぐっと細めた。
「もう、出かけるから」
倉持が可愛げのないことを言うのは、今に始まった事ではない。
ずかずかと踏み込もうとする私と、嫌がるそぶりの倉持。
「高校の時はさておき」にデレ要素を見いだしてしまう私は、そうとう倉持のことを理解していると思うんだけど。
心の通い合った倉持の彼女なら、こういう時、どうしただろう。
シリアスに考えようとしたけれど――全然想像がつかない。
「待て、倉持! これでもくらえ!」
私は冷蔵庫からアルミパックのゼリー飲料を取り出して、乱暴に蓋を開けると、倉持の口に突っ込んでぎゅっと握る。
大人しく最後まで飲み切って、倉持は出かけていった。
*
なんとなくソワソワと一日働いて、定時で会社を出る。
覚えのある感覚だ。父が子犬を飼い始めた時の、あの感じ。
うちに犬がいるって、夢だったんじゃないかって、疑いながらドアを開けたのを思い出す。
「ただいま~」
真っ暗な部屋にむかって、祈るような気持ちでただいまを言う。
明かりをつけながらリビングを通って、奥の客間をのぞくと、ベッドの上に小山ができていた。
「くらもち~?」
暗がりで小山がもぞりとする。
(よかった。まだいた)
小山はまた、もぞりとした。
「ご飯食べた? ドーナッツ買ってきたよ。コーヒー入れようか?」
「……ん」
くぐもった声は元気ではなかったけれど、動けないほどではなさそうだ。
「泣き終わったら、出ておいで」
とんとんと小山を叩くと、ガバリと小山が起き上がった。
「泣いてない!」
「はいはい。泣いてない、泣いてない」
どんな関係でも、長い付き合いの人と、お別れするのはつらい。
いわんや彼女をや、だ。
一人で納得してうんうんと頷いていると、倉持が少しだけ布団から顔を出す。
「朝……友達じゃないなんて言って、悪かった……朝食は買っておいたから」
耳を疑って、瞬きをする。倉持ってば、謝った?
「え、倉持……そんなこと言えるようになったの? 大人になったね」
「……そこは、そうじゃないだろ」
余計なことを言ってしまったようで、倉持はまた布団の中に戻っていった。
でも、謝罪を言葉にされて、野良猫に懐かれたみたいな嬉しさがある。
頑固なツンデレだった倉持を、伝えられる大人に変えたんだから、時間って尊い。
「倉持、あのさ、今のもう一回言ってみて。記念に動画に残してもいい?」
スマホを向けている間、倉持は布団から出てこなかった。
*
泣いてないと言い張る倉持は、もそもそとドーナツを齧っている。
冷蔵庫を開けたら、倉持の冷蔵庫から移動させてきたのだろう、大量のサラダチキンが入っていた。一つを開けてかじりながら、元気のない倉持の話を聞いてやる。
「男の私物、縄張りを主張するみたいに、嫌味臭くリビングに置いてあった」
「そっか……彼女から連絡は?」
「着信拒否してる。話せることは何もない」
「何かの間違いだった、とかの線は? 浮気じゃなくて、無理やりとか、レイプだったって可能性は……ないのかぁ」
倉持は力無く首をふる。
「そもそも浮気じゃない。あれは本気。ユカリは、肉体的な繋がりに真の幸せを見つけたんだとさ。つまり、俺は、あいつらの恋の当て馬にされたってこと」
怒ってるのは少し元気な証拠だ。何もやる気にならないよりはいい。
「その……彼女さんは、そもそもなんで性的な関係を望んでなかったわけ?」
「ユカリは、好きな人を諦めるために、精神的な繋がりを別の誰かと構築するつもりだったんだ。異性と性的なつきあいが出来ない俺と、お互いに目差すものが同じだった」
「え、倉持、やっぱりED?」
私が人差し指を天井に向けて言ったので、倉持は嫌そうにその指を下げさせた。
「俺の性的機能に問題はない。なんだったら婚前検査までしてある」
「じゃぁ、同性愛者とか?」
「婚前検査をしたっていっただろうが」
同性愛を隠す為に偽装恋人をしていたというストーリーが浮かんできたけれど、おでこを指で弾かれて霧散した。
「婚前検査って、ブライダルチェック? お、おう……それは、結婚する気があったってことだもんね」
「体外受精にするにしても、未来については考えていたんだ。お互いどういう働き方をしたらいいかとか、子を持つために考えることはたくさんあるだろ?」
「さすが倉持、メジャーは考古学なのに、思考は最先端だね」
結婚も、子育ても視野に入れた付き合いだったことに動揺して、おかしな返しをしてしまった。そこまで考えていたのに、この仕打ちはあまりにも倉持が可哀想すぎないだろうか?
倉持はもう一つドーナツを取り出して、ガツガツと齧り始める。
この不幸のどこに「わたしのせい」なことが入りこんでいるのだろうか。
後ろめたくて、残しておいた一番好きなドーナッツを倉持に譲ってあげた。
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