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7 金曜日 天気は雨
倉持は正座してローテーブルに置いたラップトップを叩いている。
私も持ち帰ってしまった仕事に向かい合って、静かな時間を過ごしていた。
高校の時に感じた倉持に対する苛立ちはもう感じられない。
私だって運命の仕事って訳じゃないけど、やりたいことをやってる。モニターを真剣な目で見ている倉持を、昔より身近に感じられるようになったのは、仕事か恋愛か、なんて二極論で語るのは間違っているって、わかるようになったから。
倉持との生活は楽しい。
意外と料理がうまいこと。
爪切りの仕方が私とは違うこととか。
考古学しか頭にないのかと思ったら、ビリヤードが趣味だったことがわかったりとか。
思った以上に甘党だったとか。
知らなかった倉持を毎日見つける。
このまま二人で暮らし続けたら、幸せなんじゃないのかなって、カタカタと軽いタイピング音の満ちる部屋で夢想する。
友達と仲良く暮らしていくの、相棒みたいでかっこいいかもしれない。
こういうのが心の繋がりがあるってことなんだとしたら、少しは倉持の理想論がかなえられたことになるんだろうか?
ひと段落して伸びをすれば、倉持が立ち上がってコーヒーを入れてくれた。
私は後輩から貰ったチョコレートを出してきて、ローテーブルに用意する。
こういう時間をもっと、ずっと――。
なんだか幸せな想像に、にやにやしていると、倉持が姿勢をただした。
「……俺、引っ越し先が決まったから」
「え、もう?」
急に始まった引っ越しの話に、ふんわりとした想像は吹き飛んでしまった。
「もう、じゃないだろ、流石に世話になりすぎた。償いなら、もういい。本当に、十分もらった」
「……そ、か」
急いで現実に戻ってこようとするけれど、なんだかぽっかりと胸に穴が空いたみたいで、のろのろとコーヒーを啜る。
そうだよな、倉持にだって倉持の生活があるわけだし。
「それで、厨川に一つ頼みがあるんだけど」
「うん、引っ越しの荷造りなら手伝うよ!」
前向きに、前向きにと唱えながら、笑顔を作るけど、笑顔が引きつってないか鏡で確認したい。
私の動揺は感知されなかったようで、倉持はじっとスマホを見つめている。
「引越しは業者に任せるからいいとして――元カノ、の、着信拒否を解除するから――その、見守ってほしいというか――連絡ができないわけじゃないが、その……」
だんだんと倉持の語尾はしどろもどろになって、尻窄みになっていく。
そうか、倉持はついに彼女に連絡を取る決心をしたんだ。
勇気が要るときに頼られるのは嬉しい。
「……こうかな?」
隣に座って、手を握ると、倉持は頭痛に耐えるような仕草をする。
「――間違えた?」
間違いでもいいやと、ぎゅっと力を強める。こういうのは恥ずかしがった方が負けなんだから。
「あのさ……」
「恥ずかしがってる場合じゃないよ。看護師さんだと思えばいいから。痛くて怖い時、手を握ってくれるじゃない? いろいろ迷惑かけてたみたいだし、助けになるなら何かしてあげたいよ」
右手を握られたら操作できないと文句を言われて、左隣に移動して、倉持がスマホを操作するのを見守る。
深く息を吸って、少し震える指先で、アドレスのユカリという表示を触る。
「頑張れ! 頑張れ、倉持!」
倉持に嫌がられながら、スポーツ観戦並みの応援を送る。
応援がうるさかったのか、一度私を軽く睨むと、あとは呆気ないほどスムーズにメールを用意して送信してしまった。
「送れた?」
「送った」
体育座りの姿勢から見上げた倉持の顔は、意外と穏やかだ。ねぎらいを込めて手を強く握れば、倉持は同じ力で握り返してくる。
「厨川、色々ありがとうな。助かった」
「いいって、いいって、友達じゃん!」
(……あれ?)
不思議と、今まで繰り返していた友達という言葉に違和感を覚えて、首をひねった。
「……厨川、どうした?」
おかしな沈黙をごまかすように、私は、倉持の手を強く握る。
土を掘る道具を頻繁に使っている倉持の手は、高校の時より大きくて、硬い皮膚がこそばゆいのに離したくない。
(この感じ、友達で合ってる?)
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