8 水曜日 晩酌はほどほど

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8 水曜日 晩酌はほどほど

   それぞれ仕事で、ハードな日を過ごして、無事終えたことを称えて晩酌をしている。  個人主義に見える大学にも色々しがらみは多いらしく、貴族みたいな嫌味合戦に疲れたと愚痴る倉持を労った。  私も、なかなか通らない提案があってたいへんなんだと愚痴ったら、倉持流に大量の意見を交えた相槌が返ってくる。  どの仕事も大変なことはあるんだなと思うと、また明日、頑張ろうという活力になる。 「私が間違ってた。倉持の七三スーツは、場合によって継続していくことにしよう。今度、最高にダサいスーツ選んであげるよ」 「そうだな。なら、厨川は、麝香は諦めろ。個人的には気になるけど、値段を聞いて酔いが覚めた。そうだ、ケープハイラックスなら、動物園にいるらしいから」 「え、ケープハイラックスのおしっこわけてくださいって、依頼するの? 採集にどんな容器を用意したらいいわけ?」    笑って笑って、お酒が進む。  引っ越しの準備は順調なようで、既に私の家に置いてあったものは、倉持によって少しずつ持ち出されている。 「なんか寂しいな。もうしばらくうちにいたらいいのに。倉持と一緒にゲームとかしたいよ」 「そういうの、やめろって」  私が未練たらしく言うので、倉持は少し困った顔をする。   「ほら、うちって大学からも近いし、通勤に便利だよ」 「俺のいない生活なんて、すぐに慣れると思うよ」 「そうかな。倉持がいるの、楽しかったからさぁ……」  倉持が引っ越したあとも、今みたいにまた仲良くしていける保証はない。帰ってきて誰かと話せるのって、こんな楽しいことだったとは思わなかった。   「じゃあさ、ユカリの部屋に行くとき、荷造り手伝って? 業者に頼めないものもあるから」    こうやって何かをお願いされるのは好きだ。  これでお終いと言われたのではないのだと思うと、嬉しくなる。 「ユカリちゃんちかぁ、ちょっと緊張するなぁ」 「大丈夫、留守にしてもらうように伝えてある」 「なんかさ、彼氏の浮気を見ちゃった時を思い出しちゃうんだよね」    リョウにされたことが嫌だったと、口に出せるようになったのも、ここ最近だ。倉持が一緒になって悪口を言ってくれるのも、いい発散になる。  何かに足掻いている様子があった倉持だったけれど、引っ越しが決まってからは、くよくよするのをやめたようだ。考え込んでいる時間は増えたけれど、明るい方を見ている気がする。  倉持が前進しているのを間近で見て、自分の傷も前より塞がってきている。  倉持はお酒がまわってきたようで、真面目なのかふざけているのか分からない口調で持論を展開し始める。グラスの中はこってり甘い味の薬酒だ。 「厨川、付き合ったカップルは相当数が早かれ遅かれ別れるんだ。結婚に行きついても別れる人もいるし、どのみち最後は死んで別れる。だから、つまらない奴の手を離したことに傷つく必要もないし、焦って誰かの手を取らなくてもいい――って考えは、何か慰めになる?」 「倉持はそれ言われて、慰めになるわけ?」 「いや、言ってて絶望的な気分になった」  どうせいつか別れるんだから気にするな、嫌なら最初から付き合わない選択もある、なんて酷い慰め方だ。いくら事実でも、もう少し希望のある話がいい。 「倉持は話し方が変わったよね。本当はもっと難しい言葉で抉ることもできるのに、わりと優しい言葉で話してくれているでしょ?」 「さぁ。厨川は、ちっともかわってないな」 「成長してないってこと?」 「いや、そう意味じゃない」  倉持は少し笑った。今の笑い方は、嫌味でも皮肉でもなかったように見えた。  でも、すぐに引っ込めて、厳しい顔をする。 「忠告しとくけど、もう、泥酔している友人がいても、家に連れ込むなよ。どんな負い目があってもな」  もう眠そうな倉持は、目をこすりながら、残りの薬酒を流し込む。  お酒、こんな弱かったのか。 「そんなことしないってば。倉持じゃなければ、連れてこなかったよ」 「それは、親友だから?」 「え?」  そう言われて、頭が真っ白になった。 「俺は、親友なんだろ?」  ついに親友と言う言葉が倉持の口から出たのに、戸惑いしかない。  倉持のことを知れば知るほど、親友だよと胸を張るには、全然足りない気がしてる。  せいぜい何が好きで、何が嫌いでを知り始めたばかりで、心の結びつきなんてスピリチュアルな領域には到底及ばない。  この間まで、元気に親友だと言ってのけた自分が、もうよくわからない。 「……あのさ、最近、親友って言葉が、なんかしっくりこなくて」 「じゃあ、俺は、何?」  倉持は難しい顔をして肘をつく。なんだか答えに焦って、上手い切り返しが思いつかない。  焦れば焦るほど、酔いが回る。 「えと、ええと……だ……大、親友?」  回答を聞いた倉持は、肘をついて、すごい真顔で呆れている。 「厨川おまえ、困った時に適当なことを言って、自分の首を絞めることがあるよな」 「ある、あるよ! もう首しまったから、ゆるして」 「変わらないって言ったのは、そういうところだよ! 飲め! 大親友の酒が飲めんのか?」 「倉持の方が酔ってるんだから、もうやめようよ。さっきの、取り消して! なんかすっごく恥ずかしいわ」 「動画で撮ってやる、もう一回言ってみろ!」  この生活が終わってしまうのが寂しい。引っ越しの日はもうすぐだ。
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