驟雨、懐古。

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──窓の外は激しい雷雨。通り雨と思しきそれは力強く地面を穿ち、行き交う人々の服の裾を濡らしていく。不快感に眉を顰める人も居れば些細なことに構わず人波を縫って駆ける人も居る。きっと前者は帰ってからの後始末を憂いているのだろう、後者は駆け抜けた先に待つ人が居るのだろう。人の数だけ行き先は有るものだ。 その様子を私はガラス越しに眺めながら「雨が上がればどうなるの?」と、スマートフォンに尋ねてみた。 なんのことはない。知的な答えを期待したわけでも、詩的な答えを期待したわけでもない。通り雨が止むまでの暇つぶしだった。──昨今は便利になったものだ、小さな端末を起動させればそこには電子の大海原が広がっているのだから。その膨大な情報を掻き分けて掴みとる回答は、ときに人を笑わせ、ときに人を物思いにふけらせる。 机の上にはアイスコーヒーが置かれている。 持ち上げて揺らしてみれば、涼やかな音を立てて氷が踊った。 「──んー……」 画面に視線を落としても打ち込んだ文章への返答はない。未だ作られた思考は情報の海を漂っているようだ。 無数に堆積した砂粒のひとつを明確な『答え』として打ち出す重責を担っていると考えれば無理もないだろう。口を開くのが重くなるのも分かる気がする。 『自分で決めろ』 『人に頼るな』 『答えくらい自力で探せ』 「──あ、」 窓ガラスをひときわ強い雨が叩いた時──轟音とともに思い出したくもない過去が頭を過ぎって、私は首を左右に振った。心なしか頭が締め付けられるように痛む。 ……昔の優柔不断だった私は『何かを自分で決められた』ことがない。他人の意見に寄りかかって『こうしよう』をようやく見つけ出せる半端者だった。 それから周囲の人間の叱責を経ていま時点の心まで成長したのだが、ああ、それにしたって情けない話だ。いまだに『自分がどうしたいか』のビジョンが雲の筋を絵筆で幾重にも引いたがごとく全く見えないのだから。 情けない、情けない、情けない。自分が嫌いだ。過去の自分も、過去の自分を疎む今の自分も。懐古と後悔で心のなかが塗りつぶされていく。──分厚い雲はひとすじの雨を連れてきたのか、私の頬にはいつしか雫が伝っていた。 ぽた、と。スマートフォンを握り締めた手に水滴が落ちる。 再び手元に視線を向けた、その時。 画面が淡く光った。 『天気も人の心も同じ。今日の雨が上がったところで次の日は変わらずにやってくる。翌日の天気が晴れかどうかなんて翌日の空にしか分からない。同じく五年後のキミが下を向いてるかなんて、五年後のキミにしか分からない。考えたところでどうしようもないことは考えないに限る』 ……叡智の結晶が電子の海から掻き集めてきたにしては、いやに雑で気の抜けた返答。緩い。ゆるいにも程がある。 「──ふふ」 だが、私にとってはその答えで充分だった。 暗雲が立ち込めていた心に、まっすぐな光が射し込む。 『自分がどうしたいか』の明確なビジョンが決まっていることは大切だ。自分自身を形成する軸になっていく。誰かに何かを言われてもブレないものがあることは何よりも心強い。──だがそれはそれとして『自分の生き方をどう思うか』『自分のことが好きか』も生きる上では大切なのではないだろうか。『自分自身を大切に思う気持ち』は、崩れ落ちそうになった時に己を支えてくれる。 祈りを込めて、私は小さく独りごちた。 「五年後の今日は、晴れてるといいなあ」 いつの間にか通り雨は止んで、雲間から太陽が顔を覗かせていた。 なんでもないただの日常のひとコマ。──だが私は、今日を忘れることはないだろう。
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