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「七季、いつの間に椎名さんと仲良くなったんだよ」
トイレから教室に戻る途中、廊下を通りかかったクラスメイトの俊輔が僕の肩を小突いた。
「別に、そんなことないし」
「いやいや、そう見栄を張らなくても」
俊輔がにやにやしているから、僕は二センチだけ低いその肩を小突き返した。やつは痛い痛いと大袈裟に自分の肩をさすりながら言う。
「だって、椎名さんが言ってたぜ。友だちなんだって」
「いや、それは」
否定しかけて、その言葉を呑み込んだ。期限まで必ず友人関係でいる。契約書の文言が頭に浮かぶ。
黙った僕を見て、俊輔は「図星じゃーん」と笑う。僕はその背をいつもより強く叩いてやった。
彼女、椎名は、躊躇いなく僕を呼び捨てにし話しかけるようになっていた。
「ねえ、津守」
僕が教室に戻り席に着くと、隣の席から身を乗り出してくる。
「いつ、ライブ申込みする?」
僕は実に単純な男子だ。ピリオドの話を女子から持ちかけられれば、苛立っていても返事をしてしまう。「そりゃ、日付が変わったら」なんて言う。明日の五月三十日からチケットの申込みが始まるのだ。
「でも、抽選だよ。早い者勝ちじゃないのに」
「そう言う椎名は」
「日付変わったら。だから今日は夜更かし」
「なんだよ、同じじゃんか」
「うん、そう」
僕の方を向いて床に両足を伸ばし、可笑しそうに笑う椎名を見ていると、苛立つどころかつい笑顔が出そうになる。だが、向こうの席の俊輔と目が合ったから、無理矢理頬を噛んで耐えた。その顔が変だと言って、椎名は更に笑った。我慢できなくなって、僕は吹き出してしまった。
僕は学校の部活に入る代わりに、週に三回、地元のソフトテニスクラブに通っている。放課後、学校から直接バスに乗って運動施設まで向かう。緩い活動だが小学生の頃から通っているおかげで知り合いも多く、中学入学時もここを辞めて部活に移るという気にならなかった。
クラブでは練習熱心で地味な学生として通っていた。
「なーくん、どした。楽しいことでもあったか?」
そんな僕がクラブのおじさんにそんな声を掛けられるようになったのも、椎名と友だちになってからだ。慌ててラケットを握る手に力をこめる僕を、おじさんは微笑ましそうに見守っている。なんてこった。
クラブが終わり帰りのバスで座席についた僕は、手のひらサイズのMP3プレイヤーから伸びるイヤホンを耳に突っ込んだ。二週間後には、ピリオドの新しいシングルCDが発売される。疲れた身体を揺さぶられながら、今日の休み時間にも椎名とその話をしたことを思い出した。
頬が緩みかけ、慌てて両手で抑え込んだ。これはあれだ。好きなバンドの曲が心に染みた笑顔なんだ。僕は頭の中でそう言い訳しつつ、降車ボタンを押した。
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