序章Ⅰ 邂逅

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 旅立ちをどう切り出せばいいものか。ノエルと別れ、帰路の最中、フレイは馬車の荷台の中で、そのことばかりに頭を悩ませていた。  オズワルドには早々に事の成り行きを語った。彼は肯定も否定もせず、ただフレイの選択を受け入れた。店のことは気にせず、頑張ってこいよと。そういう潔い性質の男だとわかっているから、フレイも気後れすることなく心の内を明かすことが出来る。  だが、ミウレンはどうだろうか。  率直に告げたとして、彼女は何を思うだろうか。息子の巣立ちを歓迎するだろうか、それとも一人残される悲しみに暮れるだろうか。  悶々と思考ばかりが先走り、気付けばいつの間にやら家の玄関先に辿り着いていた。  気分が重い。考えはひとつも纏っていない。しかし、ここで粘っていても埒があかないことはよくわかる。こうなれば、当たって砕ける覚悟で立ち向かうしかない。  フレイは短く息を吐き、ドアノブを引いた。  居間の明かりが廊下へ漏れ出ている。ミウレンは普段と変わらず、そこで持ち帰りの仕事をしているようだった。 「ただいま」  フレイが声を掛けると、ミウレンは手元の答案用紙から目を離し、顔を上げる。 「お帰りなさい。今日はいつもより遅かったのね。お店混んだの?」 「いや、人と会ってて」 「そう。お友達?」 「ノエル。昨日泊まった……」 「あら、無事に王都まで行けたのね。良かった」 「母さん……」 「何?」 「少し、話したいことがあるんだ。今、いい?」 「良いわよ。どうしたの?改まった言い方して」  ミウレンは手にしていたペンを天板の上へ置き、しっかりと息子の言葉に耳を傾ける姿勢をとった。  フレイは、母の対面に腰を下ろす。  意を決したはずだというのに、やはりその一歩目が酷く重たい。  フレイは、母の為に夢を諦めた。それでいいと思っていた。夢は叶わずとも、村を出ずとも、日々の暮らしに支障はない。ミウレンとて、息子は村で働き、やがて結婚をし、子を育て、裕福ではなくとも安泰な人生を歩むだろうと、そう考えているに違いないのだ。その期待を根こそぎ刈り取る。今回の決断は、そういう類のものだ。  けれど、言わなくてはならない。愚かにも、ノエルの言葉を飲み込んでしまったからには。自ら行動を起こさずとも、フレイはやがて旅立つ。そのことに変わりはない。母の立場にしてみれば、自分勝手に家を出る息子よりも、巡礼者として世界を救いに出る息子の方が鼻が高かろうが、そこは致し方ない。 「母さん、俺……」  深呼吸をし、腹を決める。 「急な話なんだけど、暫く、家を空けることになる」 「……どういうこと?」  ミウレンはさして取り乱す様子もなく、平時と変わりない落ち着いた口ぶりで言った。 「暫くってどれくらい?何処か旅行にでも行くの?」 「旅行じゃないけど、多分似たような感じ。ノエルがさ、仕事で各国を巡る旅に出ることになって、それが一人じゃなかなか難しいもんだから、手伝いをしてやりたいんだ」 「それはどういうお仕事なの?」 「ええと……行商かな。各国の教会を回るんだ。ほら、もうすぐ巡礼の旅が始まるだろ?その関係で」  無論、旅の真意は話せるわけもなく、咄嗟の出まかせではあったが上手い口実ではなかろうか。これなら、時勢に合っている。  ミウレンは「そう……」と呟いたきり、何かを考え込むように少しの間黙り込んだ。その頭の中でどのような思いが渦巻いているのか、フレイには知る術がない。ただ、彼女の表情に暗い影は見当たらない。 「反対をしたいわけじゃないのよ」  数秒ののち、ミウレンは自身の出した答えを反復するかの如く、ゆっくりと口を開いた。 「フレイが決めたことなら、やってみるのがいいと思うわ。でも、大陸の南の方はあまり治安が良くないと聞くし、危険はないのかが心配なの」 「少しくらいなら護身の剣を使えるよ。武器の扱いなら、一通り父さんに習ってるから」 「それはわかっているんだけどね」 「大丈夫。ノエルは魔術師なんだ。結構腕が立つよ」  目にしたのは浮遊と人払いの魔術のみではあったが、物体ではなく、空間に作用する術を扱える者は上位の魔術師であると、いつか読んだ本に書いてあった。フレイは魔術に関して全くの素人だが、かの有名な魔術師の総本山、ハイナンド国の魔術学院が発行している書物に偽りが記してあるとは考えにくい。加えて、一般庶民は魔術に対して過度の期待を抱いているものだ。こうでも言えば、母の不安も多少は解消されるだろうと踏んだ。  目論見通り、ミウレンの眉間に寄った皺が平たく伸びる。 「まあ……それなら何もないよりはマシかもしれないわね。でも、心配なことに変わりはないわ。たった一人の息子だもの」 「うん」 「それでもね、あなたがいつも何かを我慢していること知ってたから。嬉しいのよ、自分からやりたいことを言ってくれて。心配だけど、嬉しいの。だからひとつ、約束をしてくれる?」 「なに?」 「無事に帰ってきてね。必ずよ」  フレイは母の顔を見つめ、しかと頷いた。  生きて戻れる保証などない。ミウレンの認識上の危険というのは、せいぜい盗賊に襲われる程度のものだろう。しかし、フレイが今後相対するのは、各国を手中に収める神々だ。ノエルには何か勝算があるらしいが、厳しい戦いとなることは明白。  それでも、フレイは必ず帰ると約束をした。  ふと目にした母の手は、小さく震えていた。心の内には、言葉に出来なかった幾多もの思いがあろう。しかし、その全てを汲んでやることなど、フレイには出来やしない。ならば、たったひとつ、口にされた願いだけは果たしてみせる。  必ず、生きて帰る。  フレイは、自身の胸の奥にその誓いをしかと刻みつけた。
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