序章Ⅰ 邂逅

4/7
前へ
/11ページ
次へ
 太陽が西の地平線へ差し掛かる頃になり、リーオットへの帰路へつく。  モールガンの家に到着すると、既に辺りは真っ暗だ。「気をつけて帰れよ」とオズワルドに送り出され、フレイは慣れた通りを歩く。家々の窓から漏れる灯りは点在しつつも、街頭のない家路はそこはかとない不安の香りが漂う。だが、フレイはこの夜道をそれなりに気に入っていた。昼にはない静けさと、空の闇を彩る満天の星。月から降り注ぐ光は、夜目の利くフレイにとって大分明るく足元を照らす。体の疲労を携え、一日の終わりゆく様を肌で感じる。  夕食は王都で済ませた。あとは湯を浴び、自室で少しの間読みかけの本を開き、眠るだけだ。  明日も王都は騒がしく、店も忙しくなるだろう。早めに休むのが良い。そう考えながら、フレイは自宅のドアを開けた。  居間の方から、ミウレンの話し声が聞こえてくる。客が来ているのだろうか。こんな時間に?モールガンの誰かだろうか。ごくたまにフレイの叔母が、夫の愚痴を言いに訪れて長居することがある。  フレイは自室へ向かう前に、居間に顔を出した。 「ただいま」  声を掛けると、ダイニングチェアに腰掛けたミウレンが「あら、おかえりなさい」とにこやかにフレイを向く。その対面に薄い髪色をした少女が座っていた。  見覚えのない顔だ。村の人間ではない。 「お客さん?」  フレイが尋ねると、ミウレンは「ええ、そう」と言った。 「お名前はノエルさん。帰り道で出会ってね。ノエルさん、こっちはさっき話した息子のフレイ」  少女が立ち上がり、入口で立ちつくすフレイの傍らまで来ると、身につけていた黒レースの手袋を外し、右手を差し出した。 「ご紹介に預かったけれども、改めて。ボクはノエル。よろしく」 「どうも……」  フレイは控えめに少女の手を握った。  話によると、彼女はここより北の町から来たらしい。仕事を探しに王都まで上る最中であり、リーオットには一泊する宿を求め立ち寄った。たまたま目についたミウレンにその所在を尋ねるが、リーオットには宿がひとつもない。野宿か、このまま王都への街道を歩くか、決めかねていたところ、ミウレンが家へ招いたという。  いくら部屋が空いているからといって、見ず知らずの人間を同情で家に上げるというのは如何なものか、とフレイは思った。少女は小綺麗な身なりをしており、態度も誠実そのものではあるが、だからといってそれが信用に足る要素とはなり得ない。人は見かけによらず、というのが世の常だ。  とはいえ、どういうわけかミウレンは彼女のことを信じきっていて、かつての妹の部屋を一晩の宿としてさっさと割り当ててしまうのだから、他者には口を挟む余地がない。  湯を浴びた帰りに居間を通りかかると、自室へ戻るついでにと少女への着替えやタオルを半ば強引に手渡される。こういったことを年頃の息子に頼むあたりが、母の数少ない欠点であるなとフレイは考える。  妹の部屋は階段を上がって踊り場を曲がり、すぐ手前。廊下を奥に行くとフレイの部屋がある。  木製の扉を二度叩く。すると、間もなく一晩の主が現れた。 「やあ、君か」  ふわりと、癖付いた銀色の髪が揺れる。戸口に立つその姿に、かつての妹の面影が重なった。生きていれば、おそらく同じくらいの年頃だろう。 「どうかしたのかい?」  少女の声に、フレイは腕に抱えていた荷物を差し出した。 「あの、これ母から」 「これはご丁寧に。君の母上はとても親切な人だね。あとで直接お礼を伝えるよ」 「じゃあ、俺はこれで」  あまり長居はしたくなかった。フレイはそそくさとその場を離れようとしたが、少女が「ちょっと待って」などと引き留めるものであるから、足を止める他なかった。 「折角だし、少し話をしないかい?」 「早く休んだ方がいいよ」 「それはそうなんだけど、少しだけ。暫く一人で旅をしていたから、誰かと話したい気分なんだ。だめかい?」 「……少しだけなら」  本音では自室へ篭ってしまいたかった。しかし、何だか彼女が気の毒に思えて、フレイは数分だけ付き合うつもりで誘いに応じた。  部屋の中にはベッドと机、引き出しが五段付いた衣装箪笥が備え付けられている。かつては妹が使っていたものだが、私物は残されていない。その伽藍堂とした机の上に、少女の鞄とまだ新品に近い外套が置かれている。  妙な気分だった。妹が死んでから何年も使われていなかった部屋に、今は妹以外の見知らぬ人間が居座っている。 「君のことは何て呼べばいい?」  少女がベッドへ腰を下ろしながら言った。 「こういう時、いきなり呼び捨てというのは馴れ馴れしいかな」 「構わないよ。歳もそう変わらないだろうし」 「そう。なら、フレイ。ボクのことはノエルと呼んでくれ」  フレイはノエルの顔を見た。これまで周囲に女性といえば母か叔母のみだったので、同じ年頃の異性をいきなり名前で呼ぶというのは、些か心に引っ掛かるものがあった。 「なんだい?」  ノエルが目を丸くする。  フレイは「いや」と視線を逸らし、机の下にしまわれていた椅子を引きずり出して座った。 「何か話題はある?」  ノエルが問いかけてくる。話したいことがあるから誘ったのではないのか、とフレイは内心不可解に思った。 「じゃあ……ノエルは王都に職探しに行くと言っていたけど、今はやめといた方がいいよ」 「どうして?」 「もうすぐ巡礼者が決まるから、お祭り騒ぎなんだ。とても職探しなんて出来るような状態じゃないよ」 「君も立候補するのかい?」 「巡礼者に?まさか。従兄弟は参加するらしいけど」 「従兄弟……オズワルド・モールガンか」 「……え?」  フレイは眉を寄せた。ノエルはこの町を訪れたばかりだというのに、何故オズワルドの名を知っているのか。彼は早朝から一日仕事でリーオットを離れていた。偶然出会うはずもない。 「オズと知り合いなの?ああ、それとも母さんから聞いた?」  お喋りな母のことだ、息子の話だけではなく、お気に入りの甥の自慢をしていても不思議ではない。そういうことだろうと、フレイは答えを聞く以前から確信を持って尋ねたのだ。だが、ノエルは静止している。不用意なことを口にしてしまったとでも言わんばかりに。  次に彼女が口を開いた時、その目には、これまでとは確かに異なる意志が宿っていた。 「君の母上には何も聞いてはいないよ。モールガンとは会ったこともない」 「それじゃあ、どうして」 「視ていたから、識っている」 「みていた……?」  ノエルの発言の真意が、フレイには理解出来なかった。  みていたとは。いつ?何処から? 「正確には、彼を視ていたわけじゃない。君の旅路を視ていた。だから識っているんだ。彼は君の導く者だったから」  またわけのわからない単語が聞こえた。旅路?導く者?彼女は何の話をしているのか。  フレイは目を閉じて眉間を強く押さえた。 「ちょっと待って。君は何を言っているんだ」 「戸惑うのも無理はないよ。けれど、未来の君と約束をしたから。ボクは君に、ボクの使命について語らなければならない。黙って聞いていてもらえるだろうか」  その言葉には、奇妙な圧力があった。口を開いてはならないと、本能が述べる。疑念と不信をぶつけ、輪郭のぼやけたこの謎の存在の正体を一刻も早く問い詰めたかったが、フレイはただ何も言わず、椅子の上でじっとしていることしか出来ないのだと悟った。  それからノエルは、自らの使命とやらについてをおもむろに語り始めた。  かつての未来、フレイが歩んだ巡礼の旅路。夜の神との戦い、その結末。囚われた仲間達の魂。オズワルド、ギルベルト、ラフカ、キトリー、ユリシーズ。彼らの魂を解放する為、未来の自分は過去の自分に大役を託したという。 「七つの国の七つの神を討伐する。それが唯一、夜の神に対抗し得る手段となる。君を導き、その手助けをすることが、ボクの使命だ」  そうしてノエルはひとつ息をついた。どうやら内に秘めていたものを全て出し尽くしたようだ。  だが、一方フレイは絶句した。同時に震え上がった。  この少女は何と言った?七つの神の討伐?つまり、この大陸に広がる七つの国の国神達を殺すと宣ったのか。  あまりにも傲慢。あまりにも不敬。神の謀殺など、世界を敵に回すも同然。おこがましいにも程がある。  頭がイカれているとしか思えない。王都で時折、人類焼却を支持するシンパを見かけることがあったが、その類の人種ではないかと悪寒が走った。 「……悪いけど、宗教には興味がないんだ。神様のことは好きでも嫌いでもないけど、討伐を口にするのはどうかと思う。信奉者に聞かれでもしたら、教会に通報されるよ。というかそもそも、神様を討伐なんて出来るわけがない」 「出来るよ」  ノエルは迷いのない口調で即答した。その面持ちには虚栄も謀略もなく、ただ真摯な瞳が揺るぎない確信を物語っている。 「無論、そう簡単じゃない。覚悟は必要だ。けれど、他でもないボクが言っているのだから出来る」  フレイは椅子から立ち上がった。じっとしていると、足元が竦む。この感情は、困惑を通り越し、最早恐れに近しい。 「君は……一体何なんだ……」  喉を通り無意識に吐き出された言葉は、微かに震えを帯びていた。  ノエルは己に対して抱かれる疑心にも動じず、じっとフレイを見つめる。そして、率直に述べた。 「ボクの本来の名はノルン。今ここにいるのはその半身だけれど、正真正銘、この国の神だよ」  直後、フレイの中で何かがプツリと音を立てて切れた。  机の上の鞄と外套を引っ掴み、ノエルの腕を引いて部屋を飛び出す。階段を下り、玄関まで行くと、ドアを思い切り開け放ち、ノエルの体を押し出す。そして持っていた荷物を放り、一秒にも満たない速さでドアを閉め、鍵を掛けた。  異常だ。もうこの家に、一瞬でも長く置いてはおけない。  神の討伐を謳った時点で九割の信用を喪失していたが、加えて、自身がその一柱であると宣うなど、明らかに狂人の域。押し入り宗教勧誘の方がまだましだった。  ノルンとは、ノースランデの国神であり、時を司る者の名だ。国土の中央を北から南まで大きく切り裂くベルヘルン山脈の何処かにあるという、時間神殿に住んでいる。但し、他国の神とは異なり、その容姿を知る者は誰も居ない。七つの国の中で唯一、ノルンは地上に降臨したという記録が残されていなかった。  もしも少女が本当に神ノルンだとすれば、未来の旅路云々の妄言にも信憑性は出てくる。ノルンは世界に刻まれた時間の流れを閲覧する力を持つという。その権能を使えば、フレイの居場所を探り当て、接触を図ることなど容易だろう。  とはいえ、それはあくまでも仮定の話であって、そもそも神が一個人の願いを叶えようと地上を奔走するなど有り得ない。神は人類に平等に与えられた美しき象徴であり、人類の手の届かないところに在るからこそ神なのだ。  ドアの向こうからは、特段縋る声もない。洗脳出来ずと知って諦めたか、他所へ行ったか。  フレイはドアノブを握り締めたまま、大きく息を吐いた。疲労がどっと押し寄せる。  明日の朝、ミウレンから少女の行方を問われるだろうが、夜が明ける前に王都へ出発したと説明すればいい。一晩の客人のことなど、そう気にも留めないだろう。  普段ならば、既に部屋で休んでいる時間だ。フレイは今夜見聞きした一切を忘れることに決めて、自室へと引き揚げた。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加