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「あっ、鳴ってる」
隣に座る女の子が、リュックサックからスマートフォンを取り出した。雨音のせいで、ワシには呼び出し音など聞こえなかった。
「やばっ、帰りが遅くて、お母さんが怒ってる。帰らなきゃ」
女の子はスクッと立ち上がり、目の前にとめていた自転車にまたがった。
「通り雨だから、もう少し待てばやむぞ」
ここは、幸い屋根がある。
外は土砂降りの雨だが、遠くの空は明るい。しばらく待てば、雨は上がるだろう。80年も生きた経験を馬鹿にしてはいけない。
「だって、お母さんから『塾はとっくに終わってるでしょ』ってメッセージ。急いで帰らないと、お小遣いが減らされちゃうよ」
「最近の小学生は、せわしなくて大変じゃの」
ワシは、駅前にあるビルの一階にある駐輪場でアルバイトをしている。この女の子は、ほぼ毎日、自転車を停めにくる。洒落たリュックサックを背負って。
ランドセルではないのは、放課後にここから電車に乗って遠くの塾へ通っている……その予想は当たっていたらしい。
「じゃあ、私、行くね。雨宿りさせてくれてありがとう、おじいちゃん」
手を振り、勢いよく自転車を外へと走らせた。
「あっ」
ワシは思わず立ち上がった。
駐輪場のすぐ前で、女の子は、濡れたマンホールに自転車のタイヤを取られ、転倒してしまった。
ガシャっと、大きな音が響く。
その直後だった、車のブレーキ音が耳をついた。
宅配便のトラック――。
そう、思ったときは、遅かった。
女の子の姿は、車の下に消えていた。自転車が通り過ぎると思って、トラックはスピードを落とさずに走ってきたのだろう。
ああ、なんてことだ。
やはり、女の子を止めればよかった。「雨が止むまで、待ちなさい」と、強引に引き留めるべきだったのだ。
そうだ!
トラックのタイヤは大きい。運よく、車の下に潜り込んで無事、ということもある。ワシはベンチから立ち上がった。
しかし、腰が砕けたように、すぐにベンチにへたりこんでしまった。
――なんて可哀そうな。末期がんの80歳が生き残って、10歳かそこらの少女が命を失うなんて。
ワシは両手で顔を押さえた。
車の下に広がる、赤い血の海を注視することができなかった。
ワシのせい、ワシのせい、ワシのせい……。
手にしっとりとした感触……泣いている。
泣いたって、どうしようもない。後悔しても、過去は……変えられないのだから。
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