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* * *
「ねえ」
どのくらい顔を押さえていたのだろうか。
トラックの運転手が降りてくる音も、救急車のサイレンも聞こえない。運転手が事故に気付かないはずはない。
「ねえってばぁ!」
女の子の声だ。
トーンから、さきほどまで隣に座っていた女の子だ。
ああ……後悔の念で、ついに幻聴が聞こえ始めたか。
「まあ、いいけど。じゃあ、勝手に雨宿りしまーす」
ベンチの隣に、人が座る衝撃を感じた。ワシは、ゆっくりと顔を覆っていた両手を離した。隣に視線を向ける。
――どういう、ことじゃ!?
隣に女の子が座っていた。リュックサックが足元に置かれている。
「すっごい雨が降ってるので、ここで雨宿りさせてください」
女の子は、上目遣いにワシを見上げていた。見間違いではない。
入口の方を確認する。トラックはどこにも見当たらない。
「建物の前に、トラックが来なかったかい?」
「トラック? 来てないけど。おじいちゃん、私の顔に何か付いてる? じっと、見過ぎだよ」
「ああ、すまん、すまん」
自転車は、女の子の前にとめてあった。壊れている様子はない。事故が起こった形跡はどこにもなかった。
だが、事故のことは、はっきりと記憶に残っている。
ついに、認知症が始まったのだろうか?
「塾の帰りかい?」
「うん」
女の子は退屈そうに、ベンチから垂らした両足を前後に振っていた。
「3駅向こうにある進学塾。私、こう見えても成績優秀なんだよ。6年生、100名の中で、10番以内」
「それは凄い。こう見えてって、十分に賢そうに見えるがのう」
女の子は「ありがとう」と言って、嬉しそうに微笑んだ。ワシは、女の子が車にひかれる前の記憶を回想した。
雨宿りをさせて欲しいと女の子が言ったのは記憶にある通りだ。そして、ベンチに腰を下ろした。
そこからは、5分ほど無言の時間が続いた。
老人が幼女に声をかけて、怪しまれるのは嫌だった。この年になって、警察にお世話になりたくはない。
「最近の小学生は、大変じゃの。塾だ勉強だで。じいちゃんの頃は、放課後は年中、川や、原っぱで遊んでいたもんじゃ」
「いいなぁ、楽しそう。私も遊びたーい」
「雨が止むまで、ゆっくりしていきなさい。そうじゃ、どら焼きがあるが、食べるかい?」
ワシは足元に置いていた紙袋に手を伸ばそうとした。幸い、2つある。
「私、甘すぎて、あんこ苦手~。シュークリームがいいな」
「ははは、残念ながら、それはない。わざわざ、取り寄せた高級品だったんじゃが」
ワシは伸ばしていた手を戻した。
「退屈だから、本でも読んでよっと」
「こんな隙間時間まで勉強とは、精が出るの」
女の子は、リュックサックから厚手の本を取り出した。
「違うよ。勉強の本は、もう飽き飽き。これは、買ったけど読めてなかった小説」
確かに、参考書のようには見えない。膝に置かれた本の表紙には、アニメっぽい女の子のイラストが入っていた。
「先が気になるところで、中断してたのよね」
そう言って、しおりが挟まっていたページを開いた。
「最近の小学生は、どんな小説が好きなんじゃ?」
ワシには、息子が一人いる。独身で、何年も連絡はない。なので、孫はいない。孫がいれば、こんな感じなのだろうか?
「タイムリープものだよ」
女の子は、本に視線を向けたまま答えた。
「タイム……リンス? 風呂で使うものかの?」
女の子はクスっと笑って、ワシの方を向いた。
「違うよ、タイムリープだよ。どう、説明すればいいのかな? 簡単に言うと、過去に戻ってやり直すってこと」
「それなら分かるぞ。タイムマシンじゃな」
女の子は、うーんと腕を組んで眉を寄せる。
「そんな大げさじゃないかな。自分の心だけが過去に戻るって感じ。未来の記憶を持ったまま、過去の自分に戻るんだよ」
過去の自分に……戻るだと?
それは、まさに今のワシに起こっていることではないか!
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