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* * *
「ねえ」
2度目のタイムリープは成功したらしい。ワシは、返事をしなかった。
「ねえってばぁ!」
顔を手で覆ったまま、女の子の言葉を無視した。
「まあ、いいけど。じゃあ、勝手に雨宿りしまーす」
ここまでは、前回と同じだ。ワシは手を顔から離して、ベンチに座る女の子を横目で見た。
リュックサックに手を入れて、何かを探していた。そして、一冊の本を取り出して、読み始めた。
小説ではなさそう。参考書だ。ワシが態度を変えたことで、相手の行動が変わってしまったのか。
前回は小説の内容について、色々と質問した。しかし、今回は女の子に問いかけないことにした。
感情移入をしてはいけない。この子が事故に合わないと、タイムリープとやらは起こらない。
事故のたびにワシは後悔するだろう。しかし、親密になり過ぎると、精神がもたない……そんな気がした。
だから、極力接触しないことにしたのだ。
ワシはポケットから自分のスマートフォンを取り出して、ニュースを読み始めた。それなりに年を取ったが、幸い、視力には自信がある。
時間の繰り返しを最大限に楽しもう。
不老不死を得たのだ。
駐輪場の中で、5分程度の時間しかないが、死ぬよりましだ。
そうだ、次回は息子に電話をしてみよう。古い友人に電話をするのもありだ。
ワシは、駐輪場の外に視線を移した。
土砂降りの雨。やはり、遠くの空は明るい。
「狐の嫁入り……じゃな」
心の中だけのつもりだったが、つい言葉が漏れた。
「何それ?」
脇に座る女の子の方から声が聞こえた。振り返ると、参考書から顔を上げて、こちらを見ていた。
返事をしてはいかん。
無視……そう、無視するんだ。
ワシは「なんでもない」とだけ言って、女の子から視線を外した。注視することができなかった。
「私のおじいちゃんは、もっと、優しかったよ。お年寄りって、みんな優しいと思ってたんだけど、がっかり」
横目で見ると参考書を置いて、女の子は天井を見上げて足をブラブラさせていた。
「おじいちゃん、遠くに住んでいたんだけどね、遊びに行ったときは、喜んでくれた。おもちゃとか、コスメとか買ってくれた。美味しい物もたくさん、食べさせてくれた」
無視を決め込んではいたが、耳に入ってしまう。
「去年、死んじゃった。とっても、悲しかったなぁ」
なぜ、そんなことを話すのだ。やめてくれ、そんな話をするのは……。
ガサガサと音がしたかと思うと、人が立ち上がる音がした。
「そろそろ、帰らなきゃ。お母さんに怒られちゃう」
ワシは内心、ほっとした。
これ以上、祖父の話など聞きたくない。
早く、駐輪場を出てくれ。
そして、次回は完全に無視する。この場を離れてもいい。
それにしても、前回と展開が大きく異なる。母親からメッセージも電話も来ていない。女の子が自発的に帰ろうとしている。
まだ、雨は上がっていないのに。
女の子が自転車のスタンドを上げて、押し始めた。
そして、屋根と外の境目の辺りで止まった。
行け!
早く、行ってくれ!!
ワシは女の子の背中に、見えない声をぶつけた。
「今度は、高級どら焼き、食べさせてもらおうかな……」
外を向いた状態で、女の子が言った。
その瞬間、ワシの頭に電流のようなものが走った。
――どら焼き……だと!
今回、ワシは一度も、どら焼きの話をしていない。足元に置いてある袋に入っているが、中に何が入っているかは分からない。
――女の子も、タイムリープをしている!
ワシは気が付いてしまった。
女の子をよく見ると、両足を小刻みに震わせていた。
自分がこの後、どうなるかを知っているのだ。じゃあ、前回も分かっていて、雨の中に飛び出したのか……なぜ?
もしかして、ワシが病気の話をしたからか。
タイムリープを繰返したら無限に生きられるなどと、言ったからか!!
ワシの望みを叶えるため。もしかしたら、死んだ祖父とワシを重ねていたのか?
「じゃあ、行くね」
ワシは立ち上がり、女の子に駆け寄った。自分がまだ、こんな速度で走れるなんて思ってもみなかった。
「だめじゃ、雨がやむまで、ここに居なさい!」
女の子の左腕をギュっと掴んだ。
行かせてはならない!
何が無限に生きられるだ。何十歳も先輩のワシが、幼い子供を犠牲に生き永らえようなどと……冷静に考えたら、こんなに恥ずかしいことはない。
「行かなきゃ、ダメなの!!」
泣き声混じりの叫びを上げた女の子は、強い力でワシの手から抜けようとした。
「すまない、もう、いいんじゃ!」
女の子の腕からスッと力が抜けた。
ちょうどその時、宅配便のトラックが駐輪場の前を通過した。マンホールの上で、キュッとタイヤを滑らせて。
女の子のリュックサックの中で、スマートフォンが振動する音が聞こえた。
「お母さん、怒ってる。私、行くね」
雨は上がっていた。
先ほどまでの土砂降りが嘘のように、明るい日の光が差していた。
「ところで、狐の嫁入りって……なに?」
「晴れているのに、突然、雨が振るときは、狐が嫁に行くときだって……迷信じゃが、不思議なことが起こるともいわれとる」
女の子は返事をすることなく、自転車を駐輪場の外へ走らせた。
マンホールの上で自転車を止めて、ワシの方を振り返った。
「助けてくれて、ありがとう!」
そう言って、右手を大きく振った。
その顔には、笑顔が戻っていた。
なるほど。最初の事故は本当に起こったのだ。そして、ワシが後悔したことによって、タイムリープが起こった。
何度か時間を行き来したが、最終的に、女の子は助かった。ワシは命の恩人というわけだ。
「今度、お礼に、シュークリームを買ってきてあげる!」
「じゃあ、ワシは、高級どら焼きを用意しておいてやる。だから、いつでも来なさい」
女の子は大きくうなずいてから、自転車を走らせて帰って行った。
ワシは見えなくなるまで、女の子の後ろ姿を見送った。
(了)
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