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「その一回。……君が、自分で回してよ」
「え」
まさかそんなことを言われるとは思わなかったのだろう。困惑した顔で私を見上げる少年。
私は思ったのだ。本当は、あの子は自分でひきたかったのではないか。それが未練だったのではないか、と。
「や、でも、俺」
「ひきたかったんでしょう?」
不思議なことに、こうしてはっきり体に触ることができる。その背中をぐい、と押しながら私は続けたのだ。
「当てたかったんじゃないの?……きっとそれは、誰かのためだよね」
「……っ」
その一言がきっかけだったのだろうか。ユータくんは少し泣きそうな顔をして、ハンドルに手をかけた。周囲に集まった子供達、大人達みんなが見守っている。彼のことを知っている者は少なくなかったのだと、この時私は改めて実感したのだった。ひょっとしたら、お店のおばさんもかつて彼に助けて貰った人だったのかもしれない。
からから。
八角形が、一周回った。何故か、私は確信していた。今日は絶対当たる、と。
「あ!」
ぽろり、と銀色の玉が飛び出してくる。二等。クマのぬいぐるみだ。
「おめでとう、大当たり!クマさんゲットだよー!」
お店のおばちゃんが、嬉しそうにベルを鳴らした。私はおばさんから茶色のくまのぬいぐるみを受け取ると、ユータくんに手渡したのである。
彼は戸惑ったように、それを受け取った。そして言ったのだ。
「……俺、妹がいたんだ。そいつわがままでさ。福引で、あと一回やらせてくれって駄々こねたんだ。俺、お小遣いなくて、駄目だって言った。次のお祭りの時にな、って言って。でも……その時を最後に、お祭り、やらなくなっちゃったんだ。……戦争で、何もかも足らなくなって、人もいなくなって。それで、そのまま、あいつも空襲で……」
段々と小さくなる声。
あと一回。それをやらせてやれなかったことを、彼はずっとずっと後悔していたのだろう。
だから妹にできなかったことを、他の子にしてあげようとしていたのだろう。
「そのぬいぐるみ、妹ちゃんと一緒に可愛がってあげて」
きっと、少年が生きた時代に、クマのぬいぐるみなんてものはなかった。
でも可愛いものを可愛いと思う気持ち、素敵だと感じる気持ちは、昭和の子供も令和の子供も同じのはずだ。
「今までたくさんたくさん……ありがとうね」
「……うん」
少年は泣き笑いの顔で、こくりと頷いた。そしてそのまま、溶けるように姿を消してしまったのだった。
それが、あの商店街、最後の夏祭り。数年後、再開発されて綺麗になった町でお祭りが夏にだけ再開されることになったが、ユータ少年を見かけることはなくなったという。
もう福引をやっている店はない。あの頃の景色はそこにはない。
それでも何年たっても、私の耳には聞こえているのだ。
あの八角形がからから回る音と、少年の嬉しそうな声が。
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