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らいふすぱん
あと一回。
あと一回だけ――。
一年だと一ヶ月。
五年だと半年。
十年預ければ二年の利子。
二十年だと五年。
三十年だと十年。
五〇年だとなんと三〇年。
何かに呼ばれるままにふらりと立ち入った路地の奥に、『らいふすぱん』と書かれたバーがあった。僕は誘われるようにそのドアを開けた。カランと頭上でレトロなドアベルが鳴った。
それが十二年前のこと。
***
僕の目標の一つに、100まで生きる、がある。
残りの寿命なんて誰にもわからない。
分からないけれど、僕はこの定期預金……預寿命 ?のようなものに今まで何度か成功している。
最初は半信半疑だったので一年預けた。
一年後、その定期を解約し、再び一年。そして三度目には思い切って十年の定期を組んでみた。ここまでで二年二ヶ月分お得になったはずだ。
僕はいま35歳。職業は塾講師。給料は正直良いとは言えないが、仕事は嫌いじゃないためほどほどに充実した日々を送っている。
そして趣味は貯金。利子やお得感に喜びを感じるたちだった。
「次は20……いや、思い切って30にしてみようかな」
「30年後だと65歳ですね。定年の時期ですか」
「まぁ、その頃の定年が何歳かはわからないけどね。……50だと85……普通に行っても85は行けるかな。百年時代っていうくらいだし。きっとまだ元気だよね」
家族に遺伝するような病歴の人もいない。
今まで大きな怪我や病気をしたこともない。
僕は首を捻りながら、カウンターでマスターの顔を何気なく見上げる。
マスターは年齢不詳なおじさまだ。黒のジレがよく似合う、おそらくは僕より年上の彼はいつも柔らかな微笑みを浮かべてグラスを拭いている。
そしてこのマスターこそが『らいふすぱん』においての僕の担当者だった。
「85で定期を解約したら、115……ええすごい、115歳まで生きられる」
「それだとこっちも付けた方がいいかもしれませんね」
「こっちのは……元気でいられる保証だって言ってましたよね」
「十年ごとに一年マイナスにはなりますが……」
「それでも損にはならないな」
僕はかたわらのウーロン茶を手に、うんうんと頷く。
「うーん……でもやっぱり30かな。30で、65で解約、利子が十年だから……75までは行けるね。保証なしの場合」
「そうですね」
75なら何もしなくてもいけそうだけど……。
でもまぁ、生活になんの支障もなく預けて寿命が保証されるならいいか。
「このサービス、なくなりませんよね?」
「そこは大丈夫です」
「じゃあ、今回は30にします」
***
そして僕は65になった。
結婚もして、子供もできた。妻も元気で、近々孫も生まれる幸せな日々を送っている。
解約に行った先で、次をどうするかという話になった。
65で解約しても、75までは約束される。
「してもあと十年かなぁ」
「十年だと、75で解約、利子が二年」
「77ってことか。特なのかどうなのかわからないね」
目標が100の僕からすると、あと二十年でもいいのかもしれない。
二十年だと五年だから……。
85で解約、利子が五年で90……歳か。
お。100にはちょっと届かないけど、これが現実的かもしれない。
90まで元気でいられたらきっと人生楽しいに違いない。
「じゃあ……もう一回だけ。最後は二十年にしようかな」
***
その一年後、僕は空の上から下界を眺めていた。家族は健在だ。僕の保険金もちゃんと入って、お金にも困っていない。
結果的に、僕の寿命は66歳だった。
結局僕が最後の利子を手にすることはなく、むしろ最後にかけた分寿命は縮まってしまったらしい。
難しいね。幸せな人生だったのが唯一の救いだけど、できればもう少し頑張りたかったのが本音かもしれない。
もう一回だけ。
最後にそれをしなければ、75までは確実に生きられたのにな。
END
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