№8

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№8

 少年は言うが早いか、まるで怖いものから逃げるように全力で走り去ってしまった。 それから後、秀のどこかにあの少年の言葉が消えないようで、今もチビが虫をとらえた瞬間、あの少年の言葉を思い出していた。 そんな罪悪感のさなか、いつもと違ってめずらしく、しおらしい裕の声が聞こえた。 「秀ちゃん、もう・・ぼちぼち放したれへんか?」 やや動揺していた秀はチビを放すことで少しは楽になる自分を想像した。 「うん・・そうやな、僕もそろそろかなて思てたんや、これだけ訓練したし、チビも、もう外に行っても十分生きていける気がしてたんや」 「それやったら早い方がエエやん、台風一過の今日なんか最高ちゃうか?」  裕も迷った末の告白だったみたいだ。だからこそ最高!という言葉を発してしまった。  裕は外に面した四枚扉を全開した。開放された間口は一軒、約1,8メートルの額縁の向こうは、チビにとって自由で自然な世界が待っている。 「秀ちゃん、準備OKや、飛ばしたって」  いつもはところ狭しと事務所を飛び廻っているチビだが、大きく開かれた出入り口とは反対のカウンターに止まったままで飛ぼうとしない。 「チビ、もう飛んで行ってもエエんやで、外へ行ったら自由や、どこまでも飛べるんやで、そら早よ行き!」  秀はチビのお尻で便が固まっていないか覗くのが、いつの日からか癖になっていた。 以前、元気のないチビを心配して偶然見つけたことが切っ掛けになったのか、それからである癖になったのは。 「チビ、お前また便秘か・・」 秀がチビのお尻を覗こうとした瞬間だった。恥ずかしかったのか、ようやくチビが羽ばたいた。そして開かれた扉の額縁を抜け自由な自然界へ飛び出した。 裕と秀の目が合った。 「秀!」 「よっしゃ!」 二人は走った、そして追った。一目散に外に出てチビが向かった南の空に目をやった。 その瞬間チビは180度方向転換し、なんと二人の頭上を通過、瞬く間に北の空へ舞い上がった。 そして螺旋を描きながらさらに大空へ。小さな点になったチビを眺める裕と秀の眼には大粒の涙が溢れていた。お疲れ様、誰もが出来る筈もない野鳥との生活、君たち若い人の人生ならば一瞬の出来事だったかもしれないが、素晴らしい経験をしたようだね。 ・・・・
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