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1話

  春一番の風が森を抜ける。帝国の城下町を抜け、少し小高くなった山の中に大きな邸宅が一つそびえ立っていた。中世ヨーロッパの貴族の家を模した城のような建物を前に一つの影がゆらりと揺れた。  男はここのものではない。短刀を一つ握り締め、黒の軍服に身を包みながら足音をたてず一歩一歩と邸宅へ近づいていく。月明かりに照らされた髪は異様な白さで輝くが、人のものではない真っ赤な瞳に光はない。  男は迷わず裏口の方へ歩みを進める。あらゆるセンサーやカメラの死角を抜け、当然のように裏口のドアを開けて難なく侵入した。中も外側と変わらず厳かな雰囲気のある廊下だった。 「誰だ、お前は」  遠くにいた執事が男を見つけると驚いた声を上げた。だが男はその声に反応しない。握った短刀をだらしなく下げたまま執事に気付いていないのかと思うほど男は無感情に歩みを止めなかった。 「おい、止まれ」  近づいてくる男を警戒しながら執事は男の前に立ちはだかる。男は執事が前に出ると足を止めた。  真っ白な髪、真っ赤な瞳の男に執事は息を飲んだ。男が身につけている黒の軍服に黒の部隊章が目に入ると執事はゆっくりとした口調で尋ねた。 「親なし吸血鬼か?」 「……」  男は答えない。何を捉えるでもない座った目でじっと執事を眺めている。精悍な顔立ちのせいで余計に不気味に映り、執事は息をのんだ。  そして執事はそっとポケットに手を入れ警棒を取り出し一振りする。と同時に男と同じ白髪に赤い瞳へと変貌を遂げた。 「ここが生まれながらの吸血鬼、真祖の頂点に君臨する始祖の久木野(くぎの)邸とわかっていての侵入でいいのだな。ならば手加減はしない」 「……くぎの……」  執事の言葉に男はゆっくりと口を開いた。すると今まで無感情だった表情が一変、唇を真一文字に結び短刀を構えると執事に向かって飛びかかった。執事も負けじと警棒で短刀を抑え込み男を振り払った。 「くっ……」 「……」  軍人と執事では圧倒的に力の差があった。執事はやっとのことで振り払うことが叶ったが次に向かってきた時に勝てる自信はない。間を置かずして男は短刀を握り直し、壁を蹴って執事の上から飛びかかった。執事は完全に避けきることはできず手首から血が溢れる。  その時、鼓膜を突き破るような低い音が響いた。ダンッと鈍い音の後、向かってきていた男は途端に力を失い床に伏した。腹部から真っ赤な血の池が作られていく。 「大丈夫か?」  執事の背後からもう一人の執事が銃を構えたまま近づいてきて、先にいた執事は安堵の溜息を吐いた。 「銀弾を撃ち込んだ。そう長くは生きられまい」 「旦那様はご無事か?」 「急遽入った出張でここにはいない」 「……不幸中の幸いだな」 「利津(りつ)様は?」 「もうすぐおかえりのはずだが」 「はぁ……減給じゃすまないぞ。下手したら俺たちはクビか、最悪殺される」  執事たちは男に武器を向けたまま警戒しつつ話し続けた。撃たれた男の腹部からは血がとめどなく流れ、はじめこそ荒く息をしていたが徐々に呼吸がか細くなっていく。  合わそうにも合わない焦点、気管支が狭くなっていくような息苦しさ。死が近い、そう思うと男の瞳に光が戻った ――なんで俺は今ここにいるんだ?なんで地面に……。  問いたくても喉が締まっていき声が出せない。もう何も考えたくないと思考が白けてきたところで違う声が男の耳に届いた。
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