エピローグ

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エピローグ

 僕と霧島さんは、電車の座席に並んで座り、リズミカルな振動に揺られていた。  車両内には僕達以外に人はおらず、走行音が響くばかり。  景色は流れて行く。空は雲一つない晴天で、緑の自然が良く映える。  スマートフォンで時刻を確認すると、とっくにお昼を過ぎていた。お腹が空いた。  廃墟を後にした僕達は、駅付近にあった公衆電話から匿名で、廃墟の中で箪笥を発見した、その中に、おそらく人の死体が捻じ込まれている、と警察に通報した。  箪笥と遺体が発見されれば、然るべき機関に移送され、調べられ、適切に供養がされるだろう。例の事件も進展するに違いない。ここから先の捜査や、裁判での判決などに、僕達の出る幕はない。匿名での通報という選択をしたのも、どうやって箪笥を発見したのか、どうしてあの廃墟へ入り、隠された部屋を見つけ、その中の箪笥をわざわざ調べてみようと思ったのか等、警察の人達へ向けて、まともで筋の通った説明ができないからであり、それはつまり、僕達の出番はここで終わり、事件の解決にも、あの箪笥の中の子にも、自分の娘二人を手にかけた母親の行末にも、関わる権利や理由がない、ということ。  電話をかけた後、僕達は丁度ホームに滑り込んで来た電車に乗り、今に至る。 「最後の叫び声、びっくりしたね」  霧島さんが言う。 「うん、驚いた」  僕は頷いて認め、言葉を続ける。 「前にあれを聞いたのは、異形の者になった早乙女と目が合った時だったから、余計に震えたよ」 「結局、異形の者の外見の理由は、無理矢理箪笥に捻じ込まれたから、だったのかな」 「おそらく、それで合ってると思う」 「その苦しさから、人間を異形化させる力を手に入れた?」  霧島さんは自分の首元を片手で押さえながら言う。 「断定はできないけれど、要因の一部ではありそうだよね」  僕は流れる景色へと目を向けながら応える。 「本人の意思で、そんな存在になりたかったわけじゃないだろうにね」  霧島さんが、僕の肩に頭を乗せながら呟いた。 「同情なんてされたくなかっただろうけど、それでも僕達は、あの子の境遇や感情に人一倍、共感できた。だから……」 「呼ばれた」  霧島さんが、僕の言葉を引き継いだ。  霧島さんは、早乙女も、そして僕も、あの女の人の理解者と成れる条件を満たしていた、ということなのだろう。  それを自慢するつもりはないし、勿論、誇れることでもない。悲惨な家庭に生まれてよかった、なんて思わないし、そんなふうに考えられるはずもない。  しかし、もしも僕達が、豊かで幸福な家庭で育てられ、平和な毎日を過ごしていたなら、あの子はずっと、あそこに閉じ込められたままだったかもしれない。誰にも見つけてもらえず、僕達以外の誰かを、今回のように上手く引き込まない限り、ずっと。  だから、今回に限っては、これで良かったのだろう、と思える。人間は複雑だ。  複雑といえば、あの超常的な力についての説明に至っては、まったくできないまま。  真っ先に思いつくのは、人間の脳に限定される特異処理そのエラーによる産物だった、というものである。  例えば、量子力学などにおいては、観測する者が存在するか否かで、予測や検証の結果に変化が生じる、という法則がある。世界の理とは、特定の条件下において、宇宙規模のルールにも従わず、異なる現象、不可解な数値、決して一定には留まらない不連続性が観察される。  いち学問ですら、このような曖昧さ、未解明の中でもがいているのだから、これと同様の不確かさがあったとしても、何らおかしなことではなく、むしろ僕達は、発見の第一人者であるとすらいえる。  非科学的な説明を用いて、強引に納得してしまうことは簡単だ。超常現象、オカルト、スピリチュアルなど、都合の良い概念は既にいくつもある。  でも、どうせなら、自らの知識を総動員して、更に多くを学んだ末に、科学的な理屈をこの頭で成した方が、気持ち良く納得できるというもの。自分自身の成長にも繋がるだろう。  僕は元々、考えるという行為が好きだし、そこに時間を投資することを惜しいとは思わない。解を得るのにどれだけかかるか分からないけれど、考え続けてみようと思う。 「霧島さん。身体は大丈夫? あれからどこも、おかしくない?」  自分自身を納得させられる結論を出し終えた僕は意識を現実へと戻す。 「多分、大丈夫だと思う。あ、いや、ここが、ちょっと……」  言いながら、霧島さんは、自分の口元に人差し指を当てた。 「えっ? どこ? 何か変な……」  心配して、僕が顔を寄せると、霧島さんも顔を寄せてきて、キスをした。 「あのねぇ……」 「引っかかった」  霧島さんは嬉しそうに微笑む。 「心配してるのに」 「ごめん。思いついたら、どうしても、やってみたくて」 「おまけに、ここ、外だよ」 「誰も見てないよ。私達以外、人いないし」  霧島さんは肩をすくめながら返してくる。 「う~ん、でもなぁ……」 「手は繋いでくれるじゃん」 「それくらいは、ほら、僕達以外も普通にやるし」 「女の子同士でも?」 「繋いで歩いてる子、よく見かけない? 街でも、学校でもさ」 「あれは、おふざけや、仲良しだからでしょう? 私達は、違うじゃん」 「まあ、そうだね」  僕は頷き、彼女の言葉を肯定する。 「……ねえ、ちょっと、今、気になった」  言いながら、霧島さんは僕の方へ向き直り、僕の顔を真っ直ぐに見据える。 「なに?」 「確かめておきたくなった」 「なにを?」 「佐倉は、私のこと、好きなんだよね?」 「えっ? うん、その、好きだよ」  僕は彼女の直情さに気圧されながら頷く。それに、はっきりと言葉にする気恥ずかしさもあった。 「その好きは、人としての好き?」 「まさか、違うよ。人として好きだからって、手を繋いだり、ハグしたり、キスしたりなんてしないって」 「そうだよね。うん、良かった。安心した」  霧島さんはそう言って頷き、微笑んだ。 「ああ、不安になったんだね?」 「そう。だって、女の子同士の好きって、色々あるから」 「そっか。それじゃあさ……」  僕は彼女の手を取り、それを優しく握りながら告げる。 「今からは、名前で呼んでよ。僕を名前で呼んでいいのは、霧島さんだけってことで」 「えっ? あの、それは、嬉しい、けど……」  霧島さんは途端に動揺を見せ、瞬きを繰り返して言い淀む。 「もう、そこは喜ぶところじゃないの?」  僕は笑いながら言う。 「……じゃあ、佐倉から、先に呼んで」 「名前で?」 「そう」霧島さんが頷く。 「千日紅(ちひか)」 「……はい」  ゆっくりと頷いてから、彼女は視線を上げる。  僕の目を見て、見つめ合って。  彼女の口が開く。  期待する。  名前を呼んでもらえることを。  直情的なのは、僕も同じだった。 「佐倉……秋(あき)ちゃん」  そうして、僕達は話し続ける。  走る電車の中で、降りる駅に着くまで。その後もずっと、数多の言葉を交わすと契る。  彼女と意思を交わしながら、僕は頭の中で別の思考パレットを開く。  異形の者について調べ、この手で、この目で、根幹を垣間見て、ひとまずの結末に臨むことは叶った。この経験は、僕達の共通点を認識させ、救いのない現実を叩きつけ、転機となる幸福を手にすることに繋がった。  今回の件で、僕達が得たものを形容するなら、しかし一種の自己満足、その辺りだろう。  人の役に立てたわけではない。正義を執行したわけでもない。誰かに褒められるような行いでもなかった。当然、感謝されることもない。そんな高尚な行いなどしてない。  知りたかった事象の照らし合わせを行っただけ。若さと勢いで突進していただけに過ぎない。振り返ってみれば、リスキーで、辻褄の合わない真似をしていたな、と省みるばかり。  未熟で、未完成な、未成年の高校生がふたり。  ひとつの何かに夢中となり、奔走し、過程と成果を共有できた。青臭い経験をした。それだけのこと。だからこそ良かった。ここで留めるべき。切り替えるべきだ。  今度は異なる方向へ、異なるアプローチで、進んで行けばいい。まだ若く、幼いのだから、選択肢は無限にある。学ぶべきことも無数にある。自分の人生にこそ、貪欲となればいい。  今までも、これからも、決して楽な道ではない。それも分かる。  立ちはだかる生きた壁が、既にいくつも顔を覗かせている。現実は残酷で情け容赦がない。僕と彼女を打ちのめし、ままならない問題を引き連れ、追いかけ回してくるだろう。  そう、それでもだ。  たとえ、共に過ごす日々が陰りに満ち、常とは異なる、黒く、暗いものであったとしても、僕達なりの青春を、そして人生を、謳歌していけるなら、それでいい。  考えがまとまったので、僕は、千日紅の語る内容に意識を絞る。  彼女の話しぶりや様子を見るに、とりあえずは大丈夫そうだ。  視界の隅でぶらぶらと揺れる、垂れた果実のような頭部。  目障りな挙動を繰り返す、捻じれた前腕と指。  僕は、それらを無視し続ける。  どうしたものか、と掘り下げようとする人格をなだめて。  今は、いいから、と。  そんな僕を眺めて。  見下ろす異形が不満そうに、ギィ、と鳴いた。
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