プロローグ

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プロローグ

 毎日が窮屈で、つまらない。  そう考えるようになって、何年経った?  今日も、ふたりだけで手を繋ぐ。  互いを失わないように、バラバラになってしまわないように。  交互に溜息をつきながら登校する日々。  私達は私達として生まれたその瞬間から、この人生を運命づけられていた?  それとも私達自身が、どこかで生き方を間違えた?  分からない。  同じような境遇であっても、人生を楽しめている人はいるかもしれない。  だとすれば、私達に問題がある、という話になる。  楽しみを見つけられなかったこと、真っ当な愉しみ方を確立できていないこと、正当な適応を成せなかったこと、馴染む気がそもそも無かったことが、主なる原因か。  先人達から見れば、まだまだ短い、齢十五年の人生を幾度となく振り返り、その度に悲観して、卑下してしまう。そんな癖がついた。  そのせいかは分からないけれど、とかく私達にとっての毎日は灰色だった。  裕福な家庭に育った自覚はある。両親は公務員。住んでいる県は地方だけど、そうすることによって出費が抑えられると幾度も聞かされた。割の良い仕事が務まるだけあって、私達の両親はプライベートにおける効率化、最適化にも余念が無く、良い生活を送るための知恵自体はしっかりと御持ち。私達が住む、このマンションも穴場で、つまり優良物件であるらしい。周囲の者達と比較すれば分かりやすく、確かに上手い生き方をしているなと頷ける。金銭的な苦労をした経験など、私達には、ほとんどない。  こうした生活環境や庇護下にある現状にだけフォーカスすれば、私達は大変恵まれた娘達、羨望を向けられる対象、御嬢様と呼ばれる人種に分類されるだろう。  独善的な視点を用いた分析手法。  凡人達が導き出す、浅い評価論。  あぁ。  吐き気を催すほどに上辺だけ。  嗚呼。  正面だけを眺めての嫉妬など。  他人が。  鬱陶しい。  自分が。  見苦しい。  見当違いも甚だしい。  被害者面に逃げる自分が嫌い。  それでもやはり恨むしかない。  嫌わなければ自我を保てない。  お前の、お前達の目は、怒りを覚えるほどに節穴だと。  上流階級? 中流階級? 恵まれている? 一体どこが? 私達の何を知っているの?  人間観察が趣味と公言する輩達の偏った認識と、愚かなカテゴライズに、どれほどの価値がある? 的外ればかりな人外の叫声と、吠えかかる攻撃性を見て、何を答えろというの?  そもそも私達の家庭は、本質的にはそれほど、お金持ちではない。そこからまず認識のズレがある。  両親は確かに高給取りで、夜遅くまで帰って来ない。遠巻きの他人からは、仕事人間か、娘達のために身を粉にする苦労人、見本として擁立すべき素晴らしい親として映るだろう。  本質は、どうか? ですって?  仕事上の付き合いや接待、円滑な人間関係への投資やらが非常に多く、加えて自己顕示欲の塊。そんなのが二人。誰だと思う? 私達の両親その人よ。  見栄を張るための出費はかさむ。かさみにかさむ。際限なくかさむ。  稼いでも、稼いでも、残らない。消えていく。  金銭感覚が完全に麻痺してしまっている。これではギャンブル中毒と相違ない。  貯金できたはずのお金、自分達が汗し、命と時間とを引き換えに得たお金を、自分達を誇張するためだけに浪費している。見栄という一瞬の快楽のために不自由を買い漁る様は、とにかく理解し難く、一様に愚かだ。  当然、私達の将来のための貯金など存在しない。最初から頭になかったのかもしれない。  しっかりと思い返してみれば、物心ついた頃から、似たような境遇だった。  お金をかけて育てられた。それは間違いない。物に囲まれて育った。これも違いない。一見すれば贅沢だろう。  姉妹お揃いの物を買い与えられ、それで遊んだり、着飾ったりした私達を、両親、親戚、名前も知らない誰か達が褒めそやす。それが普通だった。それが日常だった。そういうものなのだと思い込まされていた。  お揃いで嬉しい時もあった。  けれど、違う玩具、違う服、違う遊び場へ行きたいことだってあった。  私達は双子であると同時に、別々の人間である。  似ているけれど、まったく同じではない。  人間であり、個人である。個性がある。  生きるほどに、自分らしさを見出す。  自分らしさとは、つまり自由のこと。  だけど、私達の希望は通らなかった。  私達への投資とはつまり、あくまで、あの両親の自己満足のため、という動機に基づく。  仕事に絡む人間達の目に入るから、ネットなどに写真や情報を上げて、どこかの誰かが私達の存在を、ひいてはあの両親のことを、私達家族がおくる生活を羨ましがる、そんなシチュエーションを創り出せる【何か】にしか価値を見出さない。それ以外には興味がない。主軸がおかしいのだ。  一度だけ、両親に訴えたことがある。  ふたりで手を繋いで、勇気を出して、両親に不満を打ち明けた。  しかし、返ってきた言葉に、私達は、ひどく失望した。 「ふたり揃って同じことを言うなんて、やっぱり双子ね。産んだ甲斐があったわ。貴女達は最高の娘よ。このエピソードもどこかで使えそうね。ちゃんとメモしておかなくちゃ」 「お前達は難しいことを考えなくていい。周りに失礼がないように振る舞うこと、お父さんと、お母さんに恥をかかせないようにしなさい。いいね? 言われた通りにする。それだけだ。簡単だろう?」  あの二人は私達に、そう言い放った。  その目は、私達の方を向いていたのに、私達を見ていなかった。  一番鮮明な記憶は? と聞かれたら、真っ先に、この記憶を挙げるだろう。  それほどまでに強烈で、理不尽で、不愉快なものとして、頭の中で燻っている。  中学生になってからは、両親との温度差が、より顕著なものとなった。  質の良い教育を受けさせてもらったおかげで、私達の思考能力は飛躍的に高まり、実年齢に不相応なほどに仕上がった。大人という生き物が、常々何を考えているのか、生きる上で何に重きを置いているのか、彼ら彼女らの事情や都合というものが理解できるようになった。  そうした時間の経過と精神の成長が私達にもたらしたのは、残酷で後ろ向きな真実。  つまるところ、私達は両親の引き立て役に過ぎなかったのだ。  考えてみれば、双子という道具は最高の背景として機能する。  充実した生活の象徴、他の家庭にはない一品物。(ふたりいるけど)  お金を積めば手に入る、というものでもない。入手には運が絡むうえ、常識的に考えるなら、手に入れるために挑戦できる回数も、ごく僅か。シンプルにレアリティが高いのである。  となれば、偶然とはいえ、それを手に入れることができた見栄っ張りな人間が、最大限活用するため躍起になるのは至極当然のこと。  自分達の都合の良いように、自分達が満足できるよう、見せびらかし、自慢して、他人の羨望や嫉妬に自惚れて、顕示欲を満たすために使う。  私達の意志なんて意に介さず。  我が子達に自我など存在しないかのように。  ふたつの人形で遊ぶ、まるで子供のように。  なんと愚かで支配的で、身勝手なのだろう。  私達への期待も、投資も、あくまで世間一般その上位の様相をなぞっただけ に過ぎない。  実体は、どこまでも中身を伴わないハリボテだ。価値がない。意味がない。私達である理由がない。  そんな環境で育った姉妹が、しかも双子が、まともに育つわけがない。  それでも、お金をかけて、誰かの手間をかけられて、厳しい監視の目に晒されながら育った私達は、外面だけは大変良い出来栄えに成長した。  幼い時から奇異の目に晒され続け、歳がいくつ違うのかも分からない大人達に見下ろされ、世辞を投げかけられ、対価として愛想を振り撒き続けてきたのだから嫌でも適応する。  お喋りも得意になるし、笑顔を作るのも、お手の物だ。  他人とは距離を保ちつつ、しかし、ある程度は友好的に付き合わなければ、自分達に不利益が生じると理解した。それからは年齢、性別を問わず、私達は誰とでも仲良くしてあげている。  心は許さないけど。  信用もしないけど。  私達が好きなこと、興味があること、それら全ては、さらけ出した途端、あの両親や、周囲の心無い大人達、果ては同級生の子達ですら、盛り上がるための材料として受け留め、好き勝手に喰い散らかしてくる。基本的には否定してくる。咎めることが大好きなのね。  貴女達には、こっちの方が似合うよ。  こっちにすればいいのに。  こっちの方が良いよ。  こっちが正しいよ。  こっちにしなよ。  押しつけてくる。  押しつけがましく。  強引に、汚い笑顔で。  胡散臭い偽善と正義感から。  うるさい。  うるさい。  うるさいわね。  うるさいのよ。  鬱陶しくて仕方がない。  そうして溜まったストレスを、私達は双子であることを利用して発散する。  周りをからかって遊ぶし、適当な嘘をついて騙すし、定番の入れ替わりもする。  どれだけ適当に喋っても、みんな馬鹿だから気づかない。  私達を、ちゃんと見ていない人ばかりだから気づかない。  いや、どうだろう?  実際、どうなのだろう?  結局は皆、他人なんて、どうでもいいと思いながら生きているのかもしれない。  人間同士の繋がりなんて、所詮その程度のものなのかもしれない。  私達の境遇は、少し変わったものなのかもしれないけれど。  人と人との繋がりや関係なんてどれも、誰とであっても、信用には値しないのかも。  もしそうなのだとしたら、むしろ合点がいく。  そう。  だからこそ。  それゆえに。  私達姉妹の結束は、より強固なものとなった。  本当に信じられるのは互いだけ。  それでいい。  他人など、間に入って来なくていい。  私達は、ふたりで産まれてきたのだから。  これから先も、ふたりだけで生きていく。  何もおかしなことはない。寂しくもない。  独りじゃないだけ全然マシだ。  そんなことを考えながら生きている。  人形として吊られ、生かされている。  今日も、私達の目に映る世界に色はない。  幾重にも絡み伸びる糸に操られながら、ふたり、ただ進む。
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