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第一章 伝えたい想いはひとつ
僅かに暗さを残す朝。
通りには誰の影もない。
車道を走る車もいない。
その澄んだ空気の中を歩く。
人間が発する圧が私の周囲に無いためか、いつもより身体が軽く感じる。
早起きはとっても苦手だけど、この時間帯にだけ得られる希代な解放感は大好き。
角を曲がると、石畳が敷かれた道に出る。深呼吸をすると花の香りがした。等間隔に植えられた桜のものだ。その花びらのいくつかが風に乗って舞うさまを眺めつつ、真っすぐ進む。辿り着く先は母校。
校門から見える中庭は、背の高い植木と、並ぶあまり手入れのされていない多種多様な鉢植えが、まず目につく。グラウンドの奥には巨木がそびえ立っている。秋には揃って景観に色を添える、この庭の主役達。ついこの間まで、寒空の下、裸同然だったのに、気づけば皆、青々とした葉を茂らせていた。
グラウンドより一段高い場所にある建物へと目を向ける。
昼間であれば、明るく賑やかな印象を抱く校舎からは、まるで生気が感じられない。若い魂が居ないというだけで、これほどに無機質な印象へと変わるものなのか、と少し驚いた。
ひと月ほど前までは私も、ここへ通っていた。三年も出入りすれば、流石に見飽きていたし、学んだ事柄と同等量の嫌な記憶が作られた場所でもある。それなのに、こうして部外者になった途端、これまで意識したことすらなかったノスタルジィを感じてしまうのは一体、何故だろう?
人は、失って初めて、物事や場所の重要さを知る、と本で読んだことがある。その通りなのかもしれない。やはり先人達の感想は参考になる。既に一度体験した彼ら彼女らの言葉をまとめたものが書物であるのだから、今自分が感じた感情を先取りし、明確に言語化されているのもまた、当然のことか。筋の通った理屈へ些細な無意識の反抗心を抱き、助言を素直に取り込めないのは、思春期特有の心理その青臭さに起因したものだろう。
静かに息を吸って吐く。
涙が出るほどではない。
そこまでではないけれど、見納めておこうと立ち寄ったのに、感傷が私を浅く切りつけてきて、落ち着かない気分にはなった。
自分の身体を見下ろして、切られた箇所を触って確認。なんともない。精神の中の私は動揺しているみたいだけど、現実の私は無傷だった。
生地が固く、まだ誰の匂いも染みついていない、高校指定の紺色のブレザーが身体の表面に貼り付いているだけ。
制服を着て、朝を歩きたかった。その思いつき一つから着て来たのだけれど、正解だった。たった数枚の布を纏っていたおかげで、今の自分がどこに所属しているのかを思い出せた。
まだもう少しの間、学生という立場に甘んじていられるのだ、と再認識できて喜ぶ私。
さすがにもう、無力で無知なばかりの子供ではない、という自負はある。けれど、自立し、社会や常識で擦れてしまった完璧な大人となってしまうには惜しい。背伸びと抵抗が並行している。実に人間らしい、矛盾した感情の摩擦。
先程のような感傷を内面へと積み重ねてしまうことで、人は無意識のうちに、望む望まざるに関わらず、大人へと相成るのかも。これから先を生きていくうえで、重要なことなのだろう。それでも、すんなりとは受け入れ難い。叶うなら誰だって、いつまでも幼い部分は残しておきたいと乞うだろう。あらゆるものが子供から大人へ変わってしまったら、懐かしさと寂しさばかりで飽和してしまう。
春の朝焼けが視界の端まで伸びてくる。
暖かなその光に追われるように、私は自分の住処へと引き返す。
執着を残さぬよう、一度も振り返らなかった。
マンションへ帰宅すると、父親も起き出していた。既にスーツに着替えており、リビングの椅子に座っている。
私は玄関からリビングを介して脱衣所へ移動。手を洗うついでに、鏡を見ながら日焼け止めを顔や首、洗い終えた手に塗る。あと三十分もしないうちに、今度は高校へ登校しなければならない。
入学式は昨日終えた。今日は高校生活二日目、在校生との対面式や、各部活動のオリエンテーション、細かな連絡事項の伝達が主な予定。午前中だけで学校が終わる、進級と進学時期によく見られる短縮日程である。
「おはよう。どこへ行っていたんだ?」
父が声をかけてきた。咎めているふうではない。純粋な問いかけだ。
私は、散歩がてらに中学校を見納めてきた、と答えつつ、リビングを抜けてキッチンへ移動する。
「そうか」
短くそれだけ言うと、父は手元のタブレットに視線を落とす。これ以上の言及は特にないようだ。
コーヒーメーカーにフィルタと粉をセットしながら、父の操作するタブレットをちらと見る。ネットニュースか、電子書籍か、仕事関係のデータか、判別はできなかったけど、文字が画面を占めていた。
この年齢の男性が紙面ではなく、朝からタブレットを使い、文字を読んでいる姿は珍しいように思う。偏見だろうか? 私が注意して観察できていないだけで、世の中では、デジタル化が浸透しつつあるのかもしれない。雑誌や新聞、書籍といった紙媒体自体は現存しているけれど、習慣として今後も紙媒体の情報達が、これまで通りの存在感を保てるのかといえば苦しいだろう。時代と共に、変化は容赦なくやってくるもの。
次いで、こんな朝早くから文章を認識できるのはすごい、と考える。
私は朝にかなり弱く、頭の完全始動に時間がかかる質なので、自分の頭と、お父さんの頭は、造りが違うのか、単純に慣れの差か、そこは疑問。私は国語がとっても得意だし、言葉や文章自体は好きで、小説もよく読むので、文字アレルギーを起こしているわけではないはず。
反面、キッチンのテーブルにコーヒーのマグカップしか置かれていないことには親近感を覚える。私も父も、朝ご飯を食べない。寝起きは胃が仕事をしておらず、どのような食べ物であっても受け付けを拒否されるので、食べられない。
父もそれを理解してくれているらしく、私にだけ朝ご飯を食べなさいとか、若いうちは無理してでも、成長期で栄養が必要だから、などとは言ってこない。そういうところが好き。
「高校生活、不安か?」
お湯が沸くまでの間に、自室から鞄を取ってこようとしたら、また声をかけられた。
振り返ると、お父さんは、手元に視線を落としたままの姿勢。
珍しいことを聞くなぁ、という感想。
やはり、私の奇行が気になったのだろうか?
ともあれ、心配してくれているのは事実。
「新しいことが始まるから、ドキドキはしてる。でも、不安っていうほどじゃないかな。古いものとは、お別れしてきたし、気持ち的には切り替えが終わって、今はむしろ前向きだよ。思い出に後ろ髪を引かれるのは嫌だから、ここからは進むだけ」
心境を素直に告げると、父は再び、そうか、とだけ応えた。
返ってくる言葉は、いつも少ないけど、過剰な詮索や、価値観の押しつけ、しつこくて中身のない説教などをしないから好き。また、本人もそういったものを嫌がる傾向がある。似た者親子なのだ。
「そろそろ出る。初日は何かと入り用だろうから、多めに置いておく。持っていきなさい」
言いながら、父は鞄から茶封筒を取り出して机に置き、入れ替わりにタブレットを仕舞った。椅子から立ち上がり、玄関へ向かう。
「あ、パパ」
私は父を呼び止める。
玄関で靴を履く父の動きが一瞬止まる。
「いってらっしゃい」
「ああ、行ってくる」
振り向かずに、それだけ応えて、父は出かけて行った。
見送りを終えた私は自室へ入り、通学鞄と財布、スマートフォンを持ち出して、リビングの机上に並べる。
置かれた茶封筒の中身を確認すると、綺麗な五千円札が一枚入っていた。すぐに財布へ移すのに、わざわざ封筒に入れて渡すところが、几帳面で律儀な父らしくて笑ってしまう。
出来上がったコーヒーをマグカップに注ぎ、椅子に座る。カーテン越しに、すっかり明るくなった窓の外を眺めながら、コーヒーが程よく冷めるのを待つ。(私は猫舌だ)
「さぁ、始まるぞ」
誰も聞いていないのをいいことに、私は言葉に出して、自分を叱咤した。
高校生活二日目は、滞りなく終えられそうだった。
先輩達には悪いけど、対面式は眠気を噛み殺しながら乗り切った。部活動のオリエンテーションでは、いくつか笑いを誘う紹介の仕方をしてくれたこともあり、退屈しなかった。
その後、体育館から全生徒が先生達の指示に従って、ぞろぞろと各教室へ移動して、本日最後の伝達が始まった。次々と黒板に書かれる重要事項をメモしながら、明日からは通常授業が始まってしまうのだな、と少し寂しく思う。勉強は別に嫌いではないのに、この寂しさはどこからくるのだろう、と不思議にも思う。
担任となった先生から、プリントを前から順に回してくれ、と指示が出る。
私の席は教室の窓際、前から二番目なので、前の子がプリントの束を受け取り、私へ回してくれる形式となる。
その子が振り返り。
その姿をきちんと認識する。
その瞬間。
目が合った瞬間に。
私は固まってしまった。
白い、という第一印象。
肌の白い、綺麗な子で。
その美しい顔を取り巻くように飾る、ミディアムストレートの黒髪。
艶のある睫毛は長く、バランスの良い二重の目が印象的。
「後ろへ、お願いします」
かけられた声に反応して、意識が現実へと戻る。
その子は柔和な笑みを浮かべて、私を見ていた。
「ごめんなさい」
私は謝りながら、慌ててプリントの束を受け取る。
見惚れる、というのは、こういうことか、と理解した。
その後は、先生の話も、手元の文字も、全然頭に入らなかった。
窓際の席なので、開いた窓から風が入り込んでくる。
その度に、前の席に座る彼女の匂いが運ばれてくる。
先程の彼女の笑みが目に焼き付いていた。
かけられた気遣いと、優しさを含んだ、ややハスキィな声。
それを思い出す度に胸が高鳴る。
あぁ、そんな。
大変なことになった。
こういう気持ちになるのは、いつ以来だろう?
これまでは、どうやってやり過ごしていたんだっけ?
ずっと自制してきた。
吐露しても、ろくなことにならないから。
隠し続けてきた。
普通の人とは違うから。
なのに。
それなのに。
また、ぶり返してしまった。
私は、まだ名前も知らない、目の前の彼女に。
恋をしてしまったのだ。
どうしたことだろう。
ホームルームが終わった途端、いきなり雨が降り始めた。さっきまで晴れていたのに、これが春の嵐というやつか?
私以外の生徒達は、この悪天候をものともせず、勇猛果敢に下校していく。
親に電話して迎えを頼む子もいれば、鞄に忍ばせていたらしい折り畳み傘を取り出して帰って行く子もいる。男子達は何の対策も講じず、びしょ濡れになりながら騒ぎ、勢いよく校舎から走り出ていく。
そうして眺めているうちに、教室に残っているのは、私と、前の席に座る、礼儀正しくて、色が白くて、髪の綺麗な、あの女の子だけになった。
椅子に座ったまま、教室内に、二人きり。
この状況を喜びつつも、話しかける内容が思いつかず、慌てて閉めた窓を叩く雨の音を聞きながら、気持ちばかりが昂っていた。
「みんな、帰っちゃったね」
彼女の方から話しかけてきてくれた。
プリントを回してくれた時と同じ、優しい声と笑顔。
「そうだね」私は頷く。
「今日、雨降るって、言ってたっけなぁ」
窓の外へ目を向けながら、溜息まじりに彼女が言う。
「傘、持ってきてないの?」
「うん、ないの。貴女は?」
「私も、ない」
渋い表情を作って見せたけど、内心は浮かれていた。
ひと目惚れした子と、その日のうちに、こうして話ができるとは思わなかった。
「ねえ、名前、なんていうの?」
私は問いかけつつ、彼女の隣へと椅子を持って移動して、並んで座る。
「周防(すおう)ゆきです」
彼女は窓から目を離し、私の動きを視線で追従しながら答えてくれた。
名乗る際、彼女は、小さく、ゆっくりと、頭を下げた。
優雅なその動きを見て、御嬢様みたいだな、と思った。
「貴女の名前は?」
「立花(たちばな)ゆりです。初めまして」
私は彼女の真似をして、軽く頭を下げながら名乗る。
「立花ゆりちゃんか。名前、可愛いね。しかも、私と一字違い」
ゆきちゃんは笑顔で褒めてくれた。(勝手にちゃん付けなのは内緒)
「あと、プリントを回した時にも思ったんだけど、変わった髪型だね」
ゆきちゃんは自分の前髪を指差しながら付け加えた。私の方を指差さないことに、育ちの良さが垣間見える。
「あ、これ、たまに指摘されるんだけど、変かな?」
私のベースの髪型は黒髪ショートボブ。ここまでなら、ごく自然で、おそらく珍しいのは、前髪をシャギーカットして、極端なバランスに保っていることだろう。左側は目を超えるほどに長く、右側は、おでこの中間あたりまで切り上げている。
「セルフカットで調整できるからヘアカット代浮くし、ノート書く時とか、体育の時とか、片方だけは常に視界が確保できるから楽なんだけど」
私が説明すると、ゆきちゃんは軽く笑った。
「変じゃないわ。こだわりがあるのは良いことだよ。ただ、今の説明だと、セルフカットで前髪全部短くしちゃダメなのかな、とは思った」
「片方だけ長いのが、その、かっこいいかな、と思って……」
彼女の指摘に、私は持論を述べるけど、言葉が先細りになってしまう。
自分の口から、これはね、どこが、どう、かっこいいから、と説明するのは、意外と恥ずかしかった。
「そういうことね。ええ、格好良いわ。私は好きよ。そういう風にこだわれるの、いいなぁ。私は髪を短く切ったことがないから羨ましい」
ゆきちゃんは眉を八の字にしながら言う。
「そうなの? どうして切らないの?」
「親の方針で、髪型変えちゃダメなの」
ゆきちゃんは唇を尖らせながら答える。
私の目は、その先端に吸い寄せられる。
「それ、厳しくない? 娘の髪型に、そこまで細かく口出してくる親っているんだね」
今時、髪型を変えることに口出ししてくる親とは一体なんだ? 高校在学中に金髪や紫や緑に染めようとしたり、女子らしからぬ髪型にしようとして止められるのなら、まだ分かる。個人への評価や校則が前提であるためだ。
しかし、髪型を変えること自体許さないというのは初めて聞いた。こういうのも虐待と呼ぶのでは? と疑問がよぎった。
「髪型くらい、周防さんの好きにさせて欲しいよね。女の子なんだから、当然の権利じゃん」
そう憤ると、彼女は微笑んで、立花さん、共感してくれてありがとう、と言った。
「同級生だし、クラスメイトなんだから、さんなんて付けなくていいよ。名前で呼んで」
ここぞとばかりに私は押した。早めに呼び方をラフにしておかないと、仲良くなってからでは変えにくくなってしまうから。
「じゃあ、ゆりちゃん、って呼んでいい?」
ゆきちゃんは、少し恥ずかしそうに名前で呼んでくれた。
ああ、やっぱり苗字呼びよりも、こちらの方が断然良い。
「いいよ。ねえ、私も、ゆきちゃん、って呼びたい」
そう告げると、ゆきちゃんは笑顔で頷いてくれた。(これで合法的にゆきちゃんだ)
それから、しばらくの間、私達は髪型やメイクの話で盛り上がった。
ゆきちゃんのご両親は、髪型やピアスには厳しいけど、メイクにはやや寛容であるという。聞けば、派手であったり、個性的過ぎる化粧は、周囲へ与える印象が良くないのでNGだけど、化粧自体は女子としてのマナーであるため、試行錯誤して早めに習得し、その場面に応じたものを他人の手を借りなくてもできるようになっておけ、とのこと。なんとも勝手な言い草だな、と思った。
そうして話に夢中になるあまり、私の身振り手振りのせいで、ゆきちゃんの机上に置かれていた荷物とプリントに手を当ててしまい、床へとばら撒いた。
私は、ごめん! と謝りながら慌ててしゃがみ込み、散らばったプリントをかき集める。
「気にしないで。それに、一生懸命話してるの、可愛かったよ」
ゆきちゃんも床に屈み込みながら、フォローしてくれる。
「本当に、ごめんね」
拾い集めたプリントを手に。
謝りながら顔を上げた。
すると、彼女の顔が。
私の目の前にあった。
空間は、ほんの数センチ。
お互いの鼻が接触しそうなほどの距離。
時間が静止したかのような錯覚と。
吸い込まれそうなほど大きな、彼女の瞳。
その奥が覗き込める。
その眼には多分、魔力があった。
常識とか、自制心とか、そういうものを溶かす作用があった。
顔を前に出して、自分から。
数センチの距離を埋めた。
温かい感触と、柔らかな匂いがした。
私は、ゆきちゃんに、キスをした。
してしまった。
欲望が零れた。
目の前の彼女に。
惚れた相手、その本人に。
不躾にぶつけてしまった。
顔を離すと、ゆきちゃんが目を見開いている。
それを見て、ようやく私は正気に戻った。
自分は何をした?
「あの、ごめん……」
一言目に謝罪が出た。
しかし、どう考えても手遅れ。
謝って済むことではない。
なかったことにできるはずもない。
身体中の血が下方へと落ちていくのを感じる。
最悪の形で、彼女への好意が漏れ出てしまった。
肝を潰すも、後の祭りである。
どう受け取るだろう?
おふざけだと、笑って流してくれるだろうか?
いや、そんな甘い対処は期待できない。
顔が近くにあるだけでキスしてくる同級生を、例えば自分なら、どう思う?
おふざけ? 悪戯? いいや、どう考えても、好意が透けて見えるだろう。
十代半ばともなれば、さすがに察する。そういう恋愛もあると知っている。
終わりだ。
始まったばかりの高校生活を、ぶち壊しにしてしまった。
私の愚行はクラス中に広められ、気持ち悪いと罵られ、いじめられるに違いない。
心を絶望が占める。
ゆきちゃんが次の瞬間に発する言葉か、悲鳴が、審判の合図だ。
さようなら、私。
高校でも愚かなままだったね。
覚悟を決めていた私に向けて。
ゆきちゃんは妖艶に微笑んだ。
その笑みは、ぞっとするほどに美しく。
同時に、全てを見透かされたような感覚に陥り、私はたじろいだ。
「どぉして、キスしたの?」
ゆきちゃんが問いかけてくる。
とても楽しそうに。可笑しそうに。
口角を絶妙な位置で固定して、狂気を孕んでいると表現しても差し支えない表情を携えて。
さながら、獲物を逃すまいと迫る獣に見えた。
私は、あの、実は、ひと目惚れで、としどろもどろになりながら答えるが、ゆきちゃんは、ゆっくりと首を左右に振り、それを遮った。
「そんなのじゃあ、だめ。ちゃんとした言葉で説明して」
「……ゆきちゃんのことが、好き、だから、キスしました」
私は、どうにか声を絞り出す。
「それは、恋愛感情として好き、ってこと?」
「……はい」
誤魔化すこともせず、言い訳もできす、私は馬鹿正直に頷いた。そうするしかないと思った。
「ふうん、ありがとう」
ゆきちゃんは、私に笑いかけてくれる。
そして、そのままの表情で、私と見つめ合ったまま動かない。
私は、恥ずかしさと怖さでいたたまれなくなり、目を逸らす。
しかし、彼女は視線を外さない。
「あの……」
私は堪らず声を漏らす。
「なぁに?」
「いや、あの……」
聞きたいことは多い。というか、疑問しかない。
同性に好かれることに対して抵抗はないの? とか、許可なく唇を奪われたのだから、もっと嫌悪感を剥き出しにしても、おかしくないのに、とか。どうしてそんなに冷静なの? とか。
「私のどこが好きなの?」
「えっ?」
予想外の言葉に、私は余計、戸惑う。
「人から好きだと告白されたのも、キスをされたのも、初めてなの。それも、女の子にね。だから、私のどこを好きになったのか、すごく気になる。知りたい。教えて欲しい」
「どこ、と聞かれると、正直、顔が好み、っていう、失礼な答えになっちゃう。ひと目惚れだったから……」
私は白状した。
死ぬほど恥ずかしく、情けない有様だが、これくらいの誠意を見せなければ、私のしたことと帳尻が合わないだろう。これでも十分、手ぬるい報いだ。
「見た目が好みだったわけだ」
ゆきちゃんは頷きながら、私の言葉を復唱する。余裕の姿勢は崩れない。
「ごめん。こんなの失礼だよね」
「本当に好きなら、謝る必要はないと思う。ただ、見た目がタイプ、となると、う~ん……」
ようやく私から視線を外したと思ったら、ゆきちゃんは口元に手を当てて唸り始めた。
何が引っかかっているのだろう、と私は首を傾げる。
人から好きだと告白されたら、大なり小なり動揺するだろう。私は、それ以上のことをやらかしたわけだし、悩むのは至極当然の反応といえる。それは異性からの告白であっても同様であり、まして同性からのキスと告白のセットとなれば、尚更、冷静ではいられないと思う。けど、今のゆきちゃんの頭には、どうにも別のことがあるように見えた。
「ゆりちゃん、隣のクラスにも、周防って名前の子がいるの、知ってる?」
ゆきちゃんは口元から手を離し、黒板越しに隣のクラスを指差しながら聞いてくる。
「えっ? いや、知らない、けど……」
隣のクラス? 周防という名前の子? 本当に知らない情報だけど、それが私のしたこと、溢した想いに、何か関係があるのだろうか?
質問の真意を図りかね、黙っていると、ゆきちゃんはブレザーのポケットからスマートフォンを取り出して操作し始めた。
途端に、私の失態を晒すつもりだろうか、と不安に駆られる。
しかし、それは杞憂に終わった。
どうやら、メッセージを誰かに送っただけのようで、すぐに来るから、と笑顔で告げられた。
来る? 誰が? 何故? 疑問が渦を巻く。
彼女の綺麗な顔、そこに浮かぶ笑みに戸惑いを隠せず、ソワソワしていると、スライド式の扉が開き、一人の女の子が教室に入って来た。
その子の顔を見て、私は息が止まるほど驚いた。
ゆきちゃんが、二人いる。
いや、違う。そうではない。
一拍を置いて、理解する。
「見ての通り、私達、双子なんだよね」
ゆきちゃんが、さらりと言った。
「初めまして、周防さきです」
隣のクラスの周防さきちゃんが、丁寧にお辞儀しながら自己紹介をした。
笑顔が、そっくりだった。
白い肌、艶やかな睫毛、綺麗な黒髪。
バランスの良い二重に、水気を帯びた唇。
鼻筋、輪郭や背丈、体格までも、見れば見るほど似通っている。髪型が同じミディアムストレートなのは、あえて似せているのだろうか? ここまで鏡写しのような人を目にしたのは初めてのことだったので、まじまじと観察してしまう。
「そんなに見られると、恥ずかしいなぁ」
さきちゃんが口元に手を当てて身をよじる。
その動作が、あまりに慣れた様子だったので、冗談で言っているのか、本当に照れているのか、判然としない。
「あ、でね、ゆきから今、メッセージが送られてきたんだけど、立花さん、ゆきにキスして、告白もしたんだって?」
ゆきちゃんの方をちらと見ながら、さきちゃんが私に聞いてくる。
「あ……その、ええと……はい……」
頷きながら、ゆきちゃんの方へ視線を向けると、彼女はにこりと笑うだけで、言葉を発さない。自分の口から説明しなさい、という意味だろう。
「ゆきちゃんを、可愛いな、と思いながら話してて、私がプリントとか、ゆきちゃんの荷物を机から落としちゃって、それで、拾う時に顔が近くて、我慢できなくなって、キスしちゃって……」
「ふうん、それで?」
さきちゃんは笑顔で相槌を打ち、先を促してくる。
「それで、どうしてキスしたの? って、ゆきちゃんに聞かれたから、ひと目惚れでした、好きです、って……」
恥ずかしさが限界を超えている。説明は情けないくらいにしどろもどろ。
仕方ない。冷静とは程遠い。自尊心に至っては、とうに砕け散っている。
「なるほどねぇ」
さきちゃんは頷きながら、ゆきちゃんに視線を向ける。
「で、ゆき、返事どうするの?」
さきちゃんが、ゆきちゃんへ問いかける。
「どうしよっかなぁ」
二人は私の方を見ながら、二人だけで会話を始める。
「下の名前は、ゆりちゃん、だっけ? 顔、可愛いね」
「そう、ゆりちゃん。でさ、身体の華奢さ、たまらなくない?」
「思った。守ってあげたくなるタイプ、ってやつ?」
「そうそう。庇護欲そそるよね」
「構いたくなるタイプでもあるよね。正直、今、めっちゃ悪戯したい」
「それ、分かる」
「性格は素直そう」
「聞かれたこと全部答えたもんね」
「直情型っぽい。キスのくだりとか、そうじゃない?」
「そうだね。いきなり来たし」
自分の評価を目の前でされるなんて、初めての経験だった。
かなり、どぎまぎする。心臓に悪い。
同時に、こういうことをしてくるのは予想外だった。もしかしたら、外見の印象とは異なり、ちょっと性格が悪いのかもしれない。それでも、嫌いになんてならないし、なれない。完全に惚れた弱みである。
「私の好きなところは顔らしいよ」
「う~ん、外見が理由なら、私でもいい、ってことだよね」
「ねえ、ゆりちゃん。もし付き合えるなら、さきでもいいの?」
ゆきちゃんが急に問いかけてきた。
「同じ顔だよ~」
さきちゃんが笑いかけてくる。
その言葉を聞いて、私は、どういう感情で笑っているのだろう、と思った。
選ばれても、選ばれなくても、さきちゃんは傷ついてしまう。
最初に好きだと告げられたのに、選ばれなかったら、ゆきちゃんだって傷つくはず。
自分達から、こんなことを言い出しては、自傷行為と変わらない。
そして、そんな指摘をする資格は、私にはない。
さきちゃんの笑った顔は、ゆきちゃんにそっくりで、笑いかけられた私は、ドキドキしてしまっている。
最低だ。
二人の言う通り、顔が同じならば、どちらでもいいのだろうか?
ひと目惚れって、なんて身勝手な動機なのだろう、と今更に悔いた。
「どっちがいい、とか、どっちでもいい、みたいな選び方は、したくない。けど、ひと目惚れしちゃったのは事実だから、否定もできない。ゆきちゃんにキスしたのは、身勝手で良くないことだったし、外見を理由に告白したことで、さきちゃんに対しても、嫌な思いをさせちゃってる。ごめん」
私は視線を下げて、問いかけの答えになっていない、歪な言葉の羅列を二人に差し出した。
これは謝罪ではない。逃げただけだ。
これ以上、自分が罪を重ねるのが嫌だったから。
本当に最低である。
伏せていた視線を少しだけ上げると、二人はきょとんとした表情で私を見ていた。
「そういうの、気にするんだ」
ゆきちゃんがふき出しながら言う。
「思った以上に純粋だね」
さきちゃんが可笑しそうに続く。
「ねえ、良い子じゃん。振るの勿体ないよ」
「だね」
「告白、オッケーしちゃえば?」
「一緒に付き合ってくれるなら」
「勿論、そのつもり」
「約束は? 取り付けとく?」
「そうだね。伝えとこう」
私の目の前で、私の処遇が決められる。
「ゆりちゃん、おまたせ」
ゆきちゃんが、こちらに向き直る。
「条件が、みっつあります」
さきちゃんが指を三本立てながら言う。
「ひとつ、付き合うなら、私達ふたりと同時に付き合うこと」
ゆきちゃんが、さきちゃんの指をひとつ、たたむ。
「ふたつ、私達を平等に愛すること。分け隔てなく、隠し事なく、全く同じに」
さきちゃんが指をひとつ、たたむ。
「みっつ、私達から別れを切り出すことはあっても、ゆりちゃんの方から、やっぱり無理だったとか、別れたい、って言い出すことは許しません。浮気は論外」
ゆきちゃんが指をひとつ、たたむ。
「浮気されたら、刺しちゃうかも」
立てた指は全て畳まれ、こぶしになったその手で、刃物を突き出すような仕草をしながら、さきちゃんが付け加えた。
「それでも構わない、その覚悟がある、こんなおかしな双子と本当に付き合いたい、と思うなら、今ここで、ゆりちゃんの口から、ちゃんと告白して」
ゆきちゃんがまた、あの妖艶な笑みを浮かべて言った。
「私達、一人ひとりにね」
さきちゃんが、自分の顔と、ゆきちゃんの顔を交互に指差しながら付け加えた。
ふたりの説明を聞いた私は、しばし逡巡する。
これでいいのだろうか?
私が望んでいたのは、こういう関係?
付き合ってもいい、と言ってもらえたこと自体は素直に嬉しい。
想いが通じるとは思っていなかったし、これまでの人生においても、なかったこと。
同性が好き、という、普通と違う部分を認められただけでも、救われた気分だった。
この申し出は無下にしたくない。千載一遇だとすら思う。
けれど、二人と同時に付き合うなんて、非常識ではないだろうか? 相手に失礼だ、というのが、一般的な見解だろう。
……いや。
今更だ。
私のような人間が、常識や、失礼かどうかを語ることが既に、おこがましい。
私は女だけど、物心ついた頃から、女の子が好きだった。可愛いとか、愛らしいとか、そういう感情ではなく、恋愛感情を含む【好き】の対象として同性を見ていた。
それを自覚してからは、女の子とは一定の距離を保つよう心掛けてきた。
周りの人達とは違う感覚だと理解していたから。
それでも、女というのは鋭い生き物で、気づく子は気づいた。
露骨に避けられるようになった時期もあったし、真正面から、気持ち悪い、と言われたこともある。いじめにも遭った。
それ自体は、仕方ない、と諦めていた。
ズレているのは自分の方で、普通ではないから。
皆とは、感覚も、考え方も、欲情する対象も違う。
そんな私に、さきちゃんと、ゆきちゃんは、チャンスをくれる、と言う。
分かりやすく、付き合ってもいいよ、と言葉にして。
断わるなんて無理だった。
私は寂しかった。
こんな自分を受け入れてくれる子がいるなんて思ってもみなかった。
けど、目の前に二人も現れた。
逃したくない。
この機会も、この二人も。
私はどこまで、最低な人間なのだろう。
私は背筋を伸ばし、まず、ゆきちゃんの前に立つ。
ゆきちゃんは、へえ、と声を漏らしながら、私を上目遣いに見る。
「周防ゆきちゃん」
「なぁに?」
ゆきちゃんが笑顔で応じる。
「好きです、付き合ってください」
「……はい」
ゆきちゃんは嬉しそうに頷いてくれた。
次に私は、隣に立つ、さきちゃんに顔を向ける。
「周防さきちゃん」
「はぁい」
さきちゃんは、私に一歩近寄りながら返事をする。
「好きです、付き合ってください」
「うん、いいよ」
さきちゃんは、私の手を取りながら頷いてくれた。
「……ありがとう」
私は二人に礼を述べてから、自分が置いた椅子へ、崩れるように腰かけた。
緊張し過ぎて吐きそう。手足はがくがく震えているし、身体のあちこちから汗が噴き出している。心臓が胸を叩き過ぎていて痛い。深呼吸しようとしたら軽く眩暈がした。
「よく頑張ったね」
私の様子を見かねてか、ゆきちゃんが頭を撫でてくれた。
「本当に告白してくるなんてねぇ」
さきちゃんが握った私の手を撫でながら言う。
「……本当に付き合ってくれるんだよね?」
よぎった不安から、私はすぐさま確認した。
これで、冗談でした、とか、嘘でした、なんて言われたら、教室の窓から飛び降りそう。いや、本当に飛び降りるだろう。
「大丈夫、安心して。私はもう、ゆりちゃんの彼女だよ」
さきちゃんが、私の手の甲にキスしながら言う。
唇が触れた瞬間、私の身体は、びくん、と反応した。気づけば、さきちゃんからも名前で呼ばれていた。
「私もね」
ゆきちゃんが、私の頭を抱きしめながら言う。甘い、良い匂いがした。
これのおかげか、ようやく安心できた。
少し落ち着いたためか、あることが気になった。
この二人、スキンシップが、やたらに多い。
付き合い始めたから、こうなのだろうか?
いや、記憶が正しければ、告白前から結構触られていた。ということは、女子相手なら誰に対しても、こうなの?
それは……嫌だなぁ。
ベタベタするのは、私だけにして欲しい。
早速、独占欲が顔を出す。
「私から呼ぶ時は、ゆきちゃん、さきちゃん、でいい?」
余計なことを口走らないよう、私は当たり障りのない話題を出して、自分の思考を攪拌する。
「いいよ~」
二人は同時に、同じ笑顔で頷いた。
「じゃあ、ゆりちゃん」
かけられた声に反応して、さきちゃんの方を向くと、彼女は顔を近づけてきた。
「えっ、あの……」
思わず身を引き、後ろに下がるけど、さきちゃんは止まらない。
教室の窓際に追い詰められた私は、さきちゃんにキスをされた。
「明日から、よろしくね」
唇を離した、さきちゃんは、私の耳元で、そう囁いた。
私は驚きと緊張、そして興奮から言葉に詰まってしまい、何も返せなかった。口だけが中途半端に開いている。
「また明日」
今度はゆきちゃんが、私の額にキスをした。
ああ、そうか、と私は納得する。
今ので、唇にキスした回数は同じになった。
私の遅延した思考には気づかず、もしくは気に留めず、ゆきちゃんは、にっこりと笑ってから、プリント類を鞄へ仕舞い、さきちゃんと一緒に教室を出て行った。
私は椅子に座った、そのままの姿勢で、起きたことを反芻する。
ひと目惚れした相手に、想いがバレてしまったこと。
惚れた相手は双子だったこと。
二人同時に付き合うという、一見すれば最低な二股(?)が条件として提示されたこと。
それを自分の意志で引き受けたこと。
人生初めての告白は、おそらく誰もしたことがないであろう、双子の女の子へ、しかも目の前で、一人ひとり行う、というものだったこと。
女の子ふたりに連続で愛を伝え、そのふたりから承諾を得られた。
惚れた相手と付き合えることになって嬉しかった。
女の子同士なのに、受け入れてもらえて幸せだった。
ふたりと同時に付き合う、という部分だけ予想外だったけれど。
生まれて初めてキスをして、キスをされた。
十五年生きてきて、これほど激動の時間を過ごしたことはなかった。
夢幻でないことは分っているけれど、未だに頭は追いついていない。
口の周りに温かな液体が流れてきた。
指先で触り、確認すると、それは鼻血だった。
「……そりゃ、出るよね」
意味不明な言葉を呟きながら、しばらくの間、それを拭うこともせず、全身を緩めたまま、私は呆けていた。
それから、私の高校生活は一変した。
ただでさえ始まったばかりだというのに、ゆきちゃんと、さきちゃん、ふたりの女の子と同時に付き合い始めたのだから、変わりもする。
さきちゃんは、廊下ですれ違う時、私の髪を触ってくれる。
ゆきちゃんは、教室で席に着くと、私の手や膝に触れてくれる。
ちょっとしたことだけど、それが私にとっては何より嬉しくて、付き合っている実感をもたらした。私だけを特別扱いしてくれている。ふたりの気持ちは本物で、ふたりの意識が自分へと向いている、そう理解できるので、気持ちが満たされる。
ふたりはよく、自分達は双子だから、どっちがどっちでも変わらない、私が名前を呼び間違えても気にしないし、どちらにも気兼ねなく、同じように接してくれていいから、と言う。
けれど、私は、その優しさには甘えたくなかった。
確かに初対面の時は、とてもよく似ている、という感想を抱いた。顔の造形も、肌の白さや透明感も、手足の長い羨ましいスタイルも、話し方や雰囲気まで似ていると思った。髪型は、意図的に似せているんだろうけど。
しかし、よくよく見れば、細部は異なると分かる。
外見然り、性格なんて全然違うんだ、と知った。
少なくとも、私は見分けがつくようになったし、どこが違うのかを述べられる。
例えば。
からかってくる回数は、ゆきちゃんの方が多い。
同じクラスだから、その機会が多いのもあるだろうけれど、悪戯を考えて、それを実行すること、ちょっかいをかけることを楽しんでいるように見える。
笑った時の口角の上がり幅が大きいのも、ゆきちゃんだ。
私が最初にゾクッとさせられた、あの妖艶な笑い方をすると、さきちゃんとの差は、より顕著になる。
あと、体育が得意なのも、ゆきちゃんだ。
これは本当に微妙な違いなのだけど、球技などでボールを触ると、そのコントロールに差異があると気づいた。
私の身体を触る頻度が高いのは、さきちゃんだ。こんなこと言ったら、怒るかな?
最初は、クラスが違うから寂しいのかな、と思ってたけど、どうにも、ただ触りたいだけみたい。触り方は執拗で、やらしい。(ちなみに全然嫌じゃない。むしろ好き)
さきちゃんは、メイク道具を扱うのが上手。
何度かメイクを教えてもらったけど、塗りが丁寧で、指先の動きが柔らかい。ラインを引く際は特に、その精密さが際立つ。一ミリもズレない。失敗どころか手直しするところすら見たことがない。お箸も上品に使う。元々手先が器用なんだと思う。ちなみに、そういう手元に集中しなきゃいけない時には、若干目が細くなる。集中が目に現れているのだと解釈してる。
こういう差は、実際には、ほんの少ししか表面化しない。ぼんやりと眺めているだけでは、二人共、運動神経が良く、手先も器用で、お喋りも上手で、勉強もできる、美人で優しく、人当たりの良い双子、程度の理解に留まるだろう。
ふたりのコミュニケーション能力は極めて高いので、すぐにクラスの皆と仲良くなったけれど、ゆきちゃんと、さきちゃんを、きちんと見分けることができる人は、私以外にはいない。
当然、クラスの人達からの二人への評価は紙より薄っぺらい。
一体、どこを見ているの? 毎日、何を見ているの? と問い質したくなるくらいに軽薄。
沢山ある二人の魅力を私だけが知っているなんて勿体ないと思う反面、このまま独り占めしていたい、とも思うのだった。
放課後は街に繰り出して、メイク道具を一緒に買ったり、服を見て回ったりする。
二人は私よりもずっとお洒落に詳しいので、色んなことを教えてもらった。教室でメイクも教わり、道具も貸してくれて、実際にやらせてくれたり、実践してみせてくれた。あと、生まれて初めてマニキュアを塗ってもらった。自分の爪がこんな風に変わるなんて驚きだったけど、いざ自分でやってみると、全然上手くいかなくて、酷い出来の爪を、なにこれ、って三人で笑いながら何度も試して遊んだ。
毎日が、すごく楽しかった。
恋愛関係に発展させることができて本当に良かった。
友達同士という関係でも、似たような日々を送ることはできたかもしれない。でも、友達という距離が限定された形式で、こういう親睦を深めるようなことをしていると、胸が、どんどん苦しくなったろう、と簡単に想像できる。経験したことが無いので、想像でしか言えないのだけど、好きな男の子相手に女友達を演じ続けなければならない苦しさ、歯痒さ、もどかしさにも似ているんじゃないだろうか。
手が届く距離にいるのに、自分の気持ちを伝えられない。
伝えてしまったら、関係が崩壊してしまうかもしれないから。
そうなるのは怖いけど、そのままの関係を続けるのも、また辛い。
好きな人に好きな人ができたら、どうしようと、毎日毎日、小さな不安を抱えて過ごすことになる。それでも、いつも通り、その大好きな相手に接しなくてはならない。もし万が一、自分以外の誰かばかりで構成された恋が実ってしまって、自分が部外者に成り下がってしまったら、と想像しただけで吐きそうになる。実現してしまったら、私の精神では到底、耐えられないだろう。
大丈夫。
大丈夫。
今の私は、その種の心配や不安とは無縁。
好きな子が自分の彼女で、好きな子がふたりもいてくれて、楽しく時間を過ごしてくれて、感情を共有できて、些細な事でも笑い合える。
こんなに素敵なことはない。
幸せだ。
私は幸せ者だ。
そこまでしてくれているのに、私は欲張りだから、二人が他の子と話しているのを見ると嫉妬してしまう。男子と言葉を交わしている姿を目にすると嫌な気持ちになる。
捨てられたら、どうしよう。
ふと、想像してしまう。
明日、突然、別れ話をされるかもしれない。
ふいに、妄想してしまう。
そんなことを考えてどうするの? という、本当にどうしようもない想像を、それでも、連想から、どうしてもしてしまう瞬間がある。
こんなに幸せなのに。
こんなに満たされているのに。
どうしてだろう?
考える。
理由は多分、私が二人を真に理解できていないからだ。
私は、ゆきちゃんのことも、さきちゃんのことも、大好きだ。
二人共、綺麗で、優しくて、いやらしくて、愛おしい、大切な私の彼女達。
だけど、こうして言葉にして並べてみると、よく分かる。
私は二人を、まだまだ上辺でしか知らないのだと。
もっと【ふたり】のことを知りたい。
独り占めするために、別れ話なんて絶対に出てこなくするために。
ふたりのことを深く理解した上で交際を続けたい。
熱に浮かされただけでした、なんていう終わりは御免だ。
身体だけの関係や、お遊びや、お試しの付き合いなんて大嫌い。
ふたりからの告白を勢いに任せて、二つ返事で受けた私が言えることじゃないかもしれないけれど、少なくとも私は軽い気持ちで、この関係を結んだつもりはない。
中学の頃とは違うと断言できる。
あの時期は、周りに色々言われたっけな。
その【好き】は、おかしいよ。
普通の恋愛しなよ。
そういう目で見てくるとか無理。
女子なら誰でもいいんでしょ?
やめて。近寄らないで。
気持ち悪い。
尻軽女。
変態。
あぁ、しまった。
思い出したら、もやもやしてきた。
けど今なら言い返せる。胸を張れる。
今しているこれは本気の恋なのだと。
私は、ゆきちゃんの美しさに惚れた。
私は、さきちゃんの優しさに惚れた。
あのふたりの彼女になりたいと思った。
誰でも良かったわけじゃない。
好きになったから、好きだと伝えた。
ふたりは、私の想いを受け止めてくれた。
だからこその今である。かけがえのない現実を得られた。
この事実を自信に変えて、明日も、さきちゃんと、ゆきちゃんと、お話をしよう。
明後日も、その先も、ずっと、ふたりの彼女でいられるように。
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