第二章 私を挟む影はふたつ

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第二章 私を挟む影はふたつ

 入学式を終え、授業も始まり、部活に入った生徒達は、帰宅時間が遅くなっていく。  ライフサイクルは変化して、交友関係も広げて、新たな環境に適応しようと懸命に。  そんな中、訪れる次の行事は、身体測定と健康診断。  小学校、中学校と二度も新入生を経験したので、さすがに覚えた。  身体測定は体育の時間に組み込まれるらしい。これも慣れたもの。まったく苦ではない。もう伸びないであろう身長と、特に気にしていない体重を測るだけ。  問題は健康診断のほう、特に内科検診で、人前で服をはだけさせ、胸やお腹を露出させるという行為が、私は好きじゃない。これはおそらく私だけじゃない。女子の大半は同じ気持ちだろうと推察できる。男子達は先生の指示がなくても制服の学ランを脱ぎ、喜々として上半身を露出させて騒いだりするけれど、あんなふうに自分から脱いで体つきを自慢したり、おふざけの一環として面白おかしく披露するなんて真似は真似できない。したいとも思わない。  その健康診断が、今日、ある。  そのせいで、私は朝から気落ちして、教室の自分の席で小さくなっていた。  ゆきちゃんは何故だか御機嫌だった。彼女の私がいうのだから間違いない。 「ゆきちゃん、今日の内科検診で服脱ぐの、嫌じゃないの?」  気になったので聞いてみた。 「私は楽しみだよ」  ゆきちゃんは言葉通り、笑顔で答える。 「どうして?」 「決まってるじゃん」  ゆきちゃんは、そう応えてから、机越しに私の耳元へ顔を寄せる。 「ゆりちゃんが服をはだけさせて、恥ずかしがってるところを見られるから。それも、他の人の前でね」  ゆきちゃんは、そう囁いた。 「もう、変態」  口ではそう返したけど、内心、やめて欲しいという気持ちは無くて、むしろ私の反応や、私の身体に興味を持ってくれていることが嬉しかった。私も大概、変態である。  三時間目、ついに先生から移動の指示が出た。  廊下で男女別に、それぞれの教室へ向かう。私達女子に割り当てられたのは一つ上の階にある視聴覚室だった。  階段を上りながら、私はゆきちゃんと雑談を交わす。 「ゆりちゃんの趣味って、なあに?」 「読書かな。小説とか、それ以外のジャンルでも色々、とにかく本読むのが好き」 「じゃあ、インドア派?」 「どっちかっていうと、そう。スポーツも嫌いじゃないけど、学校の体育以外でも球技や水泳とかをしたいか、って聞かれたら、答えはNOだね」 「てことは、部活に入る予定もなし?」 「うん、今のところ、なし」  私は頷き、肯定する。 「そっか、それは良いことを聞いた」  ゆきちゃんは嬉しそうに、自分の手を合わせる。 「どうして?」 「私も、さきも、部活には入らないの。で、ゆりちゃんも、いつも放課後空いてるなら、毎日寄り道して遊べるなぁ、って思って」 「ふたり共、結構、悪い子だね」  ゆきちゃんの頬を指で突きながら、私は言う。 「そうだよ。私達は悪い子だぞぉ」 「当たり前かもしれないけど、第一印象と結構違った」 「そりゃ、そうだよ。第一印象なんて、それこそ、いくらでも取り繕えるんだから」  ゆきちゃんは澄ました表情で、そう言った。  視聴覚室に着くと、私達は出席番号順に整列させられ、先頭の子から順に、仕切りの向こうへと吸い込まれ始める。先生から、仕切りの近くまできたら、制服のリボンを外して、ブレザーとシャツのボタンを開けておくように、と指示された。  私は嫌々リボンを外して、ブレザーの前ボタンに指をかける。途端、前に立つ、ゆきちゃんが、私の方をちらちらと確認し始めた。  私が、もう、と小さな声で言うと、ゆきちゃんは振り向き、にっこりと笑った。  仕切りが近づいてくるにつれ、私は今頃になって、診察するのは女のお医者さんだろうか、と不安になった。医療行為とはいえ、さきちゃんと、ゆきちゃん以外の人に身体を触られるのが嫌だった。それが男の人であれば尚更に嫌。 私は反射的に、前に立つゆきちゃんの手を握った。クラスの人達に見られるかもとか、じゃれるな、と先生に怒られる可能性は頭になかった。  ゆきちゃんは振り向き、私の顔を見ると、何を思ったか、私の胸を鷲掴みしてきた。 「えっ? ちょっと、ゆきちゃん!」  私は声を押し殺して呼びかける。 「意外と、あるね。ゆりちゃん、着痩せするんだ」  ゆきちゃんは視線を私の胸に固定して呟く。 「ダメだってば」  私は自分の胸から、ゆきちゃんの手を引き剥がしながら言う。 「気が紛れたでしょ?」  ゆきちゃんが笑顔で言った。 「……そっか。気づいてくれてたんだね」 「不安そうな顔してた」 「ありがとう」  私は、ゆきちゃんが気遣ってくれたのだと理解して胸が熱くなった。揉まれた影響も多少ある。 「でも、着痩せするのはホントだね。Cくらい?」  自分のブレザーとシャツの前を開けながら、ゆきちゃんが聞いてくる。男前に映る、その思い切りの良さに見惚れつつ、私は答える。 「うん。ゆきちゃんは?」 「私と、さきは、ふたり共Dカップ」 「おっきいね」 「えへへ」 「もしかして、身長も同じ?」 「そう、ふたり共165ジャスト」 「私より5センチ高いね」 「あれ? もう少し差があると思ってた。ゆりちゃん細いからなぁ」  話していると、ついに、ゆきちゃんが先生に呼ばれた。促されるまま、仕切りの向こうへ連行される。  それを見て、私は自分の背筋に悪寒が走るのを感じた。  理由は単純明快で、自分の身体をふたり以外に触られるのは勿論嫌だけど、ふたりの身体を私以外の人間が触るのも、同じくらい不愉快だったから。  理不尽な不快感と病的な独占欲を抱きながら、私は仕切りの前で落ち着きなく身体をゆする。  ゆきちゃんは、すぐに出てきた。  私の顔を見てくすりと笑い、大丈夫だから、と囁いて視聴覚室を出て行く。診察が終わった生徒から各自、教室へ戻る手筈だった。  私は先生に促されて、仕切りの向こうへ進む。お医者さんは女の人だった。女医さんである。先程までの不安は解消されたけど、気づいてしまった別の事実に急かされて、診察の内容など、どうでもよくなっていた。聴診器を当てられ、はたして意味があるのか分からない、形だけのような診察を終えた私は、制服のボタンを留めるのももどかしく、急ぎ足で視聴覚室を後にする。  教室への階段を駆け降りて、ゆきちゃんに追いつく。 「あれ? ゆりちゃん、早かったね」  そう告げてくる、ゆきちゃんに、私は何も言わず、代わりに抱きつき、キスをした。  ゆきちゃんは一瞬硬直したけど、すぐに抱きしめ返してくれた。  数秒して、顔を離す。 「いつも強引だね」  ゆきちゃんが笑いながら言う。  その言葉を聞いて、告白する前にしたキスを指しているのだと気づき、顔が熱くなった。 「そんなに身体触られるのが嫌だったの?」  ゆきちゃんが首を傾げながら聞いてくる。 「それよりも、私以外の人が、ゆきちゃんに触れるのが嫌だった。だから、上書きした」  私は素直に答える。  これ以外の理由はないし、これ以上に大切なこともない。  それを聞いたゆきちゃんはふき出して、私の頭を撫でてくれた。 「惚れ込んでくれるのは嬉しいけど、ちょっと心配になるなぁ」 「ダメ? 重い? 気持ち悪い?」  私は矢継ぎ早に問う。独占したい気持ちは本物だけど、引かれてしまっては本末転倒。 「引いてるように見える?」  ゆきちゃんは目線を下へ向け、確認するよう促してくる。  それに従い、視線を下げて、気づく。  キスする時に抱きついて、そのままだった。ゆきちゃんは私を離していない。彼女の腕から伝わってくる力と熱が、私に向けられている感情なのだと理解して、安心できた。  私が口を開くより先に、上の階から足音が近づいてきた。診察を終えた後列の生徒だろう。 「伝わった?」  ゆきちゃんは私から身体を離し、代わりに私の手を取りながら聞いてくる。 「うん、伝わった。ありがとう」  その手に引かれ階段を降りながら、私は頷き、お礼を言う。 「それ、教室に入る前に留めときなよ?」  ゆきちゃんに指摘されて、ようやく思い出す。シャツとブレザーのボタンが開けっ放しのままだ。  私は慌てて留めようとしたのだけど、ゆきちゃんが繋いだ手を放してくれないので、片手で四苦八苦しながら、どうにか教室に入るまでに取り繕った。  席に着きながら、ゆきちゃんを上目遣いで睨むと、彼女は微笑み、机の下で再び、私の手を握るのだった。  放課後、いつも通り、さきちゃんが教室に来てくれた。  顔を合わせてすぐ、私はさきちゃんにキスをした。 「積極的だね」  顔を離すと、さきちゃんは教室内を確かめるように見回しながら言った。  私達以外のクラスメイトは皆、部活や即帰宅などで既に出払ったことを確認してからキスしたので、私にしては珍しく余裕があった。それを知らないさきちゃんが周囲を気にしているのが、なんだか可笑しくて、可愛くて、新鮮だった。  私は視聴覚室での内科検診、その時に自分が考えたこと、感じた不安と独占欲を、さきちゃんに話した。  聞き終えたさきちゃんは、笑いながら抱きしめてくれる。 「もう、ゆりちゃん可愛い!」 「正直者だよね」  机に腰かけたゆきちゃんが言う。 「ばか正直過ぎだよ」  そう言いながら、さきちゃんは、より一層強く私を抱きしめた。ちょっと痛かったけど、愛情の強さを感じられて嬉しい。 「ねえ、ゆきは、その時、ゆりちゃんの肌見たんでしょ? 私はまだだから見せてよ」 「え? 今? ここで?」  私は反射的に自分の胸元を両手で押さえる。 「なんで隠すの? 見せてあげなよ」  言いながら、ゆきちゃんが私の手を掴み、身体から引き剥がす。  さきちゃんが、待ってましたとばかりに無防備となった私の胸元からリボンを外し、シャツのボタンを手早く開けた。こんなところで手先の器用さを発揮しないで欲しい。  あっという間に私の胸元ははだけて、鎖骨と谷間、ブラジャーまで露出する。 「ちょっと、開け過ぎだって。ゆきちゃんも、ここまでは見てないよ」 「今見たよ」  ゆきちゃんが屁理屈を言う。 「肌真っ白だね、綺麗」  さきちゃんは、そう言って、私の鎖骨にキスをした。振れた唇は肩の方へと這わされる。  唇の感触と愛でられている事実は気持ち良かったけれど、広げられたままの胸元が気になって仕方ない。教室の扉が開いて誰かが入ってきたら、隠すのは間に合わないだろう。 「ねえ、マーキングしてあげようか? 私達のものです、って」 「えっ?」  さきちゃんは言うやいなや、私の鎖骨のすぐ下辺りに唇を当てて、思いっきり吸った。  声を漏らすと、ゆきちゃんがキスをしてきて、私の口を塞いだ。 「ほら、できた」  さきちゃんの声を合図に、ゆきちゃんも顔を離す。 「私も付けてあげる。いいよね?」  ゆきちゃんが、さきちゃんと場所を入れ替わりながら聞いてくる。 「うん、付けて欲しい」  私が頷くと、ゆきちゃんは笑みを浮かべて、先程さきちゃんが吸っていた箇所の隣に口をつける。 「さきちゃん、口、塞いで」  そうねだると、さきちゃんは嬉しそうに笑って、私にキスをしてくれた。  それを認めてから、ゆきちゃんが思いっきり私の肌を吸った。痛かった。  でも、それが嬉しくて、嬉しくて、私は、どうしようもない変態で、もうどっぷりと、ふたりに依存してしまっているのだと自覚した。    私達が通う高校は坂の上に位置している。  それは緩やかなものだけど、やや長い。石畳の歩道の横には葉桜が混じり始めた並木があり、その向こうに二車線の車道が走る。坂の上には高校以外に目立った建物がない。そのためか、登校中くらいしか、走る車の姿を見ない。 「ゆりちゃんの髪型、他の形にも、いじれそうだよね」  教室からの帰り道、ゆきちゃんが私の髪を触りながら言った。 「ポンパドールとか?」  私は前髪を一房持ち上げながら言葉を返す。 「そうそう、そういうの。前髪は長めだからできそう」  言いながら、ゆきちゃんは私のおでこを触る。くすぐったくて、自然と笑みが零れる。 「ゆりちゃん、髪型詳しいよね」さきちゃんが言う。 「一時期、尖った髪型にしようとして、色々調べたんだ」 「そうなの? 挑戦するだけしてみればいいのに」 「試したした結果が、これ」  私は前髪を指差しながら言う。 「そう、これ、気になってたんだよね」  さきちゃんが私の前髪に触る。 「片側だけ長いよね。わざとなの?」 「わざとだって。こっちの方が格好いいかな、と思って、やってるんだよ」  ゆきちゃんが私の代わりに説明する。  確かに私の口からも、そのように説明したけど、できればもう少し濁して欲しかった。自分で言ってても恥ずかしかったのに、彼女から彼女へ説明されると、また格別の恥ずかしさがある。 「へえ、そうなんだ……」  さきちゃんは頷きつつ、私の前髪から指を離して。  その指で、その手で、私の頭を掴んだ。  並んで歩きながら引き寄せられる。  ぶつかるように身体が接触して。  お互いの顔が一気に近づく。  整った顔と、私を睨む目。 「ゆきには説明してたんだね。私は、今初めて聞いたよ?」 「あっ……そうだ。ごめん、ごめんね」  私は慌てて謝る。  初めにふたりと交わした約束を思い出す。 【二人を平等に愛すること】  どちらかにだけ自分のことを話し、どちらかには話していない、というのは平等性に欠ける。こういうところから関係は破綻するのだ。  分かっているつもりだったけど、複数人と付き合う、というのは、難しいことなのだと改めて思い知った。 「今、私が伝えたから、いいじゃん」  ゆきちゃんがフォローしてくれる。 「……次は怒るからね」  さきちゃんは口を尖らせつつも、渋々と言った様子で引き下がり、私への拘束を解いた。  これでまだ怒ってないの? 本気で怒ったらどうなるかが怖いんだけど。 「ワックスとかヘアスプレーって使う?」  ゆきちゃんが話題を変える。  気を遣わせちゃってるな、と反省しつつ、私は、その話題に乗っかる。 「梅雨の時期とか、夏の天気大荒れしてる時に使うかな。素の状態だと湿気とか風で髪型ぐちゃぐちゃに崩されちゃうから。あとはやっぱり、お洒落して街に出掛ける時に使うよ」 「普段使いじゃないんだね。うん、確かに素髪の感触だった」  さきちゃんが自分の頭を指しながら笑って言った。たった今掴んでみての感想、ということだ。 「学校来る前にワックスとスプレーでヘアセットはねぇ。流石に面倒臭くてさ。髪も痛むし」 「わかる。なんだかんだ、ヘアケアするので精一杯だよね」  さきちゃんが頷き、共感してくれる。  ゆきちゃんが歩いている私の後ろへ回り、私のそう長くない襟足を器用にまとめて、自分の手首から髪ゴムを移動させて縛る。 「これ、可愛くない?」  ゆきちゃんが、さきちゃんへ問う。 「小さいポニーテールかぁ。私はもう少し、長いのが好きかな」  さきちゃんが結ばれた私の髪を触りながら答える。 「髪、伸ばそうか?」 「でも、ロングのポニーテールって、男子が好きな髪型でしょ?」  ゆきちゃんが髪ゴムを外しながら言う。 「あ、そっか。ゆりちゃんに色目使われたりしたら、嫌だね」  さきちゃんが私の髪を指で梳きながら応じる。 「もし、そうなったら、嫉妬してくれる?」  私は、ふたりの顔を交互に見ながら問う。 「そりゃ、するよ」さきちゃんが頷く。 「するね」ゆきちゃんも頷く。 「え~嬉しい」私は心中を素直に伝える。 「そうなの? 重たい、って言われるのを想定してたんだけど」  さきちゃんが笑いながら言う。 「重くない愛は、愛じゃないよ」私は持論を述べる。 「名言だね、それ」ゆきちゃんが笑いながら言う。 「話してて思ったんだけど、ゆりちゃんって結構、重たいよね。嫉妬深いし」  さきちゃんが私の頭を撫でながら言った。  スキンシップをしながらなので、引かれているとも、責められているとも受け取らない。(そう受け取りたくないのもある) 「別に、普通だと思うけど」  私は唇を尖らせながら反論する。  付き合っている相手が自分以外と楽しそうに会話していたら、嫉妬の一つもしてしまうだろう。これは、異性間の恋愛、同性間での恋愛問わず、共通の認識ではないだろうか? 「あ、その顔、可愛い」ゆきちゃんが茶化す。 「風邪ひいたりしたら、ゆりちゃんは毎日お見舞いに来そう」さきちゃんが言う。  依存度を測られている、と察する。 「そりゃ行くよ。心配だもん」 「じゃあ、骨折とかして、入院したら?」  ゆきちゃんも乗っかってくる。 「入院直後は心配だから、学校休んで、朝からお見舞いに行く。治ってきたら、学校終わりに毎日様子見に行く」  私は、実際にそうなったらと想像しながら答える。 「ああ、それっぽい。やりそう」  さきちゃんがふき出しながら頷く。 「具体的な答えが返ってくる辺りが、ゆりちゃんらしい」  ゆきちゃんも笑いながら続く。 「あ、ねえ、ふたりは持病とかある? もし万が一、何かあった時とか、知らないのは怖いから、今のうちに聞いておきたい」 「持病とかは、ないよね?」  さきちゃんが、ゆきちゃんに問いかける。  ゆきちゃんは視線を宙に向ける。考えているようだ。 「うん、特にない、はず。身体は丈夫だよね、私達」  しばしの間を置いて、ゆきちゃんが答えた。 「あ、でも、幼稚園の時に喘息が悪化して、入院したことがある、とは親から聞いた」  ゆきちゃんが手を叩きながら付け加える。 「あ、それ、聞いたかも。ふたり同時に喘息が出て、同時に悪化して、ふたり共、入院したんだよね」  さきちゃんが、自分とゆきちゃんとを交互に指差しながら言う。 「そう、それそれ」ゆきちゃんが頷く。 「こんなところまで似なくても、って、お母さんに言われたのを覚えてるよ」  さきちゃんが呆れ顔で言う。 「あ~言われたね。う~ん、思い出したら、むかついてきた」  ゆきちゃんが眉間に皺を寄せながら言った。 「そんなことがあったんだね。今はもう喘息ないの?」  私はゆきちゃんの眉間を指で撫で、皺を伸ばしながら聞く。綺麗な顔に、こんなものを刻んではいけない。 「今は、ないね。大丈夫」  さきちゃんが、言葉とは全然無関係に、私の空いている左手を握りながら答える。  自分も構ってよ、という意味かな。そういうことにしとこう。  私達は下校するその足で街へ向かい、手近なカラオケ店に入った。  受付を済ませて、個室へ移動。  ギリギリ二時間くらいは歌えるかな、とさきちゃんが言う。 「てことは、帰りは七時過ぎるね。ふたり共、大丈夫? 親に怒られない?」  私は機械のつまみをいじって、マイク音量を調節しながら問いかける。 「全然、大丈夫。うちは両親共働きで、帰ってくるの夜中だから」  さきちゃんにマイクを渡しながら、ゆきちゃんが答える。 「口出ししてくることは多いし、基本、束縛激しいけど、バレなければ何やってもいい、が私達の家訓」  さきちゃんが可笑しそうに付け加えた。 「ゆりちゃんは帰り遅くなっても大丈夫なの?」  充電器からデンモクを取りながら、ゆきちゃんが聞いてくる。 「うちもお父さん帰ってくるのは遅めだから、八時くらいまでは安全圏」 「あ、お父さんが緩い感じ?」  さきちゃんが私にマイクを渡しながら聞いてくる。 「てことは、お母さんが厳しいパターンじゃないの?」ゆきちゃんが続く。  何と返そうか、一瞬、悩んだ。  この場でカミングアウトすると、空気悪くしそうだなぁ、と躊躇したけど、いずれどこかで言わなければならないことだ、と思い直して口を開く。 「うちね、お母さんいないんだ。お父さんと二人暮らしなの」  できるだけ、さらりとした口調を意識して答えた。  けれど、その瞬間に、ふたりの動きが止まった。  ゆきちゃんは手にしていたデンモクをテーブルに置いて、私の右隣に座り、私を抱きしめながら、ごめん、と謝った。  さきちゃんは私の左隣に座り、無言で手を握ってくれる。 「う~ん、こういう話すると、どうしても暗くなっちゃうね。難しいだろうけど、気にしなくて大丈夫だよ。私が物心つく前の話だから、あんまり記憶もないし、本当に平気だから」  私は明るい声で告げる。 「ううん、私が無神経だった。ごめん」  ゆきちゃんが腕に力を込めながら言う。 「……じゃあさ」  私は、ふたりの両肩に手を回しながら言葉を続ける。 「ゆきちゃんと、さきちゃん、ふたりで同時に私を抱きしめてよ。甘えさせて?」  そうねだると、ゆきちゃんは私の首に抱きつき直し、さきちゃんは私の腰回りにがっちりと抱きついてくれた。 「ああ、幸せ……」  私は吐息と共に感想を漏らす。生きてて良かった。 「……これさ、ゆりちゃんを喜ばせてるだけな気がする」ゆきちゃんが呟いた。 「そりゃ、だって、ゆりちゃん、気にしなくていい、って言ったし、正直、抱きしめて欲しかっただけでしょう?」  さきちゃんが冷静に聞く。図星である。 「ゆきちゃん、さきちゃん、ありがとう」  私は、ふたりに礼を述べながら、抱き寄せていた腕を離す。 「さあ、そろそろ歌おう。時間無くなっちゃうよ。せっかく私達を止める人がいない、自由な空間なんだから、好き勝手やらないとね」  私はそう言いながら、テーブルからデンモクを取る。 「なにその理屈」さきちゃんがふき出す。 「まあ、ゆりちゃんが元気になれたなら、良かったかな」  ゆきちゃんはマイクを持ちながら、笑いかけてくれる。  私の彼女達は、どこまでも優しい。 「ゆりちゃんは、どんな曲歌うの?」さきちゃんが聞いてくる。 「ええっとね、こういうのなんだけど、大丈夫かな? 引かない?」  私はデンモクの画面に好きなヴィジュアル系の曲リストを表示させながら、ふたりに見せる。 「えっ? うそ、うそ! ゆりちゃん、ヴィジュアル系好きなの?」ゆきちゃんが驚く。 「やった!」さきちゃんが小さくガッツポーズをする。 「えっ? 何なに?」  私は戸惑い、ふたりを交互に見ながら問い返す。 「こういうこと!」  ゆきちゃんが、私が表示させていたリストから曲を入れる。 「ほら叫んで!」さきちゃんが煽る。 「いくよー!」ゆきちゃんが応える。  曲の歌い出しと同時に、室内にゆきちゃんのシャウトが響き渡った。  それを聞いたさきちゃんが嬌声を上げる。私も呆けた顔で拍手する。  一体どこで覚えたのか。  それは、とても重たく、綺麗な発声のデスボイスだった。 「もしかして、このバンドも知ってる?」  ゆきちゃんが歌い終わったタイミングで、私はデンモクにバンド名と曲のリストを表示させながら問う。 「知ってるよ。最近勢いあるよね。新曲出すペースが速くてさ」  デンモクの画面を見たゆきちゃんが肯定する。 「これは?」  私は画面に別のバンドの曲を表示しながら、再び問う。 「知ってる。ボーカルの声が良いよね。あとベースが好き」さきちゃんが言う。 「これは?」 「知ってるよ。代表曲、一緒に歌う?」  ふたりが声をそろえて答えてくれた。 「どうしよう、すっごく嬉しい」  私は口元が緩むのを抑えられず、にやにやしながら言った。  ヴィジュアル系が好きな女子高生というのは、一定数存在する。(私のように)しかし、同じ教室や学年、同じ学校で出会えるかどうかは運次第。最悪の場合、好みの楽曲を聞かれた際、ヴィジュアル系と答えただけで嫌われたり、怖がられたりすることも、ままあるので、そう気軽には開示できず、また、自分から皆の好みを確認して回る、という振る舞いも、なかなかに難しい。私の場合は特に、中学で友好関係を築くことが出来なかったので、そういった共通の趣味を持つ友達は皆無だった。  なので、自分が惚れて、付き合うことができた子達が、自分と同じ趣味で、自分と好きなバンド群が同じ、というのは、もはや奇跡だった。今なら神様の存在を信じてもいいとさえ思った。 「ライヴとか、ふたりで行ったりする?」  私は前のめりになりながら掘り下げる。 「本当は行きたいんだけど……」  ゆきちゃんが困ったような表情で濁す。 「ほら、親が厳しいからさ。そういうのはね」  さきちゃんが説明を引き継いだ。 「あっ、ごめん、そうだった。色々制限されてる、って言ってたよね」  私は以前、ゆきちゃんから聞いた、ご両親の過干渉さを思い出し、好奇心にブレーキをかける。 「そういうこと。だから、バンギャ(バンドの追っかけギャルの略称)みたいな恰好もしてみたいんだけど、それも、お預け」  さきちゃんが肩をすくめながら言う。顔に、つまんない、と書いてあった。 「髑髏のプリントされたTシャツとか、頭が弾け飛んだクマちゃんが印刷されたパーカーとか持ってるんだけどね。着てるとこ親に見られたら間違いなく怒られるし、多分、没収される。そういうメイクもできない。派手なのと、過剰なのは禁止されてるから」  ゆきちゃんが片手で首を切るようなジェスチャーをしながら言った。清楚な見た目で、過激かつ反抗的な動きをする姿はギャップがあって、すごく可愛い。私は大好き。 「勿体ないなぁ。ねえ、今度、こっそり着てみない? 三人でカラオケの個室入ってさ、そういう服持ち寄って着て、メイクもここでしてさ」  私は思い切って提案する。 「みんなでやれば怖くない、的な?」  ゆきちゃんが笑いながら応じる。 「それ、楽しそう。やりたい」  さきちゃんも手を合わせ、頷く。 「あ、でも、この趣味、クラスの人達とかには内緒にしておいてね?」  ゆきちゃんが思い出したように付け加える。 「親が守らせたい、私達のイメージがあるからさ。面倒臭いし、鬱陶しいけど、やらかしたら、後で余計に、本当にうるさいから」  さきちゃんが片手をひらひらさせながら言う。 「分かった、任せて」私は頷き、約束する。  またひとつ、私だけが知っている秘密が増えた。嬉しい。どんどん独り占めだ。 「ねえ、さっきのデスボイス、すごかった。私もできるようになりたいんだけど、やり方が分からないんだよね」 「教えてあげるよ。今からでも」  ゆきちゃんが私の右半身に抱きつきながら答える。 「かなり練習したんだよ。ネットで動画とか見て、研究してさ」  さきちゃんが私の左半身に抱きつきながら言う。 「独学なの? 余計に、すごいじゃん。ていうか、さきちゃんもデスボイス出せるの?」  私はふたりの腰辺りを抱きながら言葉を返す。 「出せるよ。練習量が、ゆきと同じだからね。同じ時期から出せるようになった」  さきちゃんは誇らしげな表情で答える。 「すごぉい」  私の称賛の声が、ゆきちゃんの持っていたマイクに拾われて室内に響く。 「まあ、でも、覚えるのは大変だったよ。ていうか、練習自体が大変だった」  さきちゃんは、私から視線を逸らしながら取り繕うように言った。素直に褒められたことへの照れ隠しだろうか? 超可愛い。 「自分達の部屋で叫ぶわけにいかないから、下校中の道で人がいない時とか、今日みたいに、帰りにカラオケ寄ったりして練習したんだよ」  ゆきちゃんが教えてくれる。 「それ、大変だったね。でも、いいなあ、その練習、混ざりたかった。楽しそう」 「じゃあ、やっぱり、今からちょっとだけでもやろうよ」  さきちゃんが私の腋の下に手を入れ、引き立たせながら言う。 「はい、じゃあまずは、お腹に力を入れて、息を全部吐き出しながら……」  ゆきちゃんも立ち上がって、制服の上から私のお腹を触りつつ、レクチャしてくれる。  その優しい声を聞きながら、私は、この幸せな時間を噛みしめる。  私の彼女達は、私と同じく、ヴィジュアル系が好きで、歌うのも好きで、バンギャの恰好をするのも好きだという。この事実は最高のサプライズだった。  それと同時に、清楚要素が付与されたような、大人しめの趣味でなかったことに、少なからず驚いている自分がいた。  大人しい印象を周囲に与え、親に従順な娘を演じなければならない家庭だとは聞いた。それはきちんと記憶している。しかし、本人達を直接観察し、こうして接していると、清楚よりも小悪魔に近い印象を抱く。つまり第一印象や、ご両親から設定されたふたりのイメージそのままで止まってはおらず、認識それ自体を更新したことになる。少なくとも私自身は、そう自負していた。  にもかかわらず、一度抱いた印象は、その後においても、これほどまでに影響を及ぼす。まさに名残りの様相であり、簡単には、そして単純には、拭い切れない先入観というものの厄介さを象徴している。  意図的に作り上げられた偶像であり続けよ、と強要されているふたりが不憫でならない。  ゆきちゃんと、さきちゃんに、はめられた枷。その一端を垣間見た気がした。  枷の先の鎖を握る、彼女達のご両親を、私は好きになれそうもない。どうしてこんなことをするの? そんなに自分の娘達を縛り付けておきたいの? という疑問がしきり。  趣味が合ったことを喜び、ふたりに巡り合えたことを再度、喜びつつも、まだまだ知らないことが多い、と心が悶える。趣味も当然これだけじゃないだろうし、家庭環境についても全く知らない。好きなことも、嫌いなことも、全部教えて欲しい。  ふたりと一番深い仲でいたい私にとって、知らない面が存在していること、ふたりと共有できていない思い出や、記憶や、事情があるという事実は我慢がならない。  全部、全部、知りたい。  容赦なく全てを共有したい。  ふたりが今までそうしてきたように。  そうせざるを得なかっただろう、その苦悩や重圧までも全て。  私を含めた三人で、三人だけの世界が構築できるほど、どっぷりと浸かり、依存し合いたい。  日々、手を繋いで、とねだり。  常々、抱きしめて、とせがむ。  ふたりの熱で私を溶かして、その身体へ均等に取り込んで欲しい、と耽る。  どこまでも、どこまでも、際限なく私を受け入れて、気づけばふたりも溶けだして、そうして三人で、ひとつの意識として混ざりたい。身体なんて邪魔なだけ。  追い求めるのは自由と、不変の愛。  ただ、それだけを、切望する。  声が枯れるまでデスボイスの練習をした後、お開きの時間が近づいて来たので、私は個室を出て、女子トイレに入った。用を済ませ、鏡を見ながら手を洗う。  ふと、教室で付けられたキスマークが気になり、制服のシャツのボタンを外して確認する。  あった。  鎖骨の下に並ぶ、未だ消えず残る、ふたつのキスマーク。  それを眺めていると、自然と口元がほころぶ。  意識だけになって、三人で永遠にいちゃつくのが、私の理想。  ほんの少し前に、そう妄想していたはずなのに、いらないと断じた自分の身体に、こうして愛された証拠が残っていることが、こんなにも嬉しいなんて、全くもって不可解。矛盾している。不埒な思考回路が原因か、そもそもの愛という感情自体が複雑怪奇であるため、この矛盾すら内包して然るべきなのか、人生経験も知識も不足している現段階の自分では、結論を出すのは難しそう。  私は鏡に映る自分の顔に視線を移し、別の思考パレットを開く。  先程、といえば、気になるのは、やはり、家庭環境に関する話題だ。  あのような話を、こういった出先で話すのは、さすがに空気が悪くなる。危惧していた通りのリアクションを取らせてしまったこと、気を遣わせてしまったことで、私の方が申し訳なくなった。真面目な内容の話を語らうには、遊びの場は不向きと言わざるを得ない。  それに、私が一方的に、自己の内面、自分の経歴を語るだけの行為には価値がない。  目標は完全な相互理解であり、こちらばかりが同情を誘い、庇護を受けることではない。  もっと落ち着いた場所で、私だけでなく、ゆきちゃんと、さきちゃんが、自分から身の上を語りたくなるような空気を作らなければ、ふたりの家庭事情を包み隠さず晒してもらうことも、ふたりの本音を聞き出すことも難しいだろう。  基本的に、あのふたりの精神防御は堅牢だ。自己を晒さず、感情を押し殺し、見栄えを優先するよう洗脳または調教を施されて生きてきたのだろう。なれば尚のこと、感情の暴露に適した環境を用意する必要がある。  瞬きを一回。  意識を現実に戻す。  鏡を睨みつけている自分。  怖い顔。  これじゃあ、ふたりを心配させちゃう。  笑ってみる。  うん。  こっちの方がマシ。  取り繕ってることに変わりはないけれど。  鏡とそっくりの虚像に背を向け、私は扉を開けて廊下へ出た。  残念ながら、お開きの時間となった。  カラオケ店から出ると、外はすっかり暗くなっていた。鼻から空気を吸い込むと、奥がツンと痛む。日が沈むと現れる、未だ残る冷気のためだ。 「もう春なのに、夜は、まだちょっと寒いね」  そう言って、私は自分の腕をさする。 「温めて、ってこと?」  さきちゃんが、私の右半身に身体を寄せながら聞く。 「ありがとう。これ、大好き」  私は、さきちゃんに笑顔を向けてから、今度は、ゆきちゃんに物欲しそうな表情をわざと見せる。 「ゆりちゃん、甘えるの上手だよね。可愛いから、いいけど」  ゆきちゃんは、にやにやしながら、私の左半身にくっついてくれた。  そのまま三人で通りを歩く。  カラオケや飲食店、アクセサリーショップなどが並ぶアーケード街は、まだまだ人の活気に満ちている。スーツを着たサラリーマン風の人達、奇抜な恰好をした大学生風の男女、私達と同じ高校の制服を着た子達も見かけた。通りの端では、猫の顔に黒いスーツ姿のマスコットキャラみたいな着ぐるみを着て踊っている人も見かけた。  少し気になったので、目の端で観察する。銀と黒の毛色で、左耳に銀色の大きなピアスが付いている。右耳には、小さめの紳士帽。全体的に細身で、赤いネクタイをしている。袖から出ている両手は、ピンクの肉球が付いた猫の手だ。可愛い。スマートフォンを向けて写真を撮る人達へ向けて、コミカルな動きで愛想良く応じている。紳士的な猫さんだ。  四車線の大きな交差点前まで来て信号待ちをしていると、中学生くらいの男女の集団が、私達の左隣に並んだ。  その子達から、無遠慮な視線が投げかけられる。  私達、女三人。  仲睦まじそうに、べったりとくっついてるさまは、邪な想像を掻き立てるのだろう。  案の定、ひそひそと話す声が聞こえてくる。    距離近くね? あんなもん?  いや、ウチらみたいな仲良しでも、あそこまでくっつかないよ。  だよね。おふざけじゃなくて、ガチっぽいし。  えっ? ガチ? そういうこと? マジで?  なになに? 女同士で付き合ってる、ってやつ?  もしかしたら、そうなんじゃない?  だってあれ、ちょっと、空気普通じゃないよ。  マジかぁ、すげえ。  初めて見た。ヤベぇ。  まったく、好き勝手言ってくれるものだ、と内心呆れながら、鼻から息を漏らす。  その集団に近いゆきちゃんが心配になり、ちらと彼女の顔を見る。  ゆきちゃんは、私の視線に目ざとく気づいた。 「私達に興味津々みたいだね」ゆきちゃんが小声で言う。 「珍しいのは分かるけど、じろじろ見たり、ひそひそ陰口みたいに言われるのは、むかつくね」  私も小声で応じる。 「身体、離そうか?」  さきちゃんが、私の耳元で、そう聞いてくる。 「嫌、だめ、絶対離れないで」  私は即答し、ふたりの手を、指を絡ませて握った。  周りの目や、他人の価値観を恐れるなら、この関係を結んだりしていない。  冷やかし?  好奇の目?  上等だ。しかと見ればいい。私の愛の重さを知れ。  信号が変わり、私達は横断歩道を渡りつつ、その集団から距離を取る。  銀行の大きな建物の角を曲がったところで、ゆきちゃんが口を開いた。 「噂されちゃったね。ゆりちゃん、大丈夫? 嫌じゃなかった?」 「全然、大丈夫。むしろ、ああいう場面で、ふたりに距離取られる方が嫌。悲しくなるから」 「もう、ゆりちゃん可愛い!」  そう言って、さきちゃんは周囲を見回した後、短いキスをしてくれた。 「私達は、どこにもいかないよ。ああいうのにも慣れてるし」  ゆきちゃんが繋いだ手を振りながら言った。 「慣れてるの?」 「さきと手を繋いで外歩いたりするし、ほら、そもそも私達、双子だからさ。普段から結構じろじろ見られるんだよね」  ゆきちゃんが、自分とさきちゃんを交互に指差しながら言う。 「小さい頃から、それが日常だったから、慣れちゃった」  さきちゃんが肩をすくめながら付け加えた。 「大変だったね。ふたりは強いよ。すごく頑張ってる」  私は握った手に力を込めながら言う。この気持ちが本心だと、口先だけの同情ではないと伝えたい。 「そういうふうに言ってくれるのは、ゆりちゃんだけだよ」  ゆきちゃんが笑いかけてくれる。 「ありがとう、ゆりちゃん。大好きだよ」  さきちゃんも、はにかみながら言ってくれた。  私もふたりに笑顔を向ける。  褒められて喜び、気持ちが伝わったことに安堵し、気分が高揚する。  我ながら、なんとも単純な精神機構をしているな、と思った。  帰宅する道順は、途中まで同じだった。  ふたりの自宅の正確な場所は聞いたことがなかったので、歩きながら、もしかして、ご近所さんなのでは? と期待したけど、残念なことに、私の住むマンションから二つ離れた交差点で分れ道だと告げられた。  名残惜しい、という言葉を口にして、手を振り、ふたりと別れる。  独りになった私は、歩いた順路を頭の中で反芻して記憶した。  ふたりとは、居住している区域が真反対なのだな、と意識する。徒歩で行き来できる距離だと判明して嬉しい反面、ふたりが住んでいるというマンションのある区域は、セキュリティの高い一軒家や、高層マンションが立ち並ぶ、所謂、富裕層の住まう土地だという事実に、本来であれば、自分との社会的地位の差は歴然であり、住む世界が違うはずなのだという、月並みで、しかし、いかんともし難い現実を認識した。  私は歩きながら深呼吸をして、思考を続ける。  だから、どうした?  自分自身に問いかける。  貧富の差を感じて、勝手に劣等感を抱き。  それで、どうなる?  何か問題があるの?  その差が、その感覚が、私と、ゆきちゃんと、さきちゃんを、引き離すのか?  交際を阻害する要因となり得る? 立ちはだかる壁か? 今更そんなものが?  違う。  頭を振って、否定する。  事実を事実として正確に認識すること自体は重要だ。間違った情報、私情や主観のみで構成された思考は、無用な偏見と誤った答えを導き出す温床となる。それは回避しなければならない。  そして、断じてしまえば、たった、それだけのこと。気にかけるべきではあるけれど、それ以上に意識する必要はない。考えるべき事と、考えてしまう事は、似て非なるもの。それを履き違えてはならない。  結論に達した私は、軽く息を吐き出す。  顔を上げると、目の前に自宅マンションがあった。実にタイミングの良い到着である。  階段を上がり、共用通路を抜けて、自室へと辿り着く。玄関を開けて、靴を脱いだ。私のローファー以外に靴はない。父の帰りはいつも遅いので、特に驚きはしない。というか、今日に限っては、この方が都合が良い。夜と表現して差し支えない、この時間の帰宅は、さすがに見咎められる。  制服を脱ぎながら、私は、大好きなふたりのことを考える。  ゆきちゃんと、さきちゃん。私の大切な彼女達。  ふたり共、一見お淑やかだけど、その実は結構、腹黒いと知った。  例えば、他人を呼ぶ時は、貴方、または貴女、と呼ぶ。目上の人間に対しては当然、敬語で話すし、話し言葉を織り交ぜることも基本ない。これは、他人と距離を縮めるつもりはない、という意思の表れだと分かる。柔和な態度と抜群のコミュニケーション能力を発揮する傍ら、その距離は正確に測られ、心への侵入は明確に拒絶されている。  私は高校入学二日目にして、キス、告白、交際開始という、異常な速度で距離を縮めたので、今のように名前で呼んでもらえているけれど、もしそうではなく、有象無象の同級生その一員であったなら、他と大差なく扱われていたことだろう。  想像すると、悲しくなって、気分が悪くなった。掘り下げるのは、やめにする。  アクセサリーやメイク道具、小物などは、お揃いにして楽しむ傾向がある。色は違えど型は一緒というパターンも、よく目にする。少し意味合いが違うけど、俗に言う、双子コーデに近い。それ以外にも、食べ物や文房具など、様々な取引がふたりの間で行われる。ものによっては、私も混ぜてもらえるので嬉しい。  あとは、メイクの出来や体育、芸術科目などの評価、カラオケの点数などを、意外と意識している、という点だ。  ただ、これは、お互いに、勝ちたい、というよりも、負けたくない、という控えめな意志からくるもののようで、つまり潜在的には、相手に敵わない、というネガティブ思考な証拠でもある。感情の作用の仕方が複雑で、見ていて面白い。  一番重要なのは、ふたりが、とても優しい、ということ。これは、完全に惚気。  先程、噂された時の対応もそうだし、視聴覚室で私が不安がっていることに気づいてくれたのも嬉しかった。いつも明確に、言葉で、行動で、ハグで、キスで、好意を示し、安心させてくれる。私はそれに、とても救われている。 悪戯や身体を触ってくる頻度は高いけど、私はふたりに触られるのは好きだし、コミュニケーションの一環だと解釈しているので、全く問題ない。むしろ、そろそろ、もっと積極的に、次の段階へ進んでもいいとさえ思っている。 ただし、ふたりのご両親は、周囲からの評価を大変気にしている、という点に留意しなければいけない。私のせいで、ふたりが(不本意にであっても)築き上げた、清楚で優等生なイメージをぶち壊したり、ご両親から怒られるような事態は是が非でも避けたい。  となれば必然的に、人目のない場所での展開が候補として挙がる。そういう所へ連れ込んでからであれば、事に及んでも、リスクは最小限で済む。ついでに、カラオケのトイレで考えていた、感情の暴露に適した環境を用意する、という項目もクリアできる。精神面のプロテクトを上手く剥がせるかどうか、という問題は残留するけど、問題自体の数を減らすことはできるので、この路線で突き進む価値はある。  さて、それでは、場所の選定をしなくては。  自分の部屋を見回しながら、私の頭は、既に出ている結論の吟味を始めていた。  カラオケに行った翌日、学校での昼休み、私は、さきちゃんと、ゆきちゃんを、放課後、私の部屋へ遊びに来ない? と誘った。 「いいの? 行きたい! 行きたい!」 「やった! お家デートだ!」  ふたりは予想以上に喜び、そして同意してくれた。  お互いの心理的距離を縮めるには、まずはこちらの手の内を開示するのが定石であり、また有効だ。今回は、居住空間と自らのプライベートを晒すことで、それを実行した形である。この手法は、ふたりに告白したあの日に、この身で経験したことなので、自信を持って効果的だ、と断言できる。  あとは単純に、自分の部屋なら思う存分イチャつける、というのも理由の一つだった。  欲望に忠実なのも、私の精神構造の特徴なのである。  帰りのホームルームが終わると同時に、私とゆきちゃんは教室を出て、隣のクラス前で待機する。五分ほどで、さきちゃんが出てきた。  校舎を出て、グラウンドを横切り、校門を抜けて、緩やかな坂を下り始める。  私達は各々、傘を握っている。今日は生憎の天気で、朝から雨が降っていた。まだギリギリ生き残っていた桜達も、この雨で流れ落ちてしまうだろう。来週には、学校へ続く並木の主役は明緑の葉桜達に世代交代する。最高の出会いを与えてくれた桜色の春は、完全に過ぎ去るのだ。  坂を下り切った先の道を、雑談を交わしながら歩く。雨音が少しうるさいので、三人共、いつもより声を張り気味。 「ゆりちゃんは、中学どこだったの?」  斜めに傘を差しながら、ゆきちゃんが聞いてくる。美人でスタイルの良い子が、こうして傘を差すさまは絵になるなぁ、とぼんやり考える。  私が母校の名を答えると、あぁ、あそこなんだ、と言って頷いた。知っていたようだ。 「雰囲気的に女子高育ちかなと思ってたんだけど、違ったね」  さきちゃんが、ゆきちゃんに向かって言う。 「そんな雰囲気出てた? というか、女子高育ちの雰囲気って、どんなの?」  私は笑いながら聞き返す。 「ええとね、お淑やかで、上品な空気を纏ってて、男子に怯えてそうな、そんな感じ?」  さきちゃんが曇天を見上げながら、自信無さげに解説する。 「そうそう、お淑やかさはあったね。大人しくて、言葉遣いも柔らかい。あと、傍から見てて、男子と距離を置きたそうに映った。怖がってるのかっていうと、また違うかもしれないけど、実際ゆりちゃん、自分からは男子に近づかないし、話さないよね」  ゆきちゃんが解説を補足する。同じクラスなので観察する機会が多かったのだろう。私の振る舞いに関する分析は的を射ていた。 「お上品な自覚は無いけど、うちはお父さんが大学の先生をしてるから、妙な雰囲気は、その影響かも。大人しくしてないといけない、礼儀正しくないのは良くないこと、っていう固定観念に染まるというか、流行り言葉とか使うと良い顔されないし、そうすると、どうしても、こっちも穏やかにならざるを得ないというか……伝わるかな? この感覚」  私がそう答えると、ふたりは揃って大きく頷き、分かる、と共感してくれた。 「ていうか、お父さん、大学の先生なんだね。すごい」さきちゃんが言う。 「大学教授さん?」ゆきちゃんが首を傾げながら聞いてくる。 「准教授。役職的に、教授の一個下のポジション」  さん付けが可笑しくて、私はふき出しながら説明する。 「へえぇ、すごぉい。かっこいい」  ふたりは声を揃えて感想を述べた。 「あとは、ほら、私、女の子が好きだからさ。こういう言い方したら失礼だけど、男子に興味無くて」  私の説明に、今度はふたりが揃ってふき出す。 「そうだった。ゆりちゃんは女の子大好きだもんね」  さきちゃんが制服の袖が濡れるのも構わずに、私の頬を撫でながら言った。  その言い方だと語弊があるのだけど、好きなのは事実だから否定しない。 「絶対、男子には靡かないって分かる、こうして信じられるのは、私達にとっても安心だよ。我が儘かもしれないけど、ゆりちゃんには、そのままでいて欲しい」  ゆきちゃんが傘をくるくると回しながら言う。 「大丈夫。私はずっと、このままだよ。自分の彼女達以外は眼中にないから」  そう答えると、ゆきちゃんが、次いでさきちゃんも、こちらへ笑みを見せてくれる。にっこりと、本当に嬉しいんだと分かる表情。 「ねぇ、さきちゃんと、ゆきちゃんは、中学どこだったの?」  私の問いに対して、ふたりは同時に学校名を口にする。  私は頭の中で検索をかける。二秒ほどで、その学校の情報を引き出せた。 「分かった。中高一貫の女子高で、おまけに偏差値も高いとこだよね」 「そうそう、よく知ってるね」  さきちゃんが拍手してくれる。傘を持った手なので、音は全然響かなかった。 「典型的な、御嬢様学校」  ゆきちゃんが自分の横髪を指でくるくると巻きながら言った。お嬢様のイメージを巻き髪で表現しているらしい。 「通うの嫌だったなぁ」  さきちゃんが眉間に皺を寄せながら言う。 「こういうこと聞くのは良くないって分かってるんだけど、女子高って、やっぱり、いじめとかあるの? そういうイメージというか、先入観があってさ」  私は、かねてからの疑問をストレートに聞いてみた。 「私のクラスでは、なかったかなぁ」ゆきちゃんが答える。 「私のクラスでも、多分、なかった。みんな大人しい子ばかりだったし」  さきちゃんも首を横に振りながら続く。 「あ、中学でも、クラス別々だったんだね」 「双子って、クラス別々にされるんだよ~」  ゆきちゃんが得意げな表情で言う。 「学校側が配慮するんだって。何に配慮してるのか、知らないけど」  さきちゃんが続く。 「私達にとっては、いい迷惑だよね」 「本当にね」 「そうなんだ。知らなかった。大人の事情、ってやつかな」私は頷きながら言う。 「ゆりちゃんのえっち~」  ゆきちゃんが悪戯っぽい表情でそう言い、私の肩を指で突いてくる。 「え? なんで? 別に、普通の表現じゃん」  私は精一杯の抗議をしたけど、今度は、さきちゃんが、私の腰辺りを突きながら、えっち~と乗っかってきた。完全に遊ばれているので諦める。えっちで結構。 「じゃあ、通わされた中学自体は不満だったけど、平和ではあったんだね」  私は強引に話題を戻す。 「あ~うん、そうだね。特に問題は起きなかった記憶。仲良しグループはあっても、グループカーストみたいなのは無かったし」  さきちゃんが、ゆきちゃんの方を見ながら答える。 「そうだね。似たような御家柄? の子ばっかりだったから、いじめとか、差別的なやり取りが流行らなかった感じかな。子供っぽい真似する年齢じゃないし、自分達の品格を貶めるだけだから、っていう共通認識があったんだね、多分」  ゆきちゃんは、片手をひらひらと振りながら補足した。 「理想的な人間関係だね、それ」私は感心しながら頷く。  説明を聞く限り、本物の御嬢様学校だと感じた。ふたりがそういう所に通っていても違和感がなくて、むしろ似合うと思ったけれど、本人達はどうにも嫌がっている様子で、嫌味になってもいけないので口には出さなかった。 「でも、あのお堅い感じはなぁ……正直、息苦しかったかな」  さきちゃんが目を細めながら溢した。 「そうだね。ああいうのは、もう無理かな」  ゆきちゃんが同調する。 「あれ? でも、中高一貫だったんだよね? どうして、そのまま上がらずに、今の高校に入ったの?」 「ええっとね、それには、ちょっと、ややこしい事情があって……」  ゆきちゃんが困った顔で、さきちゃんを見る。 「ゆりちゃんの言う通り、本当なら高校は、中学からそのまま上がるはずだったんだけど、私達の両親が、ええっと、なんだっけ? 申請不備? 手続き不履行? 入金滞納? をやらかして、まあようするに、結構致命的なミスをしちゃって、進学できなくなったの」  さきちゃんが片手でペンを走らせるようなジェスチャーをしながら説明を引き継いだ。 「お金が工面できなくなったから、急遽、私学から公立校への受験って話じゃなかったっけ?」  ゆきちゃんが、さきちゃんに向かって、指を輪っかにして見せながら言う。お金の意だろう。 「あ~それもあったかも。ダメだね、ちゃんと覚えてないや。あのバタバタしてた時の記憶って曖昧なんだよね。真面目に話聞いてなかったし、興味もなかったから」 「私も正直、あんまり覚えてない。どうにでもなれ、って他人事みたいな認識だったし、女子高に上がらなくていいなら、公立でもどこでも、何でもよかったし」 「こんなことになって申し訳ない、親として情けない、って、すごい謝ってきたよね」 「あれ、絶対パフォーマンスだったよね。本心では何とも思ってないよ、きっと。泣いて謝れば、可哀想な親を演出できる、とでも思ったんじゃない? 私達以外誰も見てないのに、何のための演技なの? って呆れたよ」  話を聞きながら、ふたりの言葉に、かなり棘があると感じた。  相手を貶める表現も平気で使うので、ご両親とは、かなり険悪な仲なのだと再認識できた。  あと、たまに、今のようにふたりだけで会話のトランス状態に入ることがあり、その際、私は蚊帳の外にされる。この状態は、しかしすぐに解除されると気づいてからは、あまり気にしないようにしているけれど。(嘘です。ホントは気にしてる。私も混ぜて欲しい) 「それで、今の高校を受験して、受かって、入学して二日目に、ゆりちゃんにキスされた」  ゆきちゃんが悪戯っぽい表情で言う。 「告白もね」さきちゃんが付け加える。 「もう、それは分かったって。恥ずかしいから、何度も言わないで」  私は少しだけ早足になりながら言葉を返す。  あのキスと告白は、私にとって大切な記憶であると同時に、欲望のたかが外れて起こした奇行でもあるため、恥ずかしさに苛まれ、こうして距離を取りたくなってしまう。 「話戻るけど、あの両親がやらかしてくれてなかったら、私達は、あの御嬢様高校に通い続けてたわけで、そういう意味では感謝してるんだ」  ゆきちゃんが話題の軌道を修正したので、私は振り返って話を聞く。 「流石に登校拒否してたかもね。もう勘弁して、ってさ」  さきちゃんが首を小さく振りながら言った。 「直前で受験が決まったり、ご両親に振り回されて大変だったとは思うけど、私はやっぱり、ふたりが同じ高校に来てくれて良かったと思う。でないと、会えなかったから」  私がそう告げると、ふたりは同時に注目してくる。ちょっと照れる。 「ゆりちゃん、可愛い」ゆきちゃんが私の右腕に絡みつく。 「ゆりちゃん、正直者」さきちゃんが私の左腕に絡みつく。  この歩きにくい恰好のまま、私達は、飲食店やカラオケ、ファッションのアイテムショップが並ぶアーケード街を抜けて住宅街へと進む。三人共、傘からはみ出た肘が雨でびしょ濡れになっていたけど、解こうとはしなかった。  私の自宅があるマンションに到着した。  雨の雫を大量に落としながら階段を上り、共用廊下を抜けて玄関に辿り着く。鍵を差し込んで扉を開け、ふたりを招き入れる。  私の彼女達は、お邪魔します、と頭を下げながら入った。とても礼儀正しい。ここまで徹底しているのは、素直にすごいと思う。マナーが身体に染みついているのだろう。  タオルを持って来てふたりに渡し、自分も濡れた制服の肘部分を拭きながらリビングへ移動。  私はキッチンに立ち、三人分のコーヒーを淹れ始める。 「結構、濡れたね。ゆりちゃんも肘、びしょびしょじゃん」  そう言いながら、ゆきちゃんが私の右側に立ち、制服の肘部分にタオルを当ててくれる。 「何か手伝おうか?」  言いながら、さきちゃんが私の左側に立ち、手元を覗き込んでくる。 「ううん、大丈夫。ふたりは、そこの椅子に座って待ってて」  私がそう告げると、ゆきちゃんと、さきちゃんは、素直に、はぁい、と返事をし、着席した。  できあがったコーヒーをマグカップに注ぎ、テーブルに置いて、私も着席。 「ねぇ、女子高の良かったところって何がある?」  私は好奇心から、先程の話題を続けた。 「良かったところかぁ……」  ゆきちゃんがマグカップを持ったまま、視線を宙にさ迷わせる。 「……制服のデザインは、好きだったかなぁ」  さきちゃんが、何とも言い難い表情を私に向けながら答えてくれる。 「どんなだったの?」 「カテゴリ的には、ジャンパースカート。紺色のやつ。ただね、注文した時に細部までスタイル計って、できるだけタイトに作ってくれるから、実際に着た時に着膨れして見えないのが、すごく良かった」  ゆきちゃんが自分の胸元から腰回りまでに手を添わせて説明してくれる。 「あとね、腰に黒いベルト巻くんだだけど、あれが他の学校の制服とは違ってて、好きだったな。冬服になるとね、丈の短い上を重ねて着るの。それに加えて、コートを羽織る感じ」  さきちゃんが補足する。 「すっごく良いね。お洒落だなぁ。気になる。調べてみよ」 感想を零しつつ、制服のポケットからスマーフォンを取り出すと、ふたりは顔を見合わせて、にやりと笑った。 「えっ、何?」 「制服が見たい? それとも……」  ゆきちゃんが中途半端に言葉を切る。 「その制服を着た私達を見たい?」  さきちゃんが引き継いだ。 「……あっ、そっか! 実際に通ってたんだから、制服まだ持ってるんだよね? 着て見せてくれるの?」  私は自分の閃きに自信を持って口にしたけど、ふたりは何故か同時にふき出した。 「ごめん、違う。写真がスマホにあるから、それ見せようか? って聞こうとしたの」  ゆきちゃんが、お腹を抱えて笑いながら言う。 「あっ、そっか、そっちか。そうだね、それがあるよね」  私は目を瞬かせながら頷く。 「ゆりちゃん、性癖に正直過ぎる」  さきちゃんも笑いながら指摘してくる。 「性癖じゃないもん。可愛い彼女の制服姿が見たいだけですぅ」  私は頬を膨らませながら反論する。 「ああ、可笑しい。お腹痛い」  ゆきちゃんが自分のお腹をさすりながら身体を起こす。くの字になって笑う姿は初めて見た。きっかけが少々不本意だったけど、可愛かったので、まあ良しとする。 「でも、そうだね。良かったところは、それくらいかなぁ」  さきちゃんが視線を宙へ向けて言う。先程のゆきちゃんの動きを追従しているようで興味深い。 「制服の着方とか、全身の身だしなみもさ、御嬢様学校なだけあって、結構、細かく言われるんだよね。服装点検の日とか最悪だったよ」 「あ、懐かしい。あったね、服装点検。ベルトがおかしいとか、スカートの皺がどうとか言われた記憶」 「あと、眉毛いじってたら、はしたないとか、髪の毛をツインテールにするのは煽情的だからダメだとか、意味分からない規則あったよね」 「あったあった。髪型に口出し過ぎなんだよね。サイドテールは不健康そうな病人に見えるからダメとかさ、もう屁理屈じゃん」 「そう、私もそれ、思ってた。それでいて、先生達は好きな髪型で、化粧もバッチリしてて、生徒にはあれこれダメ出しするのは、おかしいよね」 「刑務所にでも入れられているような気分だったなぁ」  怒涛の勢いで、ふたりの口から愚痴が流れ出てきた。中学時代に溜め込まれた怨嗟は、今も燻っているらしい。 「堅苦しい御嬢様学校はもう嫌だ、っていう、ふたりの気持ちは理解できた、と思う。普通は私立の方が公立よりも校則緩いって聞くのにね。それも含めて、良くなかったね」  私は素直な感想を述べた。 「そうそう、それもなの。そういう不満が色々あってね、余計納得いかなかったんだよ」 「やっぱり、ゆりちゃんは分かってくれる!」 「ゆりちゃん大好き!」 「大好き!」  さきちゃんと、ゆきちゃんは笑顔で言ってくれた。  私も笑顔を返しながら考える。  ふたりも、私と同じだ。  長い間、自分を偽って生きてきたのだ。  故に、蓄積した不満が山のようにあるわけで。  故に、抑圧され、歪んでしまった面が存在するわけで。  自分や他人に対して正直であることは美徳とされ、嘘をつかずに生きることは真人間の証明とされる。しかし、現実世界における正直者は愚者として扱われ、それなのに、己を貫く生き方こそ理想だ、と皆が口を揃えて言う。矛盾だらけの理想論こそが、人間関係の複雑さ、および煩雑さを的確に表していると私は思う。  誰だって、自分に正直に生きられるなら、そうしたい。  本音だけを携えて、好きな道だけを歩きたい。  けれど、年齢を重ねるごとに、もしくは壁にぶつかる度に、叶わないエゴだと学習して、諦めることを覚える。大なり小なり、嘘をつけるようになる。己を騙し、他人に迎合して、欲望に折り合いをつけ、人間社会に馴染めるよう変化していく。  そうした妥協が増えるほど、日々は息苦しいものになる。苦痛に喘ぎ、理想と現実、周囲と自分の間に軋轢が生まれ、それが摩擦となり、気づかぬうちに、望まぬ形へと歪められていく。長く続けば、その人は壊れてしまうだろう。  私は運が良い方だ。  ふたりに救われた。  壊れるかなり手前で、まだ人間の形を保っているうちに、救済された。  でも、ふたりは、どうだろう?  ゆきちゃんと、さきちゃんには、あと、どれくらいの猶予がある?  もしかして、危険域が近いのでは?  仲良くなればなるほど、ふたりを理解すればするほどに、もう後がないのではないかと思えてくる。自傷的な振る舞いや、リスクを顧みない悪戯を目にする度、破滅的な気配を感じざるを得ない。  人目を忍んでイチャついたり、キスマークを付けてきたりするくらいなら、私は喜んで受け入れられる。付き合いたてのカップルが良くやる行為だ。何もおかしなことじゃない。  けど、ふたりのお遊びが、既にその類の範疇に収まらないことがあるのも、また事実。  この前なんて、お互い違うクラスに登校してきたことがあった。  朝、教室で挨拶して、前の席にさきちゃんが座っていた時は、かなり驚いた。しかも、そのままホームルームが始まってしまい、私は大いに焦った。これは流石にバレるだろうと。大人しい、良い子を演じなければならないはずのふたりが、こんな、双子であることを利用して、周囲や教師をあざ笑うような真似をして遊ぶなど、もし気づかれたら評価に響くだろうし、ご両親に先生から注意の電話がいくかもしれない。そうなると、その後ふたりがどんな目に遭わされるか、分かったものではない。まともな家庭であれば、怒られる程度で済むだろうけど、話に聞く限り、ふたりの家庭はどうにも普通じゃない。そんなふたりのご両親が、ふたりに向ける怒りの矛が、どんなものなのか、ふたりをどこまで傷つけるのか、最悪すら想像してしまう。  しかし、私の心配をよそに、周りのクラスメイト達も、担任の先生も、全く気づかなかった。 「ね? 誰も私達のことを、ちゃんと認識してないんだよ。だから、見分けなんてつかないし、親にもバレない。双子ちゃんマスコット程度にしか見てない証拠」  さきちゃんは、私の考えを見透かしたように、そう語り、笑っていた。  私は、笑えなかった。  わざとリスクを冒す遊びをして、自分達を傷つけて、得るものなど何もない。  それなのに、ゆきちゃんも、さきちゃんも、こうして笑うのだ。  本当に可笑しくて笑っているの?  本当に楽しくて笑っているの?  言い方は悪いけど、愚かな周囲を見下して笑っているのなら、まだいい。  傷ついていることを誤魔化すために笑っているのだとしても、まだマシ。  もしも、何年も自傷的な振る舞いを続けてきた結果、心が壊れてしまっていて、それで笑っているだとしたら、もしそうなら、それが一番、問題。大問題だ。  この手の悪戯行為について、私の口から、何を、どこまで、どう指摘していいのか、判然としない。やらない方がいいよ、と注意するのは簡単だ。そんなこと、私でなくてもできる。ふたりがこれをストレス発散でやっているなら、余計なお世話になってしまう。褒められた行いではないとか、そんな綺麗事を言うつもりもない。双子として生きてきた者にしか理解できない悩みがあるだろうし、溜め込んできたどす黒い感情もあると思う。それらを考量せず、ただ常識を振りかざしてふたりを叱る、などという真似を私はしたくない。そんなのは薄っぺらい偽善であり、ただの自己満足だ。  ただ、可能性として。  ふたりが私に指摘されるのを待っているのだとしたら?  叱ってもらうことを期待しているのだとしたら?  それを考慮すると、好きなようにさせておく、というわけにもいかない。  勿論、度が過ぎるようなら止めるけど、心の境界線を見抜けず、過剰に踏み込んで注意して、嫌われるようなことは避けたい。でも、私が躊躇い、足踏みしている間に、貴女も他の有象無象と同じなんだね、と判断されて、見捨てられるのも嫌だ。そうなる前に、もっと距離を詰めたいと思うのだけれど、どこまで踏み込んでいいものかと考え、躊躇を繰り返し、こうして考えあぐねて、思考の堂々巡りになるのだった。 「そうだ。あと、もう一つ、実際に女子高へ通ってたふたりに、聞いてみたいことがあったんだ」  コーヒーの温度を唇を近づけて測りつつ、私は話す。  これだけ考えて思いついたのは、次の話題だけ。  自分の無知さ、臆病さが情けなくて涙が出そうになる。 「なぁに?」  ゆきちゃんと、さきちゃんは、コーヒーに口をつけながら同時に聞き返してくる。私と違って、ふたりは熱いものも平気で飲めるらしい。 「その、これもイメージというか、偏見に近いんだけど、女子高って、女の子同士で付き合ってる子が多いって、本当?」  私の問いかけに、ふたりは一度顔を見合わせて、こちらに向き直り、何故か、にんまりと笑った。 「気になる?」 「知りたい?」  嬉しそうな表情で聞き返された。  だって、気になるじゃん。学校の中、女の子ばっかりなんだぞ? やばいでしょうが。 「付き合ってる子はね、結構いたよ」  コーヒーを飲みながら、ゆきちゃんが答えてくれる。 「隠してる子達が大半だったけど、やっぱり油断するんだろうね。傍から見てるこっちとしては、うん、バレバレなカップルが大多数だった」 「へえ、そうなんだ。でも、すごいね。その子達も、いじめられたり、気持ち悪がられたりしてなかったんでしょ?」 「そうだね。周りの子達も、特に嫌ったりはしてなかったかな。あら、とっても仲良しなのね、とか、今日の放課後はデートするの? とかの揶揄いくらいはあったけど」  さきちゃんが、やや視線を上げて答えてくれる。当時を思い出しているのだろう。 「思い返してみると、あの空間は、なかなか異次元だったかも。他の女子高でも同じような空気になるのかって聞かれたら、答えはNOだね。多分、いじめの標的にされるよ」  ゆきちゃんがマグカップ片手に、さらりと言った。 「あぁ……やっぱり、そうなんだ」  現実を知り、私の甘い空想は崩れ去った。 「それで、その、ふたりもさ、誰かと付き合ったりしたの?」  私は、頭の中の崩壊した夢の欠片を吹き払いつつ、聞きたかった疑問に繋げる。 「……あぁ、そういうこと」  さきちゃんが、合点がいった、という様子で頷く。 「ゆりちゃんは、私達の経験人数が気になってたわけだ」  ゆきちゃんも頷きながら続く。 「いや、そこまで気にしてるわけじゃないんだけど、ただ、ゆきちゃんに初めてキスした時も、普通なら叫ばれたりしそうなのに、笑って、冷静に話してくれたし、さきちゃんも、私がキスしたり、抱きついたりしても、全然嫌がらずに受け入れてくれるし、動作もスムーズだしで、ふたり共、普段からくっついてくれて、キスしてくれて、それが普通みたいに接してくれるから、その、そういう経験があったから、慣れてるのかなって……」  ふたりの過去を咎めたいわけではないし、ふたりが既に誰かと付き合ったことがあったとしても、それをどうこう言うつもりもない。これは本心。  しかし、私の思考を表に出す役目を背負った私の口は思うように働いてくれず、しどろもどろな説明は、ふたりが経験済みか、未経験かに固執していると勘違いさせてしまうような、そんな胡散臭い言葉を並べ立ててしまうのだった。 「安心して。私も、さきも、女の子と付き合うのは、ゆりちゃんが初めてだよ」  ゆきちゃんが椅子から立ち上がり、私をそっと抱きしめながら教えてくれる。 「勿論、男子と付き合ったこともないよ。そっちは親が絶対許さないし」  さきちゃんも椅子から立ち上がり、私をゆきちゃんごと抱きしめながら付け加えた。 「……ありがとう、安心した」  私は大人しくふたりに包まれながら礼を述べる。 「そもそも私、教室でゆりちゃんにキスされた時、キスしたのも、好きだって言われたのも、初めてだから、って伝えたんだけどね」  ゆきちゃんが可笑しそうな口調で言う。 「えっ? ……あ」  そうだ。  確かに言っていた。  それもあって、自分のどこを好きになったのか教えて欲しい、と告げられたのだ。 「ごめん、今、思い出した。教えてもらってました」 「でしょ~?」ゆきちゃんが笑う。 「抱き合ったり、スキンシップし慣れてるように見えるのは、私とゆきは普段から、結構じゃれ合うからさ。それで慣れてるように見えるんだと思うよ」  さきちゃんも補足説明をしてくれる。 「納得できました。大変、お騒がせしました」  私は大袈裟に頭を下げて、お礼と謝罪を行動で示す。 「え~? これで終わりにしちゃうのぉ?」  ゆきちゃんが眉を八の字にして言う。 「ゆりちゃんなら食いついてくれると思って、カミングアウトしたのにぃ」  さきちゃんも、何やら惜しそうな顔で続く。  私が食いつきそうなカミングアウト……?  ああ、そうか、と気づく。 「ゆきちゃんと、さきちゃんは、普段から、じゃれ合ってる?」 「そうそう、それ」さきちゃんが頷く。 「ゆりちゃんは、それを聞いて、どう思った? 平気なの? スルーしちゃうの?」  ゆきちゃんが、私の顔を覗き込みながら聞いてくる。 「……私も混ざりたい」  願望を素直に吐露する。  少しも躊躇わなかった。  受け止めてもらえるだろう、叶えてくれるだろう、という確信があった。 「ゆりちゃんのお部屋、どこ?」  さきちゃんが、身体を離しながら聞いてくる。その顔には笑み。 「そこ」私は自室を指差す。 「じゃあ、お部屋行こっか」  さきちゃんに手を引かれ、ゆきちゃんに背中を押されながら、私は自室へと導かれる。  一番聞きたかった、ふたりの家庭の事情についてや、深層心理に届くようなことは、まだ何一つ聞き出せていない。  しかし、今ここで、それを口にすることはできなかった。  自分の欲望が、優先順位を狂わせる。  それだけ、ふたりに期待していた。  扉の前で、さきちゃんが立ち止まったので、私がドアノブを回して、どうぞ、と促す。  抜け目がない。こういう礼儀正しいところ、本当に素敵。 「お部屋、スッキリしてるね」  さきちゃんが、私の部屋を見渡しながら感想を述べる。 「片付いてるのが好きなの。使わない小物や器具が空間を占領しているのは落ち着かないから、物はできるだけ減らしてる」  私がそう答えると、ふたりは、ゆりちゃんらしい、と言ってくれた。潔癖過ぎ、とか言われなくて安心した。 「ゆりちゃん、読書が趣味って言ってたけど、本棚無いんだね。私、本がずらっと並んでる部屋をイメージしてたよ」  ゆきちゃんが机の上の文庫本を手に取りながら言う。 「一度読んだ小説の内容って、ほぼそのまま頭に入っちゃうから、リサイクルショップに売りに行って、次の小説を買う足しにしてるんだ。専門書や、すごく気に入った小説は、お父さんの部屋にある本棚に、勝手に並べてる」  私は肩をすくめながら答える。 「すごい記憶力」ゆきちゃんが笑顔で褒めてくれる。 「お父さんの部屋に私物置いて、怒られない?」  さきちゃんが、ゆきちゃんから文庫本を受け取り、それを眺めながら聞いてくる。 「今のところは大丈夫。多分だけど、娘が変なもの読んでないと確認できるから、むしろ良いんじゃないかな、って想像してる」 「ふうん」  さきちゃんは、それだけ言って、文庫本を机上に戻すと、反対の手で、私の手首を掴んだ。  そのまま私の手を引き、ベッドへと引っ張っていく。 「えっ? なに? どうしたの?」  問いかけは無視され、手首から肩へと力の加わる箇所が変わり、私はベッドに押し込まれるように押し倒された。  投げかけた疑問の言葉とは裏腹に、私は自分の口元が緩んでいるのを自覚していた。  こんなの、だめだよ。  強引な振る舞いに喜ぶなんて、私、痴女みたいじゃん。  でも、こういうの嫌いじゃないし……。 「ゆきちゃんには、読書が趣味だって話してたんだね。私、聞いてないけど」  私に覆いかぶさりながら、さきちゃんが低い声で言った。 「……あ」  失念していた。  あれは、学校で行われた内科検診の時だったか。  視聴覚室へ移動する際に、ゆきちゃんと交わした雑談で語った記憶が今、思い起こされた。  さきちゃんには教えていなかったことも。  思わず、ゆきちゃんの方へ目を向けると、ゆきちゃんは合掌のポーズを取っていた。  やっちゃったね、の意か、それとも、ご愁傷様、だろうか。  雰囲気的には後者だな、と考えつつ、私は腹を括った。 「ごめんなさい」  私は、さきちゃんに謝った。それ以外にできることはない。 「今度やったら怒る、って言ったよね?」 「ごめんなさい」  弁解の余地はない。  私達の関係において、贔屓はタブーなのだ。 「ダメ、今回は許さない」  そう言って、さきちゃんは、私の口の中に人差し指を入れてきた。  予想外の行動に戸惑っていると、さきちゃんの指が、私の口内、上顎辺りを引っかいた。 「いがっ」  驚きと、少しの痛みから、私は声を出してしまった。  それを聞いたさきちゃんは、あはっ、と歯を見せて笑い、熱い息を吐いた。 「ねえ、ゆき、私がこのまま、先でいい?」  さきちゃんは、私と鼻先同士をくっつけながら、振り向かずに、ゆきちゃんに問う。 「いいよ。ただ、後で交代してね」  ゆきちゃんの口から許しが発せられると同時に、さきちゃんはキスをしてきた。  私の口にはまだ、さきちゃんの指が入ったままなのに、そんなことお構いなしに唇に吸いついてくる。 「んたっ」  唐突な痛みに、私は声を漏らす。  さきちゃんの指が、また上顎辺りを引っ掻いたのだと遅れて気づく。  しかも、今度は先程よりも強くて、痛かった。  口の中に血の味が混じる。  それが数度、繰り返される。 「さきちゃん、痛い……」  私はたまらず唇を離し、さきちゃんに抗議する。  しかし、さきちゃんは指を口から抜いてくれず、キスも続けようとしてくる。 「ほら、さき、ちょっと、ストップ。ゆりちゃん痛がってるよ」  ゆきちゃんが、さきちゃんの両肩を掴んで引き剥がす。 「お仕置きなんだから、痛くて当然でしょう?」  口の端から垂れる涎を拭いながら、さきちゃんが不満げに言う。 「あ、ごめん、でも……」 「はい交代、私の番」  私とさきちゃんのやり取りを遮って、今度は、ゆきちゃんがキスしてきた。  先程のキスで自分の口の端から垂れた涎が気になって拭おうとしたら、何故か、ゆきちゃんに手首を掴まれた。力を入れても離してくれない。名前を呼ぼうとしても口が塞がっているので、発音が不明瞭となり、意味を成さない。 「黙ってなよ」  耳元で低い声が響く。  目だけを向けると、さきちゃんが、私のすぐ横に屈み込み、限界まで顔を寄せていた。  このふたりは、どうして、特にこういう場面において、阿吽の呼吸を発揮するのだろう。素敵だと思う反面、仕掛けられる当人としては恐怖も覚えるのだと知って欲しい。  ゆきちゃんの顔が離れる。  その目は、しっかりと私を捉えており、ゆっくりと舐められる濡れた唇が、キスの余韻を意識させた。  十分に距離が離れると、途端に顔を掴まれ、強引に顔の向きを変えられる。  そして再び、さきちゃんにキスをされた。 「さき、がっつき過ぎ」ゆきちゃんが笑う。  しかし、さきちゃんは聞こえていないかのように、私の上半身をきつく抱きしめ、数十秒間、貪るようにキスをしてきた。  急に、さきちゃんが顔を離す。 「……さきちゃん?」  私は濡れた口で問いかける。  さきちゃんは私を抱きしめたまま、熱い息を漏らす。  ふと。  私を見るその眼に、色が映った。  多分、私が宿すそれと、同じもの。  普段の余裕は、既に感じられない。  次に彼女が何を言うのかが分かる。  似た者同士だからかな、と気づき、嬉しくなった。 「ごめん、このまま、するね」  熱い息が、私の顔にかかる。  目の前に、さきちゃんの綺麗な顔がある。  さきちゃんの髪が、私の頬や首に流れ落ちてきて、少し痒い。  私は頷いた。  嫌々だと勘違いされないよう、口元の笑みをたたえて。 「ちょっと、さき?」  視界の端で、ゆきちゃんが、さきちゃんの腕を掴むのが見えた。 「我慢できない。いいでしょ? 彼女なんだから」 「私は? 横で見てるだけ?」  ゆきちゃんの声は不満そう。 「交代するから。とりあえず、先にさせて。私……もう限界」  そう言いながら、さきちゃんは、私の首筋に舌を這わせた。  途端、電流が走ったかのように、私の手足と背中が跳ねた。  声も漏れた気がしたけど、自分の身体の反応に驚き、何を口走ったのか分からない。 「ゆり……」  耳元で名前を囁かれ、さきちゃんの熱が伝播してくる。  私も限界だった。  両腕を、さきちゃんの背中に回して抱きしめる。  抱きつくと分かる。ゆきちゃんも、さきちゃんも、見た目よりずっと華奢。私より背が高いので、体格も違うのだと思い込んでいたけど、実際は、あまり変わらない。その事実に、より一層愛しさが募る。女の子だ、と猛烈に意識してしまい、鼓動が早くなる。  自分に引き寄せる。  密着していても尚。  強く、強く。  離れないように。  彼女が滾らせる欲望を受け入れて。  自分の望みを叶えるために。  深く、深く、繋がりたい。 「さきちゃん……」  愛する彼女の名前を呼び、続きをねだる、その言葉を伝えようとした。  ガチャン。  音がした。  この部屋の中ではない。  他の場所。  おそらく、玄関から。  さきちゃんの身体が跳ね起きる。  ゆきちゃんが素早く机上からティッシュを取り、さきちゃんの口を拭く。それと同時に私に手を差し伸べてくる。その手を掴むと、ゆきちゃんは私を引き起こして、さきちゃんの口を拭いたティッシュで、私の口も拭ってくれた。  こんな時に考えることではないんだろうけど、同じティッシュで拭いてくれたことが嬉しかった。自分はこんなにも本気で愛されているのだと再認識できたから。  姿見で自分の顔と恰好に異常がないかを確かめてから、私は自室の扉を開けて、パパ、おかえりなさい、と声をかけた。 「ああ、ただいま。友達が二人来ているのか?」  脱いだ自分の靴を揃えて置きながら、父が聞いてくる。  玄関に並ぶ靴を数えたのだ。こちらはこちらで抜け目がない。 「こんばんは。お邪魔しています。周防ゆきと申します」 「こんばんは。お邪魔しています。周防さきと申します」  私の後ろからふたりが並び出てきて、父へ頭を下げつつ、挨拶と自己紹介をした。  ふたりが父を相手にかしこまった挨拶をする姿を、私は新鮮な気持ちで眺めた。  下げた頭の角度や、手の置き場、玄関からの通路を塞がない位置取りなどから、またもや育ちの良さが窺える。やはり、良いところの御嬢様なんだな、という感想を抱く。本人達は嫌がるだろうから、絶対口にしないけど。 「ああ、これは、ご丁寧に、どうも。ゆりの父です」  父も頭を下げながら挨拶を返す。社会人だけあって、とてもスムーズな反応と対応だった。 「ごめんね、仕事終わりに。時間、見てなくて……」  私がそう謝ると、父は片手を上げて制止する。 「娘に、家に連れて来られるほど仲の良い友達がいるのは良いことだ。謝る必要などない」  父は、私にそう告げると、ゆきちゃんと、さきちゃんの方へ向き直り、挨拶ができて良かった、今後とも、ゆりと仲良くして欲しい、と続けた。 「はい、勿論です」さきちゃんが笑顔で返す。 「喜んで」ゆきちゃんが笑顔で続く。  ふたりの返事を聞いた父は頷き、リビングへ移動していく。  その後、ふたりは鞄を回収してから、そろそろ御暇するね、と言った。  私は、見送りをしてくる、と父へ声をかけて、三人で玄関から外へ出た。  共用廊下へ出て、玄関の扉を閉めた、その瞬間。  さきちゃんが私の両手を掴み、ゆきちゃんが、私のスカートの下から手を入れてきた。 「ちょっと! 何してるの? ダメだよ」  私は押し殺した声で注意する。 「パパ、だってさ」  ゆきちゃんが呟く。可笑しそうに。 「ゆりちゃん、まだパパ呼びなの? 歳いくつだっけ?」  さきちゃんも続く。冷たい声。 「思春期でも父親と仲良くできるのは偉いよね。羨ましいなぁ」 「お父さんは、さぞ人格者で、自分の娘への理解も完璧なんでしょう? そうだよね?」 「ねえ、お父さんは、ゆりちゃんが女の子を好きなこと、知ってるの?」  私の言葉も制止も意に介さず、ゆきちゃんは私の太ももをひとしきり撫でた後、スカートのホックを片手で外しながら問いかけてくる。 「知らないよ。言ってないし、言えるわけないじゃん」  私が首を横に振りながら答えると、私の両手首を掴んでいたさきちゃんがキスをしてきた。手も口も塞がり、抗議する術が無くなる。 「お父さんが、私達の関係を知ったら、なんて言うかなぁ」  私の耳元で、ゆきちゃんが囁く。 「良い子達だと思われた分、ギャップに引くんじゃない? 好印象ぶち壊しになるよねぇ?」  唇を離して、さきちゃんが続く。 「なんで……」  私が疑問を口にしかけると、首を掴まれた。  どちらの手か判別する前に、通路端へ押しつけられた。  無理矢理移動させられた勢いと、首に入った力で、息ができなくなる。  ここまで強引な行為はされたことがなかったので、さすがに恐怖を覚えた。 「聞こえなかった。なあに?」  首を掴んでいたのは、ゆきちゃんだった。  睨むような目で、私を見ている。  これは、好意からくるじゃれ合いじゃない。  攻撃性が、悪意が、嫉妬か? 怒りか?  判別できない。まともに考えられない。  ただ、尋常ではないことが起きている。  それだけは分かった。 「ねえ、ゆき、それじゃ喋れないよ」  さきちゃんが、私の首を掴む手を緩めさせる。  空気を吸い込んだ私は途端にむせて咳き込む。 「ほら、何か言いたいことがあるんでしょう?」  息を整える間もなく顎を掴まれ、目線を持ち上げられる。手の主は、さきちゃん。 「ゆきちゃんも、さきちゃんも、さっきまであんなに優しかったのに、どうして急に、こんな意地悪するの?」  私は疑問を、そのまま口にする。自分の目元に水気を感じた。 「さあ、何でだろうね?」  言葉と並行して、ゆきちゃんの口、その両端が吊り上がる。 「私達が愉しいから、かなぁ?」  そう言って、さきちゃんが肩をすくめる。 「私達は今、ゆりちゃんを使って愉しんでる。どう? 最低でしょう?」  ゆきちゃんが私の髪を指で弾きながら言う。いつもとは違う、物を扱う手つき。 「目が潤んでるよ? どうしたの? なんで泣きそうになってるの? こういうの好きでしょ?」  さきちゃんの舌が、私の目元を丁寧に縁取る。 「理由が、分からないから……」  限界だった。  自分の両目から涙が溢れ、嗚咽に邪魔されて、上手く言葉が続かない。 「ゆきちゃんも、さきちゃんも、本当は、優しいのに、そうやって、酷い人格を、演じようとする、自分達を傷つけるような、振る舞いを、する時がある。それは、どうして?」  自分の涙に溺れる。  途切れ途切れの訴えでは伝わらないかもしれない。  聞き取れない、と遮られるかと思ったけど、ふたりは無言で私を見つめている。  私の問いに、何を思うだろう?  何かを考え、結論を出すだろうか?  それは、私にとっての最悪かもしれない。  次にふたりが口を開いた時。  一番聞きたくない言葉が発せられるかも。  それでも、むしろ。  それなら、今ここで。  全部、ぶつけておくべきだ。  保留にしていた疑問を、私の想いを。 「私達は元々、こういう性格だよ。普段は良い子の皮を被ってるだけ。さっきみたいに」  ゆきちゃんが、私の身体から手を離しながら呟くように言う。 「こっちが本性だって、ゆりちゃんも知ってるでしょ? 少しずつだけど、見せてきたじゃん」  さきちゃんが視線をあさっての方へ向けながら言う。 「良い子を演じないと、いけないのは、本当だとしても、ふたりは、根っからの残酷な子じゃない。そんな人間じゃない」  私は息を整えながら言葉を続ける。  早く戻せ。立て直せ。ぐずぐず泣いている場合じゃない。 「大きな不満や、暗い過去を抱えているのは、なんとなく分かる。どれくらい漸近してるかは断言できないけど、私の中にも、思い出したくない経験と過去があるから。他人に知られたくないことも抱えて生きてきたから」 「同性が好きな事とか?」  さきちゃんが視線を逸らしたまま言う。 「そう」私は頷き、肯定する。 「お母さんがいない事も、同情はするけど、母親がいる家庭だって、問題は起きるんだよ」  ゆきちゃんが、私の目を真っすぐに見据えて言った。 「ご両親と仲が悪いのは、よく分かった。軽々しく共感できるよ、なんて言わない。ただ、事情はある程度まで理解したつもり。そのうえで聞きたいんだけど、それだけじゃないよね? まだ何かある。胸に抱えてる不満が、私に見せてない何かが、もっと複雑なものが他にもあるよね。それは何?」  私は疑問をぶつける。  ストレートに聞いて、素直な返答を期待できるのは、こういうタイミングしかない。 「……分かった、話す。けど、それは、また明日」  さきちゃんが、ようやく私と目を合わせて言った。 「これ以上、ここで長話してると、心配してお父さん出てきちゃうでしょ」  ゆきちゃんが後を引き継ぐ。 「……そうだね」私は頷き、渋々同意する。 「酷いことして、ごめん」  さきちゃんが小さな声で呟いた。 「いい、気にしてない。それよりも、私が怖いのは、これで別れようって言われること」  私はふたりの手首を掴み、言葉を続ける。 「別れるなんて絶対言わないでよ? もし言われても、私、拒否するからね。聞き入れないし、受け入れないから。私のこと無視するようになったりしたら、ストーカーになるからね。学校から家まで付け回すよ」  私の言葉に、ふたりはふき出した。 「ゆりちゃん、怖いよ」  さきちゃんが表情を緩めながら言う。肩の力も抜けたようだ。 「でも、覚悟は伝わった。ごめんね」  ゆきちゃんが私を抱きしめながら言う。 「いいよ、気にしてない。けど、別れよう、って言うのだけは、やめて。その言葉だけは聞きたくない」 「わかった、わかった。大丈夫、言わないから」  ゆきちゃんは私を抱きしめたまま、頭を撫でてくれた。 「ゆりちゃん、大好きだよ。これは本心だから、信じて。好き、大好き」  さきちゃんはそう言ってから、私の頬を両手で挟み、優しくキスをしてくれた。  マンションの階段を降りていくふたりを見送る。  踊り場に差し掛かったところで目が合い、ふたりに手を振る。ふたりも笑顔で振り返してくれた。その後、私はずり落ちそうになっていたスカートを慌てて直す。(忘れてた)  目と鼻と口の周りを手で拭って、深呼吸。  先程までの名残りを、父には気づかれたくなかった。  付き合っていることがバレても困るし、いじめられているのか? なんて勘違いされたら、もっと厄介なことになる。そういう負の連鎖は避けたい。  身体に取り込む空気は生暖かい。  私の顔は、まだ熱い。  対照的に、胸の内は冷えていた。  玄関を入り、廊下を抜けて、リビングへ。  父は椅子に座ってコーヒーを飲んでいた。 「礼儀正しい、良い子達だな」  私が何か言う前に、そう告げられた。 「うん」私は頷き、肯定する。  そう、良い子達。それは事実。  私は使った三人分のマグカップを流しに移動させて洗い始める。 「双子だったな」  リビングの椅子に座ったまま、父は続ける。キッチンと距離が近いため、普通の声量でもよく聞こえる。 「国内総数でいえば、そう珍しくないと言えるが、実際目にすることは、あまりない。偏見の意を含めるつもりは全くないが、私的な感情としては、少々驚いた」  父の感想を聞いた私は、これは本心だ、と判断する。口数が多くなっているのが証拠。  ゆきちゃんと、さきちゃんが、礼儀正しい良い子達だ、と褒められるのは素直に嬉しい。  意図せずではあったけど、ふたりを父に紹介できたのも良かった。  けれど、父が見たのは、あのふたりの表層的な部分だけ。  本性は変態で、おまけにふたり共、私の彼女なの、とは口が裂けても言えない。  そして、例えば、ふたりの深層心理構造は、どのような形をしているんだ? 形質は? 連鎖基盤は? などと問われても、私には的確な説明できない。彼女なのに。  できないんだ。  彼女なのに。  ふたりへの理解が足りていないから。  それが露呈した。  別れ話にならなくて本当に良かった。  今言えるのは、たったのそれだけ。  洗い物を終えて、流しから振り向いた瞬間、ふと、父の撫でつけたロマンスグレーのオールバックに目が留まった。  ここ数年、毛量や額の広さは、そう変わっていないけれど、白髪は、かなり増えたように思う。仕事のストレスや老いが理由の大半なのだろうけど、それはつまり、私を養うためであり、私の存在が、父を苦労させていることに相違ない。そう考えると、申し訳なさで胸が痛んだ。  先程傷めたばかりの私の胸は、些細なことでも揺れてしまう。刺激されたら身じろぎしてしまう。たとえそれが、あのふたりとは無関係なことであっても。 「パパ、いつも、ありがとう。それと、ごめんね。色々苦労かけちゃって」  頭に浮かんだことを言語化して、そのまま父へ伝えた。  父が私を見る。  しばらくの無言を挟み、父が口を開いた。 「ありがとう、という感謝の言葉は身に染みる」  一度言葉を切り、一拍の間を置いてから、父は再び口を開く。 「だが、謝る必要は全くない。親が娘を養うのは当たり前のことだ。そして、私にとって、お前は何よりも大切な存在だ。つまり、何も苦ではない」  驚いた。  ここまで素直な感想が返って来るとは思っていなかった。 「……ありがとう」  目頭が熱くなり、声を詰まらせそうになりながら、私はどうにかそれだけ言葉を返す。 「何かあったのか?」  視線を机に置かれたマグカップに向けながら父が聞く。  急に礼を述べ始めた娘を不審に思ったのだろう。会話の前後と関連性が薄いのだから、疑問に思って当然だ。  それでも問い詰めてくるようなことはせず、冷静に言葉を選び、こうして私が話しやすいよう、視線まで調整してくれる父は、やっぱり大人だ、と尊敬する。 「パパ、白髪増えたなぁ、って思ってさ」  私は誤魔化すために、あえて効きそうな感想を身代わりとして差し出す。 「そういうことなら、尚更、気にしなくていい」  父は片方だけ口角を上げて言った。  自室に入った私は、長めに息を吐く。  短時間の間に感情が揺さぶられ過ぎて胸が苦しかった。  比喩ではない。物理的に苦しい。というか、痛い。  愛情と欲、恐怖と疑問、保留と信頼、愛情と真愛。  あらゆる感情と衝動が混在してしまい、ぐちゃぐちゃだ。本当に酷い心理状態。  また、ふたりにからかわれた。それだけならよかった。それだけじゃなかった。  今回は、いつもより強引で、意図が異なった。別の意味が在った。そう感じた。  あれは何だった? 私は何を、どこで、ふたりの気に障ることをしてしまった?  ふたりが私を攻撃した理由。激情を駆り立てるような、歯止めを失うきっかけ。  可能性の候補は既に頭にあった。記憶を精査して、整理して、これだろうなと絞り込む。  ふたりは家庭環境に問題を抱えている。私が想像しているよりも根深く、ややこしく、暗色なものが水面下で渦巻いている。先程、問いただした時に、それは確定した。  そんなふたりの前で、私は父と仲良く会話をした。パパと呼び、あのふたりから見れば微笑ましいやり取りを、あのふたりの目の前でした。  赤の他人同士や、無関係な家族の仲良しこよしなら、見て見ぬフリもできただろう。あのふたりなら、それくらい簡単なはず。  けど、今回は、そうもいかなかった。  自分達の彼女が、親と仲良くやっている。  自分達の家庭とは真逆の光景を、むざむざと見せつけられた。  やり過ごそうにも、近過ぎて、生々しすぎて、眩し過ぎた。  許し難い裏切り行為に、さぞ、イラついたことだろう。  同時に、やりきれなさが溢れたことだろう。  直前に、さきちゃんとゆきちゃんへの平等性に欠けた行いを咎められていたことも、悪い意味で後押しとなったのだろう。不満を抱いていたところへ、特大のストレスの塊を持ち込まれたら、爆発するのは必然。  本当に申し訳ないことをした。ふたりの事情を把握していなかったのだから仕方ないとか、私にあんな形で八つ当たりするのは筋違いだとか、そんな一般常識的な反論をする気にはなれない。私はそのような精神構造をしていないから。  悪いことをした。純粋にそう思った。  どんな形であれ、理由が何であれ、私は、ゆきちゃんとさきちゃんを傷つけたくなかった。  ふたりが大事。ふたりだけが大事。他の何を差し置いてでも優先したい、大切な大切な彼女達だから。  嫉妬すること、束縛すること、愛でることはあっても、傷つけることは、これっぽっちも望んでいない。  思考を切り替える。  後悔ではなく、改善へ向けて。  さて、そう考えれば、辻褄は合う。  では、今後、具体的には明日から、どうするべきか?  決まっている。  さきちゃんと、ゆきちゃんと、今よりもっとずっと、親密になる必要がある。  通俗的な【仲良く】ではない。そんな薄っぺらなものではもう足りない。  たとえ自分が傷つこうとも、ふたりを怒らせてしまってでも、ふたりの事情に、もっと深入りさせてもらう他にない。でないと私達さんにんの関係は、どこまでも平行線のままだ。  上辺だけの付き合いがしたくて告白したのではない。  そんな生ぬるい関係の人間など、あのふたりには山ほどいるだろう。  そんな人達の相手に辟易していたからこそ、私と付き合ってくれたはず。  他人には無い可能性を私にだけ感じてくれたからこそ、同性であるにも関わらず、交際を許可してくれて、この距離まで近づかせてくれたはず。  自惚れだとしても構わない。  勘違いなら死んで詫びる。  私は、ふたりの、その期待に応えたい。  それが彼女としての務めであり。  強欲で、変態で、依存体質で、重くて、遠慮しない、私の役目だから。
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