エピローグ

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エピローグ

 人間という生き物は、自分が興味のないものに対しては、とことん残酷になれる、そんな特徴がある。  現に、私がそうだった。  物心ついた時から、自分達の扱いや、関わってくる大人に対して、不満を抱いていた。  その不満や抵抗といった感情が、あらゆるものへの興味を削いでいった。  期待しても裏切られる。欲しがっても、与えられることは決してない。  意思を表明しても、砂のように払われて、何事もなかったかのように、両親は私達の意向を無視して、自己満足のみを追求する。  そんなことが十年続けば、何事にも興味関心を持たなくなって当然だ。本気になるだけ損だから。  損益を気にし始めると、他人と仲良くなる必要も感じなくなる。理解しようとも思わなくなる。可哀想だとか、相手に悪いとか、同情してあげることに価値を見出せなくなった。  世の中は、使い捨ての玩具箱。  そこに収められているのは、人間という名前の、代替できるお人形。  意図して割り切ることに決めたのだ。  大切にしようと守っても、すぐに壊されてしまうのだから、適当に遊んで捨てればいい。気に入っても、すぐに取り上げられて、どこかへ行ってしまうのだから、思い入れる価値はない。  幼少期に学んだことは、これくらい。  無知で無邪気な少女ふたりが導き出した残酷な答え。苦い記憶。  現実は一般的に、辛く、厳しい、などと揶揄されがちだけど、実は、そうじゃない。  そもそも、現実という概念さんは、人間という、ちっぽけな存在に興味がない。  幸せな人間がいて、不幸な人間がいて、でもそれは、天秤が揺れるかの如く、容易くバランスを変えるし、そもそもとして不安定。意図して、計算した上で、変化を起こしているわけじゃない。神様とかの上位存在が操作しているわけでもない。そんなのいない。神様はいない。  ただ粛々と時間だけが流れて、その流れの稼働範囲内に、人が存在しているだけ。それだけ。  逆らい難い大きな流れが存在するのは確かだと思う。だけど、それが誰かの手によってコントロールされているわけではない。  従うも、逆らうも、逸れるも、自己の意思ひとつで決められる。自分で決めていい。  大なり小なり、その身にのしかかる抵抗には個人差がある。  それでも、何もできない、どうにもならない、というほどじゃない。  こんなふうに考えられるようになったのは、この子のおかげ。  私の前で、二人が手を繋ぎ、笑っている。  奥から光がやってきて、二人を、私を、包んで舞う。  暖かな斜陽を肌で感じる。魂と精神が浄化される。  口元が緩む。  私達に、こんな表情があっただろうか?  もう一人の私を通して、私とは別の私を見て、心がくすぐったい。  まるで、感情豊かな、普通の学生じゃないの。  これまでは、露骨に感情を出すなんて稀だった。  変わっていく。変わり続けている。これからも、そうなのだろう。  これまでを受け入れてくれて、変化を許容してくれる。  身を挺してでも、私達を説得してくれた。  この子の存在が、私達に新しい風を運んでくれた。  この子のおかげで、私達は未知に触れることができた。  双子である事実は変わらない。  けど、それを意識せずに、毎日を過ごすことができるようになった。  思えば、この子が私達のことを、私たちへ向けて、双子、そっくり、などと表現したことは、ただの一度もなかった。  例え話でも、冗談でも、絶対口にしなかったし、何より驚異的なのは、私達と付き合って、すぐに見分けられるようになったこと、間違えたことが皆無な点だ。  私達を双子と呼ぶことそれ自体が、私達を傷つけると自分の中で隔離しているのか、私達に向けて放つと、暴言の類として機能すると認識しているのか、意識の詳細と、その理由は定かではないけれど、向けられる当人達としては、徹底されたその気遣いや、優しさは、身に染みる。その行為自体が愛情表現だと感じられる。  そこまでこだわらなくてもいいのに、と思う反面、周囲の大人達、同級生、親戚、両親のビジネス上の他人達からの扱いを思い返し、比較して、今までされたことのなかった特別扱いに、心は正直な反応を示す。  この子へ向ける感情が【面白そうな玩具】から【興味深い】対象へ、そして【本気の好意を抱く特別な存在】へと移り変わったのは、多分、これが理由。  大切にしてくれるから、大切にしたくなる。  好意を向けてくれるから、好意で返したくなる。  私のことを好きだと言ってくれたから、私も好きになった。  私達は揃って、この子に惚れた。表現するのが少し難しいけれど、同性である、この子に対して、俗説的に言う、異性へ向けるのと同じか、それ以上の、深く、重く、依存性の高い、貪りたくなるほどの欲を宿した愛情を抱いている。  それを余すことなく受け止めて欲しいと常々考えている。  迷惑だろうか、などと足踏みはしていられない。  ただひたすらに自分本位な私達を、その身体が許すまで、いや、壊れるまで、受け止めて欲しい。  致死量を超えるほどに私達を受け入れて、泥沼のように際限なく、粘質に愛して欲しい。  この子の持つ全てを、私達に捧げて欲しい。  こんな歪で異常な性と愛に耐えられるかな?  耐える、という表現が必要なほど、重荷に感じるだろうか?  自己の不満を抑制してでも、私達に合わせようとする?  私達は、この子を欲のはけ口にするつもりはないし、我慢させたり、潰してしまうようなことは避けたい。  何故なら、愛しているから。  深く、深く、愛しているから。  でも、そう、この子なら、重荷に感じることなく、限界も平気で飛び越えて、私達の欲望をあますことなく受け止めてくれるに違いない。そう信じられる。  近く、私達と同じ形に変わり、中身まで同じ色に染まってくれるだろう。  だからもう、離さない。  絶対に離さない。  何があっても、私達のもの。  死ぬまで一緒に居てもらうし、居てあげる。  なんなら一緒に死んでもいいとさえ思う。  そう思えるほどに、私達は、この子に入れ込んでいる。  これほどまでに人を好きになったのは、初めてのこと。  私達はずっと、産まれてから、今までずっと、一緒だった。  これからも、この先も、死ぬまで、死ぬ時も、一緒だろう。  けど、この子に抱く感情は、私達が、お互いに抱き、向けるそれとは、少しだけ違う。  何と表現したら適当だろう?  大切で、愛おしい。それは同じで、でも、それだけじゃなくて。  もっと、制御できないほどに強く、衝動的なもの。  大切に扱いたいのに、どうしようもなく乱暴してしまいたくなる時がある。  そんな複雑な欲求を、身体と心の一番深いところから引きずり出してくる。  この子の目が、身体が、表情が、言葉が、漏れ、溢れ、浸れるほどの愛が大挙して、私達に押し寄せてくる。  心が乱される。  内面が掻き回される。  でも、それが不思議と不快ではなくて。むしろ、快感で。  一度体験すると、無くなってしまわないで、と願い、縋りたくなる。  目の前でじゃれ合っていた二人が、こちらを振り向いた。  いつも通り、この子は朝に弱く、顔が白い。元々肌が白い子なので、白を通り越して青く見える。付き合い始めた最初の頃は、体調が悪いんじゃないかと心配したけど、これが普通らしいので、大丈夫? とは聞かない。何度も同じことを聞かれるのは鬱陶しいだけだろうから。  それくらいは分かるようになってきた。彼女だからね。これくらいできないと。  代わりに、肩を抱き、耳元で、私のことも構ってよ、と告げる。  たまには普通に挨拶をしようと思うのだけど、どうにも、触りたい、いじめたい、という欲求が先行してしまう。可愛いものは直に触って愛でたい、という癖が私にはある。弄ぶことに快感を覚える、という性癖のせいもある。  ……この子なら、この後、なんて結ぶかな。  そう自己分析してる、とか?  難しい言葉たくさん知ってるんだよね。尊敬する。  そのまま私達で、この子を挟んで歩く。  ふたりで愛でていたいのと、他の人に触らせたくないのと、逃がさないようにするためだ。  世界の見え方は、人によって、また、そのシチュエーションによって、様変わりする。  私達にとっては、この子との出会いが、そのきっかけとなった。  この子の存在が、つまらなかった私達の人生に色を付けてくれた。 【さんにん】で手を繋ぎ、通学路を歩く。  ここまでの道は違っていたけれど、向かう先は同じ。  どこまでも、どこまでも、このまま、さんにんで。  それが、私達にとっての普通で。  型に囚われない愛の形で。  淀みない真実だ。
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