エピローグ

1/1

1人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

エピローグ

 無為の螺旋から零れ落ちたものが形質を変え、そして特別と成る。  この子の意志が、決断が、私達の間に繋がりを創り出した。  けれどこの子は、特別には足り得なかった。  恋人ごっこは、もう、おしまい。  ねえ、貴女には、何が見える?  最後の刻には、何を望む?  そう聞いてみたかった。  窓の外では、二色の光が憎たらしほどの晴天へと昇る。  それが何を意味するのか?  私達にしか分からない。  だから、悲しい。  だから、寂しい。  それなのに、私達は顔を見合わせて笑う。  貴女が教室の扉を開ける、その幕間まで。  放課後、校庭から校門へと続く直線で。  栞奈から、お人形さんみたいで可愛い、と言われた。  私達は顔を見合わせる。  誰が、人形ですって?  貴女に言われなくても自覚してる。  そんなこと、物心ついた頃から、ずっと思っている。  無性に腹が立った。  怒っている、お互いに。  手に取るように、それが分かる。  双子だから、私達は繋がっているから、怒りすらも共有する。  これを引き金としよう、と決めた。 「栞奈、私達、別れましょう」  すぐに実行した。  別れの言葉は、思っていた以上に簡単に、口に出すことができた。  きっかけは何でも良かった。  不満は既に積もっていたし、それが苛立ちや、小さな怒りに転化することも日常茶飯事だった。コップの縁で耐える、表面張力のようなもの。とにかくギリギリのバランスで保っていた。その時を待っていた。その時まで保管していた。  どうせなら、少しでも大きな怒りの感情が湧くフレーズで着火した方が、よりスムーズに、より確実に、別れ話に繋げられる、と考えていた。  相手に責任がある、怒りに火を点けた方が悪い、そんなきっかけを待っていた。保身の為に堪えていた。自分達の罪悪感を緩和するために。自己都合ばかりの計算が成されていた。  ええ、分かっているわ。  私達は、最低の双子。  だからこそ、このタイミングを採用した。  相手の気持ちなんて、彼女の想いなんて、微塵も考慮していない。  当然、栞奈は泣きじゃくった。  どうして? どうして? なんで? そんな、急に、私、何か悪いことした?  これらの言葉を繰り返した。これまで見たことないほどに取り乱して、大騒ぎをした。  最後には、ごめんなさい、ごめんなさい、と謝罪の言葉を繰り返すばかりとなった。  必死に縋る姿を見て、私達を好きな気持ち自体は本物なのだろうな、と理解した。  ひけらかすための偽りではない。偽善でも、妥協でも、惰性でもない。  薄っぺらい代替感覚で、私達に付き纏っていたわけではない。それは伝わってきた。  けど、私達が欲しいのは、それじゃないのよ。そうじゃないの。  欲しいものじゃないなら、いらないの。余計なものは持っていたくない。邪魔だから。  私達は冷たい。どこまでも非情に堕ちることができる。冷酷になれる。  もしかしたら、人の心を持ち合わせていないんじゃないかと、本気で疑ったくらい。 「貴女は良い子だったわ。私達には勿体ないくらい素直で、明るくて、健気で」 「生きることに前向きで、汚れていない人格で、羨ましいくらい」 「だから、私達とは上手くいかなかったの」 「貴女が私達に惹かれたのは、ただ単に、私達の顔が良かったから」 「そして、私達が抱えているものが、魅力の一つとして機能してしまった」 「私達の生き方に、振る舞いに、言動の小さな一つ一つに、感化されていただけ」 「それではダメなのよ。それだけでは、ダメなの。足りないし、逆効果になってしまう」 「純粋で綺麗なものだけを見せられて、ぶつけられると、私達は不快になってしまうから」  この説明では、しかし栞奈は頭を抱えてしまう。ええ、貴女には難しいでしょうね。 「ごめん、ごめんなさい。よく分からないよ。分からない。だって、好きなんだよ? こんなに好きなんだよ? それだけじゃダメなの? 私、本気だよ? 周防ちゃん達のことが好き! 好きなの! 本当に、本当に、周防ちゃんのことが好き! 二人と付き合えたことが嬉しかった! この気持ちは本物だから、二人の為なら……何だってできるから……」  涙を流しながら、栞奈は必死に訴えてくる。  可哀想だとは思う。  そんな姿が哀れに映る。  もう決めたことなのに。  最初から決まっていたことなのに。  貴女とのお別れは予定調和なのよ。  だから、覆すことはできないのよ。 「なんでも?」  私達は、私は、彼女を追い詰める。 「貴女、何でも、という言葉は、気安く使って良いものではないわ」  もう追い縋って来られないように。 「だって、だって……」  栞奈は泣きながら、首を激しく横に振る。 「なら、今ここで、貴女の指を切り落として、私達に捧げて見せて?」  徹底的に未練を断ち切らせる。 「私達を愛している証拠として、貴女の覚悟を見せて?」  私達の要求に、栞奈は涙を流しながら青ざめる。 「それは……」  口籠る。  視線が泳ぐ。  無理でしょう?  できないでしょう?  当然よ、それが普通。  その感覚が、まともな人間である証拠。正常のボーダーライン。  私達が求めているのは、それを平然と超えられる子。  すぐさま自分の指を切り落として、血に塗れた手で、それを握らせてくれる。赤い感情を流しながら、ほらね、愛してるでしょう? と言いながら笑ってくれるような、そんな相手を夢見ている。  貴女は無理をしなくていい。  そのままの貴女でいていいのよ。  私達とは無縁の場所で、他の誰かの横で、幸せになって欲しい。  私達は、言葉の鋭利さを知っている。その厄介さも知っている。  皮膚や骨をいとも容易く掻い潜り、心にまで届く。返しの付いた刃で突き刺さし、引っ張って引っ掛かり、抜けなくなる。揺らせば揺らしただけ傷は広がり、果ては致命傷となる。そんなグロテスクな性質を有している。  だからこそ、できるだけ、責めるような物言いはしたくなかった。  この記憶が、経験が、彼女の中で確実に尾を引くトラウマとなってしまうから。  形だけの良心の呵責。どれだけ言い訳を並べたところで責任から逃げた事実は不変。  私達は、繋がりを維持することが怖かった。繋がりを保つ自信も無かった。  正しいか、正しくないかで言えば、間違いなく、正しくない。  私達の振る舞いに、正しさはひとつとして無い。  エゴとプライド、そして臆病さ。見出せるのは、それくらい。  好みや価値観が合わないのであれば、偉そうな御託を並べるのではなく、気持ちを、考えを、言葉にして伝えればいいだけ。  それをせず、煙に巻くような真似をして、彼女を遠ざけている。  小さなプライドを守るために。ふたりだけの世界に逃げ込んで。  これ以上、傷つく事に耐えられない、たったそれだけの理由で。  こんな未熟で、純粋で、幼い子を、傷だらけにして捨てるのだ。  まさに畜生の所業。  好きって何なんだろう?  何をもって好きだと定義する?  好きを超えて、愛していると、愛し合えていると、どうすれば証明できる?  例えば、どこまでも、どこまでも、深い水の底へと沈んでいく。  窒息するその時まで、愛するその相手と、互いの息を交換し続ける。  命を差し出し合うことに喜びを覚える。それが私達にとっての愛するということ。  理解などされないだろう。共感できる者など、いるはずがない。  端的に表現すれば、死ね、と言っているのだから。  私達の為に死んでほしい、私達と共に死んで欲しい、そう頼んでいる。そう 願っている。それを喜んで受け入れてくれる相手を欲している。  絶対引かれるよ、こんなの。  不可能だ、と再認識する。  いるはずがない。  こんなことを受け入れてくれる子など。  栞奈に笑顔で別れを告げる。  好きにはなれなかったけど。  大切な存在だったと、心から、この子は良い子よ、良い人よ、と言ってあげられる相手。  貴女とは、合わなかった。たった一言。表すならこれだけの理由。  栞奈は可愛い。私達に、よく懐いてくれていた。  けど、言ってしまえば、それだけの関係だった。  顔が良い、愛想が良い、性格が良い、とても素晴らしいことだと思う。一般的にも、人間的にも、評価されやすい人種であり、人格だと評価できる。  だから、つまらない。  私達にとっては退屈なだけ。  一緒に居ると、どんどん苦痛に感じてきた。慣れるより先に嫌気が差していた。  話していても、笑い合いっていても、常に胸の中に劣等感が漂っていた。  日の当たる場所で堂々と生きられるあの子と私達では、やはり相容れない。  まともじゃない私達とする普通じゃない恋愛なんて早く止めた方が良いに決まっている。  性格の悪い双子とは、距離を取るべきなのよ。  私達は間違いなく、どこかで何らかの報いを受けることになるだろう。そう感じる。  本当に好きな相手ができた時、私達がしたような、手酷い振られ方をすることになるかもしれない。そうなったとしても因果応報。  例えば、この子以外の相手と、また恋愛をしたとして、どのみち上手くいかないだろう。  私達が変われる日なんて来るのかな?  本気で好きだと言い合えるような、そんな相手と出会えるのかな?  その相手は、その子は、私達のことを平等に愛してくれる?  私達と同じくらい、壊れてるかな?  危なっかしい性格をしていて、依存体質で、一歩間違えば死んじゃうような、ガッタガタな歪み方をしてる女の子が良いなぁ。  多分、同類と出会いたいのだろう。  同じような家庭環境を愚痴り合って、不満を共有して、心の底から泣き合える。  そんな関係が理想で……理想か、あぁ、嗚呼、我が儘を通り越して傲慢か。  叶わないと分かっているくせに諦め切れないんだよね。かっこ悪いよなぁ。  無意味な妄想を胸の奥へと仕舞い込み、泣き崩れる憐れな栞奈へ背を向けて。  私達は溜息と共に、灰色の日常を歩き出す。  帰ってきてしまった。  丁度、学校の校門を通り過ぎたところだったから、そんな連想をしてしまう。  ただいま、退屈な日々。  ここが、私達の居るべき場所。  仕方がない。こればっかりは、どうしようもない。  顔に当たった冷たさに目を上げると、雨が降り始めたようだった。  さっきまで晴れていたのに。  けれど、涙が出たのではなくて、ホッとした。  涙なら、もっと温かい。  六月。私達の代わりに空が泣く。  ねぇ、もし、神様なんてものがいるのなら。  どうか、あの子にだけは、安楽を。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加