プロローグ

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プロローグ

 甘い香りに、ほだされている。  その香りの由来とは、愛する恋人の香り。  隣で穏やかに眠る彼女本人から、この部屋という空間全てから、濃厚で魅惑的な素粒子が、私へ向けて放たれている。  魅了されないのは不可能だった。この頭と身体は、とうに心酔。  真っ白なその頬に触れたい、艶やかな唇を指先でなぞりたい、そんな欲をどうにか抑えて、私はベッドから下りた。  この子は眠りが浅いから、ちょっとした接触や物音で目を覚ましてしまう。愛する人が嫌がることはしたくない。  窓辺まで移動し、少しだけカーテンを開く。そっと透明な硝子に触れた。  瞬間、接触させた片手がひんやりとして、次に浸透してくるのは温かさ。  硝子の向こうへと視線が伸びる。奥へ、先へ、と抜ける視界。  私達は、心地の良い夜が好き。  夜を歩き、夜に染まり、夜を愉しむ、そんな習慣が身に付いていた。  春に咲いて、夏を殺し、秋を泣いて、冬に逝く。  影を縫うことばかり考える毎日。  四季とは、その繰り返しだった。  あの頃は、穏やかな今とは明確に違う日々を送っていた。  肌を伝う季節の感触なんて、無機の鉄のように感じられて、どうにも腹立たしくて。  何が何だか、どうしたいのか、自分達にもさっぱり分からなくて。  身近な物も者も、目に入る全てが、とにかく不快で苛立っていた。  他人を弄び、自分達を傷つけて、世界そのものを憎み恨んでいた。  これまでの私達はきっと、黒くくすんだ砂鉄のような人間だった。  髑髏のような顔をした両親が用意した毒牢の中で、双子である私達は飼われていた。  疑問を溜めて、不満を叫び、出生を憎み、操り人形ではないと地団太を踏んで、それでも抗う術と徹底する覚悟を持てず、毒と知って尚どうすることもできず、欲しくもない生を無理矢理に喰わされていた。  互いを信じ、互いに寄り添い、互いを守るだけで精一杯だった。  したいことなんて何もない。  どうにでもなればいい。  理想は叶わないから。  生きていたくない。  夢もない。  希はない。  あらゆるものを手放して、諦めていた。  しかし、それは束の間の自棄で済んだ。  もう過去のこと。忘れてしまっていい、些事な記憶。  相成った由縁は、ひとりの女の子が救い出してくれたから。  高校生になって二日目に、その子は私達を捕まえた。  とんでもないことをしでかして、柔らかな時間を与えてくれて、共通の趣味で喜びを見せてくれた。体当たりな理屈を披露してきて、強固な約束を取り付けてくれた。見出せたのは、思ってもみなかった幸福で。  嗚呼、そう。  あの日の出会いと、それからの日々と、私達の部屋でのやり取りは一生忘れない。  想いは激しく重たくて、他人とは比較にならないほど独善的。  だからこそ効果的で、唯一の結(ゆい)我(が)と成った、私達だけの意志。  心が浸りたくなってきた私は窓から目を離し、彼女の勉強机の上から自分のスマートフォンを手に取る。有線イヤフォンを挿して、お気に入りのV系の音楽を再生。すぐに曲が流れ始める。  貢ぐ 喰らう 贄の循環 餌か? 糧か? 肥しか? お前等  その身 散らし 土へと還る 糸が 意図が お前を揺らす  笑え 笑え 意思など捨てろ お前は人形 ただ踊れ  どうした? 踊れ 笑えよ 片割れ  個性など無い 必要もない ふたりでひとつの玩具だろう?  TWIN DOOLs  TWIN DOOLs  HAPPY TIME GO TO HELL (憐れな双子 憐れな双子 お楽しみの時間だ 地獄へ落ちろ)  TWIN DOOLs  TWIN DOOLs  HAPPY TIME GO TO HELL (哀れな双子 哀れな双子 お愉しみの時間だ 地獄へ堕ちろ)  どうした? 従え こうべを垂れろ  身を引く糸に 委ねろ、片割れ  幾重にも張られた この意図が お前等の魂を絡め捕る  それが運命(さだめ) これが理由(こたえ) 他に一体、何がある?  お前達には何もない 逆らうすべなど在りはしない  不服か? ならば 血を散らせ  糸を 意図を 千切ってみせろ  華奢な身体をくねらせて 臓物垂らし 這い進め  死の瀬戸際へ 命の海へ そうして まみえた月夜の浜  潮の香り 反射する光に息を漏らして 浄化される身体の心地はいかが?  それこそ自由 それこそ永遠  人形卒業さ 逝けよ傀儡  TWIN DOOLs  TWIN DOOLs  END OF TIME WELCOME TO HELL (憐れな双子 憐れな双子 最後の刻だ ようこそ、地獄へ)  TWIN DOOLs  TWIN DOOLs  END OF TIME WELCOME TO HELL (哀れな双子 哀れな双子 最期の時だ ようこそ、地獄へ)  やっぱり、良い曲だなぁ。  タイトルは【WE HELL,s】。ハードロックな、俗に言う暴れ曲。  これを初めて聞いて、合わせて観たMVに、ふたり揃って衝撃を受けた。  私達のことを歌っているのかと、本気で錯覚したから。  それくらい、私達ふたりを取り巻く環境を的確に表現していた。  歌ってもらえたことが嬉しくて、こんな愚直で美しい世界もあるのだと知り、感動して。  同時に、気づいてしまった。  私達以外の誰かが、曲として書き起こせるだけの悲惨を想像したり、実際に体験しているからこそ、こうして私達の外側でも、触れることもできない遠く離れた地でも、似たような環境が再現されているのだと。  私達以外にも、私達のような生き方を強いられている者達がいるのだと。  それはつまり、私達は私達以外として生まれたとしても、似たような地獄を喰う羽目になっていたかもしれない事実の裏返し。  そんな絶望的な可能性を認知してしまった。  あんまりだ。  生まれ変わることくらいが支えだったのに。  再び生を享受ことすら恐ろしくなってしまった。  人として生まれ直したいと思えなくなったし、これまで以上に生きることが嫌になった。  双子として生を受けなかったとしても、この世界で、人間として生を受けた時点から。  確率という法則、気分次第な割り振りのせいで、地獄の縁を歩くことを定められる。  あの歌詞の通り、従うなら、私達は玩具の荒人形。  糸で雁字搦めにされ、もつれてぶら下がっている。  意思は必要ない。自由も無い。自分なんて居ない。  抵抗するなら、血を散らして、臓物を垂らして、砂にまみれて這いずり逃げるしかない。  そこまでしても、待っているのは死。  ようこそ、地獄へ。歌詞の通りにね。  最期だけは、全てが優しい。  生きるとは、そういうこと。  一体、誰が欲するというの?  そんな世界を。  そんな惰性を。  そんな人生を。  地球で最も進化した命である人間だけが、不合理を解して、自らの精神を苦しめる。  何故だろう?  何故、そんな真似をするのだろう?  何故、気づいてしまったんだろう?  何故、愚直に悩み続けるのだろう?  解決できないかと、緩和できないかと、逃げおおせられないだろうかと、考えてしまう。  生涯に渡り悩むことになると分かっていながら、そうせずにはいられない。憐れな知性。  こんな世界の愛し方を知っている者がいるなら、どうか教えて欲しい。  私は、私達は、どうすればよかったのかを。  私と、私達の、本当の自由と居場所は何処に在るのかを。  いや、聞かなくても、そんなこと、とっくに分かってる。  誰かに縋り問いかけても、万難解決の解答や救済が得られるとは限らない。  だから、こうして私達のように、私達以外にも、思考し、悩み、苦しむ者達が存在する。  孤独を舐めて生を吐き出して来た者には親近感を覚える。赤の他人というよりは、身内。  どのみち他人であることには変わりないのに、尊敬の念すら抱いている自分は変わり者。  それくらいには、他人という概念が、根本的に異なるの。  孤独を知る者と、そうでない者達との違い。それだけのことが、これほどまでに決定的。  人は皆、それぞれ違う場所で、違う者の下に生を受ける。望まれた、という錯覚のもと。  その開始地点の差異が、誤った認識が、子に良し悪しとして大きな影響をもたらす。  以前は、ううん、今でも、そんなふうに思う。  それが如何ともし難い、という問題も含めて、懸命に生きている者を悩ませる。  期待されることに、求められることに、愛されることに、臆病になってしまう。  そのたった一つの事実が、生涯に渡って長期に、最悪の影響をもたらし続ける。  だけど、そう。  この心を喰い散らし、この身を苛む苦痛は、最果てへと通り過ぎた。  私達は、這って逃げた、その先で、手を握って、起き上がらせて、命を救ってくれる人に出会えた。その子は、惰性の命に意味を与えてくれた。  決して楽ではなかったけれど、変わることができた。そのきっかけを与えてもらえた。  憂鬱の日々を抱えることもない。不満と憎しみだけが巣食う家だけが居場所じゃない。  灰色の道を前に項垂れて、ふたりひっそりと涙を流すことも、もうしなくていい。  この子が、全てを払拭してくれた。  人格の芯を愛してくれる本物の聖。  他に類を見ない、真に強い女の子。  だから、惚れた。  心底、惚れ込んでいる。  私達の全てを捧げて構わないと、それでもまだ足りないと思えるくらいには愛している。  どんなに愛し合っても、この身に移るのは同性の香りだけ。余計がないから安心で安寧。  香水の匂いも、制服にメイクが付いてしまっていても、何もおかしくない。普通のこと。  女の子同士のことだから、全然、おかしくない。  女の子同士で好き合っても、何もおかしくない。  変じゃない? ううん、変じゃない。ちっとも変じゃないよ。  好きだから付き合う。愛しているから愛し合う。当然のこと。  特異性を有していても、反応できる何かが、つまり、きっかけがなければ、顕著な変化は起こり得ない。  私達の間には、それが起こった。恋という素敵な形で。  反応を互いに認めて、それを誤魔化さずに、正面から晒し合った。  引くことなく、隠すことなく、馬鹿正直に投げつけ合って、手探りで行先を決めた。  陰鬱な事情に変革を叩き付けて、消したい過去の過ちを罵られて。  懺悔と共に強依存から膝を折って、本音を吐いて、懇願をみせて。  愛する者を守る為に、愛するこの子を傷つけた罪人に手を上げて。  さんにん共が納得できる、進もうと信じられる道を選択してきた。  それら重なった成果と、背負う業。  変えられない性と、循環する想い。  不変の覚悟で、この関係は成立している。  これで完成かどうかは、まだ分からない。  でも、今後成長することはあっても、退化することはないと断言できる。  道が別れるなんて論外。破綻など除外。そんな可能性は微塵も許さない。  できることなら、片時も離れてなどいたくない。  間を空けてしまったら、ようやく見出せた輝きを失うかもと勘違いしてしまうから。  どこにも行かないで。  どこにも行かないから。  ずっと此処に居て。  私達の間に。  私達に挟まれて。  私達だけのものでいて。  私達だけを見ていて。  私達だけを想っていて。  私達も、貴女だけを愛するから。  ほんの少し想像しただけで、言葉が、心が、乱れる。  愛しているからこそ乱れてしまう。  嫌いになんてならないで頂戴。  愛想を尽かしたりしないでね。  ねぇ、眠ってなんていないで。  幸せな寝言でいいから、御返事をしてみせて。  想いが溢れて溺れそうになる心を、今は駄目よと、なだめながら、私はベッドへと戻る。  イヤフォンを外して、スマートフォンと一緒にベッドの端へ避けて置く。こんなものより、この子の方がずっと大事。  安らかな寝顔と、美しい寝姿を眺める。  なあに、この子。本当に、たまらない。  どうして、そんなに可愛いの?  とっても素敵な、私達の彼女。  眺め微笑み、愛で続ける。  このまま、一生をかけて。  いつまでの一生かは分からないけれど。  これから先、何が起きるのか、何が待ち受けているのか、そんなの知らない。  貴女のために生きて、貴女と共に笑って、貴女と涙まで共有して。  貴女と手を繋いだまま、同じ棺に入る。それだけは決まっている。  私は、何も恐れていない。その必要がなくなったから。  私は、もう十分過ぎるほどに幸福。  貴女から、驚くほどに貰ったから。  一方的な、言葉にならない、水面下の意志。  それでも、この子なら、掬い取ってくれる。  だから、惹かれたの。  だから、愛している。  好き。  好きよ。  本当に好き。  世界で一番好き。  誰よりも貴女を愛している自信がある。  朝が来たら、すぐにキスをするからね。  この夜を語ることはしないけれど。  藍色の月を食み抱いた砕柔(さいじゅう)の想い。  絶対に、次に目を開けた時にでも。  熱を宿したキスと共に飲み込んで。  ねぇ、約束だよ。
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