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S県T市M地区。天竜川の支流の一つ。大窪川を見下ろせる県境の落地山の青峠に少女が一人。道行く人や車の乗客達が興味深そうに彼女を見つめては去っていく。
この青峠は地方でもそれなりに名の知れたハイキングコースになっており、一〇〇〇mに迫る標高と相まって、この初夏の時期には歩きに来る客は少なくない。少女一人というのがいささか不用心といったくらいだが、たまに見かける光景だ。
特筆すべきは彼女のいでたちである。
時折吹き下ろす風に揺れるのは、丈長で束ねられた腰まで伸びた黒髪。白の上衣に緋色の袴。
どこからどう見ても、神社の巫女さんなのだ。しかし、この青峠周辺には巫女を抱えるような大きな神社はどこにもない。
彼女のようないで立ちを普段から拝みたければ、直近は秋葉神社になるが、何十キロと離れている。
にも関わらず、車で来た様子はどこにもなく立つ姿は明らかに浮いていた。
足元をみれば吐いているのは草履でも下駄でもなくタクティカルブーツ。さらに傍らに置かれているのは髪と同じくらいの高さはありそうなドラムバッグ。
どこぞの駐屯地の新入りが、罰ゲームでコスプレをさせられて道端に置いて行かれた、と言われたら納得しかねない組み合わせだった。
しかし、彼女のぴしりと背筋を伸ばした力強い立ち姿にも関わらず纏う静謐さは、浮世離れしたある種の美しさを醸し出しており、紛れもない巫女のソレであった。
彼女が立ったままじっと見つめているのは、道路沿いの山林にひっそりと建つ石碑であった。
すっかり風化してしまい、何か掘られているのかはわかるのだが、何が掘られているのかはさっぱりわからなくなっているそれを彼女はただ静かに眺め続ける。
遠くから救急車とパトカーのサイレンが木霊する。
やがて満足したのか、うんうんと何やら頷き、押し上げていたバンダナから指を離す。
彼女の両目が完全に覆われてしまうが、まるで意に介した様子もなく、バッグを持ち上げて歩き出す。
鼻歌交じりで今にもスキップしそうな軽やかな足取りで峠道を進むその背中を、すれ違うハイカー達は狐につままれたように見送り続けるのだった。
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