巫女は鈴の音と共に

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「ったく、ひでえもんだ」  開口一番、山住義元刑事はそう呟いた。  その眼前には、落地山の工事現場で起きた土砂崩れの光景が広がっている。  昨今のハイカーの増加もあって駐車場を整備する予定になっていたのだが、見事なまでに削れた斜面と土砂の山がそこにはあった。  死人が出なかったのはせめてもの幸いと言った所か。 「た、退避!」 「離れろおっ!」  怪我人を運び出し終えて現場を検証するかと散らばって行った警官や鑑識達が突然駆け出してこちらに向かってくる。様子を見に来ていた現場監督や他の作業員たちも一緒だ。 「な、なんだ⁉」  口元を抑えながら駆け寄ってきた部下の都田がゼーゼー言いながら、ダメだと言わんばかりに手を振った。 「何が起きたっ」 「ガスみたいですよ」 「ガス?」 「ええ、卵の腐ったような臭いがしたって」  硫化水素か。土砂崩れでガス溜が表に出てきたか、と思ったものの、山住は内心で首をかしげる。  この辺は火山活動で出来た山はなかったはずだ。今まで硫化水素が出たという話も聞いた事はない。  はっきりしたガスの種類はこれから改めて鑑識なりが検査するとして、ガスが出たとなっては、安全性が確認されるまで現場検証はお預けになりそうだ。 「先に事務所で聴取するぞ」 「あ、はい」  安全確認は鑑識や他の者たちに頼むと、山住は都田と工事現場の作業事務所へ向かおうと踵を返す。  その時、不意に鈴のような音が聞こえた気がして、山住は振り返る。  視界に飛び込んできた思わぬ存在に、彼は目を見開き、加えていた飴を落っことした。 「おやっさ――え?」  ついてこない山住を気にしたのだろう。振り向いた都田の顔も山住と全く同じ事になる。 「巫女、さん?」  一体全体、どこから入り込んだのか。  崩れた土砂を前に、緋袴の少女が一人。やけにデカい袋を肩にひっさげて立っていた。  彼女は興味深そうに現場を見上げて、軽やかに行ったり来たりしている。  鑑識や他の者たちも、突然の事過ぎたのか、言葉を失くして彼女を見つめていた。 「これはこれは」  うんうん、と頷く彼女の姿に、山住の頭はようやく再起動を始める。 「なんだ君は、一体どうやって――?」 「歩いてきたんですよ~。私、巫女ですから」  山住の方を見る事もなく、彼女は背中越しに首をかしげながらそう答える。  巫女と徒歩の関係性が全くもって彼には理解できなかったが、とにかく面倒そうなタイプだという事は即座に理解する。  見張りの連中は何をしていたんだ、とは思うが、入ってきてしまったものは仕方ない。 「いいからすぐに出て行きなさい。ここは関係者以外立ち入り禁止だ」 「話せば長いんですけど、一応私も無関係ではないといいますか」 「わかったわかった。そういうのは良いから」  案の定面倒なタイプだな、と頭を掻いてから、顎で都田に追い出すように指示を出す。  すると、少女はゆらりと山住達の方へと顔を向ける。 「都田刑事、足元には気を付けた方がいいですよ」 「え、うわっ」  彼女の呟きが届く前に、都田がバランスを崩してすっころびそうになる。  見れば山住が落とした飴が都田の足元に転がっていた。  山住は背筋に何か不気味なものを感じて、彼を助け起こすのも忘れてその場に立ち尽くしていた。  今、彼女は何と言った。都田の名前を呼ばなかったか。それに、まるで転ぶのを知っていたかのようだ。  そして何より、どうやって彼女は、この状況を見たと言うんだ。  振り向いた少女の両目は、バンダナで覆われていたのである。  こちらの様子も何も、足元すら見えはしないだろう。  だが、クスクスと口元を押さえながら笑いこぼして、こちらの心を見透かしたように「これはお気になさらず。これでもちゃんと、見えてますから」と告げた。  狐につままれた様な気持ちを抑え込むようにして拳を握り、山住は改めて都田に告げる。 「彼女を連れていけ。近くでうろちょろするようなら、署に同行しろ」 「りょ、了解」  状況にすっかり呑み込まれていた都田も、山住の言葉にようやく動き出す。  足元に気を付けてそろりそろりと巫女服の少女に近づいていく。  彼女はすばやく両手を上げた。 「まあ、そうなりますよね。お騒がせして申し訳ありません。退散しまーす」  さっさと彼女は都田の横をすり抜けて、軽やかに工事現場の事務所の方へ向かって歩き出す。  本当に目を覆っているのに見えているようだ。  都田も何が何やらと困惑気味に首を振ってその後を追っていく。  都田が追い付いた所で、少女はまたも山住の方へ顔を向けた。 「山住刑事。お話はよく聞いた方がいいですよ。これで三回でしょうから」 「何?」  少女の呟きに、現場監督がわずかにたじろいだのを、山住は見逃さなかった。  その様子を前に、彼女は口元に手を当ててクスクスと笑いながら、都田を置いてけぼりにして立ち去って行った。  得体のしれない何かを感じていた背中と肩から、わずかにだが力が抜ける。  ふう、と大きき息をつき、山住は そそくさと立ち去ろうとしていた現場監督の肩を掴む。 「さて、詳しい話を聞かせてもらおうか?」  あの少女の言動はとても信用に足るものでない。だが、刑事生活二十余年で積み上げた自分の勘を疑ったことはない。  この男の反応は、紛れもなく本物だったのだ。
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