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「冗談じゃないぜ、まったく」
現場監督や関係者からの聞き込みに一区切りをつけ、山住は喫煙所で紫煙をくゆらせる。
工事現場の事務所だというのに、今や完全禁煙と来たものだ。
刑事だろうが関係ない。喫煙者はすっかり敷地の端に追いやられてしまった。
彼はチラチラと手にした携帯を気にかける。先ほど都田に連絡を取ったのだが、その後の報告が全くない。
何をしていやがるんだ、と何度もつま先が地面をたたいた矢先、息を切らせて都田が駆け寄ってくる。
「ああ、いたいた。やっぱりここでしたか」
なぜ電話をしないで走ってきたのか、と言いたくなった気持ちをこらえるように、山住はタバコを灰皿へ押し付けた。
「間に合ったのか?」
「間に合ったもなにもあったもんじゃないですよ、もう」
都田の反応から、また妙な事が起きてるのは確実だった。
すぐに案内させるように促し、後を他の刑事に任せてその場を離れる。
連れて来られたのは、現場から数百メートルほど下った、既存の駐車場。
そのトイレの隣に設置された東屋にお目当ての人物はいた。
テーブルにはクッキングストーブが置かれ、その上で小さなケトルが湯気を上げている。その脇にはティーバッグの入ったアルマイトカップ。
キャンプか登山のティータイムのように店を広げていたのは、先ほど現場に乱入してきた巫女少女である。
相変わらず、バンダナで両目を覆ったまま、彼女ははっきりと山住の方を向いて会釈する。
「思ったより早かったですね」
「楽しそうだな」
「ただ待つよりは、楽しく待つ方がいいじゃありませんか」
少女は火を止めてケトルからカップへお湯を注ぐ。
「ご一緒にいかがですか?」
「え、じゃあ――あいたっ」
すっかり相手のペースに飲まれて、今にも席に着きそうになった都田の背中を引っぱたく。
「君は、知っていたな?」
「はい」
はぐらかす様子もなく、山住の質問に彼女はあっさりと頷く。
山住は改めて都田にも座るよう促して、少女の向かいへと腰を下ろした。
「君の名前は?」
「里見八重です。あ、なんでしたらどうぞ」
そういって、彼女が差し出したカードに、山住は目を丸くする。
運転免許証である。
住所は千葉、年齢は一九。ざっと目を通し、山住は手を伸ばした。
「これは――借りてもいいのかな?」
「構いませんけれど、あらあら。もう取り調べが始まっていたんでしたか?」
「少なくとも、不法侵入の現行犯でひっぱる事はできるな」
「なるほど。ふふ、どうぞ」
山住の答えがお気に召したのだろうか。彼女は免許証を、伸ばされた彼の手に置いた。
「照会しろ」
「えっ、あ、はい」
都田はそこまでしなくても、と言いたげだったが、山住の指示に従い、免許証を持って車両へと戻っていく。
都田の姿が遠くなったのを確認し、山住は改めて、八重と名乗った少女へと向き直る。
「君は、なぜ知っていた? 関係者の身内か?」
「まさか、そう見えましたか?」
山住の問いかけに、彼女は笑みを絶やすことなく聞き返してくる。
その返答の意味を、彼女が理解しているのだとしたら、と山住は目の前の少女に底知れぬ何かを感じ始めていた。
「それで、工事の方はどうなるのでしょうか?」
「――当面は、中止させることになる」
わずかに逡巡したのち、山住はそう答えた。この程度の事を、今彼女に隠してもおそらく無駄だ、という直感を信じたのだ。
「当然の判断、といったところですね。計三回のうち二回は未報告、ついには負傷者まで出してますからね。業者の選定もやり直しでしょうか」
「それについては警察の管轄ではないな」
そう答えながら、山住は改めて、少女をじっと観察する。
彼女はティーバッグをよけて、心地よさげに香りを楽しんでいた。
一体、この少女は何者なのか。格好に目を瞑れば、どこにでもいそうな女の子である。
それだけに、不可解な事が多すぎる。
名前も住所も、免許証の情報は間違いなく本物だろう。照会はさせているが、答えを待つまでもない。少なくとも、彼の経験がそう告げていた。
かといって、工事関係者の身内ではないという。
ならば一体、どこでどうやって、彼女はこの現場の事故を知っていたのか。
山住の聞き込みに、現場監督は、今日以外にも、二回の土砂崩れや崩落が起こっていた事を認めている。怪我人が出ていなかった事や、納期の都合などもあって、結果的には隠蔽していた事になる。
作業的には起こるはずがない、とかなんとか話していたし、専門的な事は山住はわからないが、事故が起きたのは事実であり、それを隠蔽していた。彼にとってはそれがすべてだ。
そして、その隠蔽されていたはずの情報を警察よりも早く、彼女は握っていたのだ。
つまり、彼女は重要な参考人であるとともに、現時点で最重要の容疑者でもある。
だが、何故だろう、と山住は幾度となく、相手の顔を覗き込んでは内心で首を傾げ続けた。
彼女は恐らく、この事故とは直接は関係ない。
直感が、そう告げ続けていた。胡散臭いことには変わりはないし、何かを知っている。その確信もまた、彼の中にはあった。
彼女の飄々とした態度の向こうに見え隠れするものは、犯人の持つものとは明らかに違って感じられた。
「そんなに見つめられても、何も出ませんよ」
八重は、お茶を飲み切り、ハンカチで口元を拭いながらそう微笑む。
これだけ睨みを利かせても、その心はチリ一つ見せる様子はないのだ。何かが出てくるなど、山住ももう期待はしていなかった。
しかし、彼女の近くにいれば、何かがある。何かがわかるはずだ。
その時、ふと八重が山住の背後を覗き込むように顔を上げた。
山住もつられて振り向くと、都田が駆け寄ってくるところだった。
「おやっさん、終わりました」
都田は肩で息をしながら、山住に八重の免許証を渡してくる。
「どうだった」
「本物でした。身元も間違いありません」
予想通りの答えに、そうか、と軽く答える。
とはいえ、本当に目が見えているのか、という点には改めて驚かされる。
なぜ、見える目をわざわざ塞ぐような真似をしているのか。
免許証の顔を改めてみても、特に変わった所はないし、コンプレックスが仮にあるとしても塞ぐのはやり過ぎである。
「ふふふ、そんなに見つめられても、穴は開きませんよ」
八重の微笑みに、山住はハッとなる。
彼女が目にコンプレックスを持っていて、それを隠しているとして、何故そこを自分は今そんなに気にしているのだ。
事件とは無関係の事のはず。それなのに、気になる。
これが今回の件と何か関係している、と何かが訴えているような。
「おやっさん、どうするんですか?」
都田の問いかけに、山住は暫く逡巡し「ただで帰すには、彼女は知り過ぎてる」と告げる。
「強制はできんが、当面はこの町から出ないでもらいたい。それと、その間、確実につながる連絡先を教えてもらおう」
「あらあら、困りました。今少しこの町から出るつもりはなかったんですけど、生憎と携帯電話の類は持ってないんですよ」
山住はいったん目を閉じ、大きく息をつく。
「どこに泊まる?」
「いささか、説明しづらいですねー」
「なら、案内してもらおう。都田」
「はい――え?」
キョトンとする都田に、山住は顎で促す。
何かを知っているのは間違いないのだ。彼女の居場所は確実に押さえておかなければならない。
そんな山住の考えを察したのか、八重はクスクスと笑いながら、広げていた道具を片付けて立ち上がる。
「それでは、エスコートしていただくとしましょう。あ、私、車とか使わないので」
ちらりと都田に目配せをして、彼女はすたすたと歩きだす。
「え、ちょ、おやっさん?」
「行ってこい」
「ええ~」
ポンと柵越しに叩いてやると、都田は今にも頭を抱えそうな顔で身をよじりながら、八重の後を追っていく。
満足はしていないが、今できる事はやったつもりだ。
決して長い時間を話していたわけではないが、どっと疲れが湧く。
「おっと」
喫煙所ではないというのに、自然とタバコを手にしていた事に気づき、山住は思わず頭をかく。
甘いコーヒーでも入れて頭に気合を入れてやるか、とタバコをしまいながら腰を上げた彼の視界を、影が横切る。
はたと顔を上げ、影が手にしていたモノに気が付き、山住が声を上げるよりも早く、八重が都田を突き飛ばした。
瞬間、影が手にしたバールが地面にたたきつけられ、甲高い音を上げる。
「な――ん?」
八重が都田をかばったのだ、と理解はしたものの、その状況の異質さに、山住の体はすぐには動かなかった。
倒れた都田も状況が飲み込めず口を開けて、その影を見上げている。
影の正体は、先ほど聞き取りをしていた現場監督だ。彼は尻もちをついている都田には見向きもせず、八重にバールを向けた。
「あらあら」
振り回されるバールを、八重は慌てる様子もなく、ひらりひらりとかわしていく。
「都田!」
山住が怒鳴りつけながら走り出すと、ようやく彼もハッとなって慌てて立ち上がった。
「こ、このっ、うわっ⁉」
腕を抱え込むようにして抑え込んだ都田の体が、簡単に振り払われてしまう。
山住は相手の背後から体当たりし、倒れた相手を羽交い絞めにする。
しかし、相手は信じられない力で体をよじり、腕を振り回し、彼を振りほどこうとする。柔道五段、体格でも山住の方が頭一つ高いというのに、抑え込むだけで精一杯である。
「うおっ」
振り回された手に握られたバールが一瞬、顔をかすめる。
「おやっさん!」
都田が今一度、山住と一緒に覆いかぶさるようにして、バールをもった腕を抑え込む。
現場監督は呼吸も鼻息も荒く、まさに興奮状態で、動きを止める気配は全くない。
それどころか、相手が発する力はますます増えていると言っていい。
都田が人を呼ぼうと口を開くが、すぐに腕を抑え込む方に気を取られてしまう。
「くそ――っ!」
山住は地面が急に離れはじめ、目を見開く。
大人二人で抑えかかっているというのに、なんと相手は体を持ち上げたのだ。
四つん這いとはいえ、その四点で大人三人分の体重を支えている
およそ一般的な人間からかけ離れたパワーに、化け物か、と言う考えが山住の頭をよぎり、冷や汗が浮かびだす。
チリン、と冷たく、しかし爽やかな音が耳を駆け抜ける。
音のした方へ顔を上げると、目の前で五色の紐が揺れ、今一度、チリンと音を立てた。
不意に、周囲が静寂に包まれたかのように感じられる。
抑えかかっていた男の体がガタガタ震えており、何かを警戒するようなうなり声をあげている。
「あらあら、まさかこんなに早く出てらっしゃるとは思っていませんでしたよ」
どこか楽し気にすら感じさせるように軽やかに、八重が告げる。
山住達にではない。その下でもがいている男だ。
「とはいえ、影に用はありませんし、騒ぎになるのは私も本意ではないので、ここは一旦、お引き取り願いましょう」
そう告げる彼女の手の中で、連なった鈴と、柄につけられた五色の紐が揺れる。
「掛介麻久母畏伎伊邪那岐大神筑紫乃日向乃橘小戸乃阿波岐原爾御禊祓閉給比志時――」
八重が恭しく頭を下げ、祝詞と思しき言葉を呟き始めると、抑え込もうとしていた男の体がガタガタと震えだす。
「祓い給へ清め給へ祓い給へ清め給へ」
何度も繰り返される言葉と鈴の音が重なって響き渡る。
その音に、静けさはさらに深まり、空気がどんどんと澄み始めていくように思われた。
山住の耳にはもはや、八重の言葉と鈴の音しか聞こえてはいなかった。
八重の口調に合わせて、鈴の音もまたどんどんと強くなっていく。
「神ながら現の御魂守り給へ!」
ひときわ強く、押し出すように八重が詞を唱え、山住達が押さえつけていた男に向けて鈴を突き付ける。
強く響く音に、男は体を大きく震わせ、顎を突き上げた。
「阿呼アアアアアア――ッ‼」
およそ人間が出すとは思えぬ叫びをあげ、男はそのまま力を失い山住達の下に横たわった。
まずい、と山住はとっさに押さえつける力を緩める。まさか死んではいないだろうな、と様子を伺うと、静かな寝息を立てて、先ほどまでの興奮状態が嘘のように眠りについているようだった。
その男の体から、靄の様なものが立ち上がるように見え、山住は瞬きを繰り返す。
靄はやがて一つの塊のようになって浮かび上がった。
「イマイマシイ――ソウクノミコ」
喋った、と驚く暇もなく、靄はたちまちに消失する。
八重が今一度チリンと鈴を鳴らし、恭しく礼をする。
途端に、いくつもの足音が近づいてくる事に山住は気づく。
振り向くと、騒ぎに気付いたのか、制服の警官たちが数名こちらに向かってきている所だった。
男がすっかり気を失っているのに気づいて、都田は尻もちをつくようにして大きく息をついて天を仰ぐ。
急に時間が動き出したような感覚に戸惑う山住の耳元に、八重の声が届く。
「いささか長居が過ぎたようなので、お暇しますね。この騒ぎは、私も不本意ですし。ご心配なく。またすぐ、お目にかかれますよ」
「な、おいっ――くっ!」
おどけたように小さな笑いと共に八重の気配が遠ざかる。
振り返る山住は急に吹き抜けた風に顔をかばった。
腕をどけると、八重の姿はすでに駐車場の外にあり、軽快なステップで遠ざかっていった。
「くそ、なんだってんだ……」
山住の呟きは、駆け寄ってきた警官たちの喧騒に埋もれて消えた。
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