Angie

7/18
前へ
/18ページ
次へ
とりあえず、出来るとこまで一人でやってみよう。親へのヘルプはいつでも出せる。だから先ずは一人で頑張ってみよう。 そう思ってオレはこのことを誰にも言わないことにした。 けれどそんな決意はそれから一週間と持たず、揺らいでくる。 というのも・・・。 気持ち悪い・・・。 ただこの一言だ。 会社にはとりあえず妊娠の報告はした。本当は安定期までは黙っていようと思っていたんだけど、悪阻(つわり)がね、思ったより酷くてね、いつ休むか分からなくなったからだ。 それでも迷惑はかけたくないと、無理して会社に行ってるわけで、今日も意地で仕事をこなしたけれど、その気力も限界だ。 オレは定時で上がらせてもらったものの、その気持ち悪さに駅までも歩けず、公園のベンチに座り込んだ。 夏の日は長く、公園では子供たちがまだ遊んでいる。そんな楽しそうな声を聞きながら、オレは前のめりに背中を丸め、気持ち悪さを堪える。 しんどい・・・。 想像以上の悪阻の酷さに、気持ちが萎える。 駅までも歩けないのだ。このまま仕事を続けていけるのか。 出来れば産休に入るまではちゃんと働いて、みんなに迷惑がかからないようにしたい。それから引き継ぎもきちんとして、なんの心残りなく産休に入りたい。だけど今からこんなんじゃ・・・。 気持ちが萎えるとろくなことを考えない。 本当は悪阻はずっとある訳では無いし、もう少し頑張ればピークが過ぎ、少しずつ軽くなって治まるだろう。でも今があまりにも辛すぎて、この先全てに自信が無くなる。 はぁ・・・。 無意識に口から盛大なため息が出たその時、ふわっと甘い香りがした。その香りに心臓が大きく脈打つのと、耳元で声がするのは同時だった。 「なんで来ないの?」 「うわっ」 有り得ないくらい近くで声がして、オレは思わずその耳を押さえようとしたけれど、耳につく前にその手を掴まれる。それに驚いて振り向くと、びっくりするくらい近くに、帽子をかぶり、サングラスと黒マスクをした男の顔があった。 見るからに怪しいその男は、そんな格好をしているにもかかわらず、キラキラしたオーラが漏れてしまっている。 ほとんど見えないのに、美形な奴って分かるんだな。 振り向く前からその香りであの男だと分かっていたけれど、なんでここにいるのか分からず驚いたのだ。 「なぁ、なんですぐにうちに来ないんだよ。こんなにしんどそうなのに。もう分かってるんだろ?悪阻だって」 男は後ろから屈むようにして口をオレの耳元に寄せている。そんな男からオレは離れようと立ち上がった。 「あんたには関係ないだろ」 何でこの男がオレの妊娠を知っているのか気になったが、この男には関わらないと決めたのだ。だからオレはそう言って歩き出そうとした。けれど急に立ち上がったので頭がぐらりと揺れ、膝が崩れる。それを後ろからがっちりと抱きとめられた。 「ほら、無理しない。オレから離れてるから辛いんだよ」 そう言ってぎゅうっと抱きしめられる。 「・・・楽になっただろ?」 抱きしめられた腕の中で、オレはその男の体温と香りに包まれる。すると今まで胸に居座っていた気持ち悪さがすうっと治まった。そしてさらにその香りを胸いっぱいに吸い込むと、身体の力が抜けてくる。 「いいよ、このまま寝なよ。ちゃんと連れて帰ってあげるから」 男の胸に当たる耳から直接聞こえるその声に、オレの瞼は考える間もなく落ちてくる。そしてそのまま、オレは眠ってしまったらしい。 最近眠気が酷かった。 眠くて眠くて、歩きながら寝そうになったこともある。だけど仕事中に寝るわけにもいかず、オレは強いミントを噛んで頑張ってたんだけど、この男の香りはそんなオレの努力を簡単に削り取る。だからオレは、本当にすとんと寝てしまった。 目が覚めると、そこはあの男の部屋だった。広いベッドにオレだけが寝ている。 あの男は・・・? 姿は無いけど、まだそこは温かく香りも強く残っている。その香りを求めて無意識に布団にもぐり、胸いっぱいに吸い込む。すると心が落ち着いた。 そういえば、気持ち悪くない。
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1638人が本棚に入れています
本棚に追加