「雨があがったら、何をする?」

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駅の方へは、もう一ヶ月は行っていなかった。 出勤しようとがんばった時も、駅が見えると空気の川の流れに押し戻されるような感覚で足が動かなくなっていた。 以降は買い物とゴミ出しで外を出歩く時ですら、近づくと気分が悪くなりそうで引き返した。 ーーー実に不思議である。そんな僕が今朝は駅前商店街を歩き、電車に乗ろうと向かっている。 今朝は目覚ましの音を聞いて、ベッドから起きた(これだけで驚愕すべき事件だ。僕はここ数週間は朝起きていない)。 起きてすぐ視界に入るカレンダーを見て、ついに今日から正式に無職だなぁ、なんて思った(昨日までなら覚醒するまでに10分はかかっていたはずだ)。 そして不可解なことに、朝ごはんをコンビニのハムサンドで済ませた僕には、どこからか「行かなきゃ」という使命感が押し寄せて来たのだ。 突然宇宙から受信したかのような思いを駆動力にして、ワイシャツにネクタイで革靴を履いた僕は玄関を飛び出した。 駅前商店街。 ジリジリとした暑さのピークには程遠いが、それでも暑い。不快である。 「今日も暑くなるそうね」 花屋のおばちゃんが話しかけている。精肉屋のおばちゃんに。 今のこの国の気候は、本当に四季と言えるのだろうか。東京砂漠も比喩ではない。 そうですね。ーーー僕も心の中で二人のおばちゃんに返事する。 この商店街通りに、僕と話そうという人はいない。よく見る他人同士だ。 かつて通勤の時、商店街の早起きな人たちが同じ顔合わせで毎日飽きもせず話しているのを毎日見ていた。その光景が嫌いではなかった。 同時に、そんな中で都心の会社へ向かう自分のこともなんとなく好きでいたのかもしれない。 今はどうだろう。 僕は会社勤めではなくなったけれど、商店街の人たちとは他人のままだ。 これまでと何も変わらない日常が目の前で流れている。 それなのになぜか寂しくなった。 少し沈んだ気持ちになった僕はちょっと下を向いてトボトボ歩いた。 パチンコ屋の前を通ってもうすぐ駅に着く。 足取りは一向に重くならない。むしろ加速しているようにすら感じる。 こんな調子で会社に向かえていたら、僕は解雇されずに済んだのに。 いやむしろ背負っていたものがなくなった故のこの足取りとも言えるのか。 10円玉が落ちているのを見つけた。パチンコの客が落として行ったのだろう。 大人になれば拾う人なんてないのだけれど、行き交う人の誰にも無視されるのではかわいそうだ。 曇天の空の下で大して熱くもないだろう。僕は拾ってポッケに入れた。 昔おんなじように拾った時は灼熱のアスファルトに焼かれてずいぶん熱かったな。今日の10円玉は随分と生温かい。 そんなことを考えていると、駅の改札についてしまった。
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