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松林の間を車は軽快に走り抜けた。
やがてその真緑の濃い林を抜けると、あたしたちは淡い光に包まれた。そこに、薄紅の大きな和紙を一面に広げたような桜の森が現れたのだった。運転手が車を停める。
夢の中の世界だと思った。ナツキが顔を向けた左側の車窓いっぱいに、その花弁を雄大に誇ってみせる桜たちの息吹が舞っていた。何なんだこれは。夢心地であたしはナツキの肩に手をのせて花吹雪を眺める。どこから入ってきたのか、タクシーの車内にひらひらと幾枚もの薄紅のかけらが舞い降りた。
「ね、すごいね」とナツキが笑った。
*
その時、あたしのポケットに入れていたスマホが鳴り響く。お父からの着信だった。
あわてて耳に当てると、震えた声でお父が言った。
ナツキの意識が戻った。
「なあ聞いてるか、ハル。聞いてるか」
溢れた涙で声が出なかった。
「ナツキのやつ、目を開けてすぐハルを探してた」
「――」
「ナツキったらな、開口一番なんて言ったと思う?」
分かんないよ、とようやくあたしは返す。
「ジャンジャンの焼きそばが食べたいって。まるでハルみたいに」
いつのまにかあたしの左肩に一枚の桜のはなびらがついていて、ふっと舞った。
「さて、病院に行きましょう」
運転手の明るい声があたしの肩をたたく。
気が付くと雨はもう上がっていた。
(了)
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