01 飯炊き女は見た

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01 飯炊き女は見た

 オリヴィア・バレットは固まっていた。  それはもう文字通り、カチンコチンに。  息をすることすら憚られて、口元に手を持っていって唇に押し当てた上で小さく吐き出してみる。吸い込んだ拍子に思った以上の音が鳴った気がして心臓が止まりそうになった。 (…………!)  ドキドキしながら視線の先を見つめる。  オリヴィアから数メートル離れた先にある横顔は相変わらず苦しげに眉を顰めているものの、異音には気付いていないようだった。  いったいどうしてこうなったのか。  そんなのオリヴィアが知りたい。  エーデルフィア帝国は四方を海に囲まれた小国で、小さい国ながらも豊かな自然と他国に類を見ない珍しい生き物が住み着くことで有名だった。外部から研究者が訪れたり、物好きな観光客が来たりと、比較的賑わいを見せている。  オリヴィアは、そんなエーデルフィア帝国の王宮で料理人として雇われていた。  まだ二十歳なので、熟練の達人のような技術は持っていないが、幼い頃から料理人の両親のもとで育ったため、舌には人一倍自信があった。  難関と言われていた試験に合格した際には両親と抱き合って喜んだし、もうすぐ働き始めて一年になるけれど、宮殿で働く他の使用人たちとの仲も良好だ。  この城の主である若き皇帝ネロとは直接話したことはないものの、料理に関する文句を言うことはないから、きっと不満は無いのだろうと思っていた。  皇帝ネロ・マッキンリー  先代が早々と戦死してしまったため、二十代半ばで玉座に着いたこの皇帝は、別名「鉄仮面」と呼ばれている。理由は簡単、感情の起伏が少ないから。  まだ青年だったときから皇帝である父の命令で数々の戦場に駆り出されていたためか、その腕や背中には多くの傷が刻まれ、双眼はいつも頭上から獲物を狙う鷲のように鈍く光っていた。  つまるところ、隙がない。  皇帝が居るだけでその場は独特の緊張感に包まれた。 「………っ、く…」  そんな皇帝が今。  オリヴィアの目前で静かに汗を流している。  頬を紅潮させて、大きな手で包み込むのは剣ではない。いや、隠語的に剣と揶揄されることはあるかもしれないけれど、その剣が貫くのは憎き敵軍ではなく。 (どうしようどうしよう…速く扉を閉めなきゃ…!)  オリヴィアは食堂に置かれていた皇帝ネロの指輪を届けに来ただけなのだ。  使用人たちはタイミング悪く皆出払っていたため、仕方なくネロの私室まで忘れ物を持って来た。長い間自分が持っていたら泥棒だと思われても嫌だし、銀の指輪はネロがいつも身に付けている大切なものだと知っていたから。 「オリヴィア……ッ、」 「え?」  苦しげな声が自分の名を呼んだのを聞いて、思わずオリヴィアは素っ頓狂な返事をした。  わずかに開いた扉の向こうで、ネロの大きな身体が一瞬動かなくなる。乱れた息遣いなどが聞こえなくなる代わりに、オリヴィアは声を発していた男がこちらに近付いて来るのを見た。 「わ…わぁーー!!ごめんなさい、盗み聞きするつもりはなかったんです!忘れ物を、届けに来たら、陛下が……!」  言いながら顔を覆った手の隙間から様子を伺った。  冷徹と呼ばれる顔がオリヴィアを見ている。 「見たのか?」 「……見てません」 「嘘は吐かなくて良い。俺は嘘は嫌いだ」 「すみません、全部見ました」  素直に白状する。  怖すぎるネロの顔よりも何よりも、服を着ていない肌色の上半身であったり、先ほどまでその右手に握られていたものの行方がオリヴィアの顔を赤くした。 「………そうか。では、仕方がないな」 「クビだけは…!故意ではないのでどうか、解雇だけはおやめください!明日から皿洗い担当でも良いので!なんなら食堂の拭き掃除担当でも構いませんから!言われた通りに働きますので!!」 「あぁ、ありがとう。その意気込みに感謝する」  オリヴィアは恐る恐る顔を上げて、目を疑った。  鉄仮面の皇帝が笑っていたのだ。 「オリヴィア、また明日…この時間に会おう」
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