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08 楽しい毎日
オリヴィアはデニスが来て以来、毎日が楽しい。
憂鬱な朝の目覚めも、今日は何を学べるんだろうと思えばワクワクしたし、厨房に居る皆の士気も上がった気がする。加えてやはり、仕事終わりに憧れの人と取り組む新メニューの開発は特別な時間だった。
「なるほど!にんじんをすり潰して生地に混ぜて焼けば、野菜が苦手な陛下も食べてくれそうですね。上にオレンジピールでも載せれば、オレンジのケーキだと思うかも」
「あははっ、陛下はまだ野菜嫌いなんだね。身体は成長しても味覚はまだ子供のままみたいだ」
「そうなんです、あんなに身体は大きいの……っげふ!」
「え?どうしたの?」
オリヴィアは味見のために舐めた生クリームが変な場所に入って咽せる。隣でボウルを抱えたデニスが心配そうにオロオロする中、なんとか落ち着くことが出来た。
「すみません。咽せました」
「いや、見たら分かるけども。何か面白いツボでも入った?」
「大丈夫です………」
言えない。大きな皇帝陛下の大きな分身を想像したなんて。そんなムッツリ女だと思われたくないし、尊敬するデニスにネロとの関係がバレたくない。
ああもう、本当にどうしてこうも軽い気持ちで引き受けてしまったのだろう。最初の手合わせからもうすぐ一週間が経とうとしているけれど、新たな誘いはない。
もしかして初回が不出来だったから、あまり満足感が得られずリピートがない感じだろうか?
だったらそれで結構。こちらとしては好都合だし、前回の分はきっちり封筒で受け取っているから貰うものは貰っている。ちょっと女としてのプライドは傷付くけど。
「オリヴィアは良いね、僕の若い頃より真面目だ」
「そうですか?」
「うん。僕はある人に認められたくて料理人の道を選んだんだ。自分の意思ってよりも、不純な動機だよ」
「不純……?」
「そうそう。誰よりも上手い料理を作ればその人は喜んでくれる。自分の大切な人が自分の料理で笑ってくれるなら、そんなに嬉しいことはない」
「………それは少し分かります」
思い出すのは、初めて両親にオムレツを作った日。
ふんわりしていなくて焦げが目立つボロボロの玉子を、トマトソースと炒めたライスに掛けて提供した。不出来だと分かっていたし、申し訳ないと思ったけれど、一口食べた父と母は「今まで食べた中で一番のオムライスだ」と絶賛してくれた。
今思えば親心だったのだと思う。
だけど、あの笑顔はきっと本物で。
「デニスさんの認められたかった人って……」
オリヴィアが質問を繰り出した時、厨房の扉が開いた。
顔を向けると青ざめたメイドが立っている。何事かと驚く二人の前で、メイドは涙目で口を開いた。
「お……奥様が、癇癪を起こされていて、今すぐ白ブドウのゼリーが食べたいと仰っています。もう給仕の時間ではないと分かっていますが、提供は可能ですか?」
オリヴィアが答える前にデニスが頷いた。
「すぐに用意します。少しお時間をいただきたいので、座ってお待ちください」
「も、申し訳ありません!」
疲れ果てたように座り込むメイドの脚には何かで切れたような傷があった。オリヴィアは慌てて棚の奥からテープとガーゼを取り出して走り寄る。
「怪我をしていますよ、消毒はお済みですか?」
「あ……自分でやるので構いません」
いつものことですから、と弱々しく微笑む様子に胸が痛んだ。ネロの義母である現王妃は、先代国王が亡くなってから心の調子を崩していると聞く。
滅多に姿を見せない彼女はほとんどの時間を自室で引きこもっているため、一部の使用人しか状況を把握していない。しかしながら、あまり元気とは言い難そうだ。
どんな早技を使ったのか、ものの十五分ほどでデリスはゼリーを完成させて、メイドは何度もお礼を言いながら部屋を去った。二人で片付けを済ませて「図書室に行く」と言う彼と別れたのが三分前の話。
「おい」
「ひっ………」
どういうわけか、オリヴィアはまたネロの部屋に居る。
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