泣き虫マジシャンの恋

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 ダイヤのKの札を見せると、勇一は「また当たってる……」とつぶやいて、自分の机に突っ伏した。長身で体ががっしりしている勇一が倒れ込んだせいで、机がきしむ。 「将来世界一のマジシャンになる高坂広海の新作マジックだから、そんな簡単に見破れるはずがないんだよ」  俺はふっと笑うと、そのカードを右手のトランプの束に戻してできるだけゆっくり丁寧に切った。夏服の半袖シャツでも、今日の教室は蒸し暑く感じる。  放課後の二年三組の教室には、今は俺と勇一しかいない。勇一の背後の窓にちらりと目を向けると、朝から続く雨が相変わらずざあざあと降っていた。向かいの東校舎では、演劇部の部室に人が出入りしているのが見える。どこからか聞こえるマーチは吹奏楽部の合奏練習だろう。 「この雨が上がるまでに新作マジックのトリックを見破れたら、何でも一つ言うことを聞いてやるよ。その代わり見破れなかったら俺の頼みを聞いてくれ」  俺が勇一にそう言ったのは一時間ほど前のことだ。雨で野球部の練習がなくなった勇一は、帰るのをやめて自分の席に座り直すと、「紗菜はいいの? 今日演劇部の定休日だから暇なんじゃない?」と聞いてきた。  昔から俺は新作のマジックができたら、幼馴染の勇一と紗菜に最初の観客になってもらっていたからだ。  俺は首を振ると、 「雨が上がるまで自主練するって。紗菜のやつ、秋の公演でヒロイン役を任されたからってはりきっていたし。今回は怪盗が主役のオリジナルの脚本らしい」  授業が終わった直後に教室をそそくさと出ていった紗菜の姿を思い出す。クラスメートで、同じ演劇部員の藤居さんと一緒だった。小柄な紗菜が長身の藤居さんを引っ張っていった図が何だか面白かった。考えてみれば、いつもころころ笑っている紗菜と、黒縁眼鏡をかけた真面目そうで無口な藤居さんが親友というのも何だか不思議だ。  それにしても、紗菜がヒロインだなんて秋の演劇部の公演は絶対に見に行かないとならない。紗菜は子供の頃から本当に可愛くて、俺のマジックを見たときに目を丸くして「広海は魔法使いみたいだね!」と驚く表情が俺は大好きだ。鏡のように艶めく長い髪も、大きな目も、弾けるような笑顔もまるで人形みたいにかわいい。……白状すると俺は幼稚園のときから紗菜に恋している。世界一のマジシャンになるのと同じくらい、紗菜にいつか告白して付き合うのは俺の大事な夢だ。紗菜本人だけでなく、他の誰にも勇一にさえこの気持ちは打ち明けたことはないけど。 「もう一回! もう一回見せて!」  勇一は手を合わせて俺にスポーツ刈りの頭を下げる。 「何度でも見せてやる。でも、雨が上がるまでに見破れなかったら、俺の言う事を聞いてもらうからな」  うなずいた勇一のシャツの胸ポケットのあたりを俺は拳でぽんと軽く突いてから、トランプの山を手渡す。何度確認してもらっても何の変哲もない普通のトランプだ。枚数だってきっちり五十二枚。  勇一から返されたトランプを俺は改めてシャッフルすると、扇のように広げる。数字の書かれた表面を下にしているから、勇一にも俺にも見えているのは赤い地の裏面だ。 「種も仕掛けもありません。ただしちょっぴり魔法が込めてあります。さあ、お客様、お好きなカードを一枚お引き下さい」 「そのセリフも何度も聞いた」  勇一は笑いながら、でも真剣にどれを引こうかと指をカードの前で右往左往させている。野球の試合でキャッチャーをしているときも、こんな風にピッチャーに投げてもらう球種を考えているのかもしれない。  勇一は左端の方から一枚を選ぶと、「広海に知られないように、自分が選んだ札を確かめるんだよな」と確認し、俺はうなずく。もう五回も同じマジックを見せているから勇一はすっかり手順を覚えてしまっている。  勇一は俺に見えないように引いたカードを確かめる。それから俺が持っているトランプの元の左端の位置に戻すーーいや一瞬止まって中央辺りの位置に押し込んだ。俺は五十二枚のトランプを丁寧にまとめて、勇一に渡す。 「じゃあこれをしっかりシャッフルしてから、もう一度俺に返して」  勇一はうなずいてトランプの山を受け取ると、覚束ない手つきでシャッフルする。昔から勇一はトランプの切り方はあまり上手じゃない。子供の頃、紗菜は「広海はマジックの神様に好かれているけど、勇一は野球の神様に好かれているんだよ。だからトランプを切るのが下手でも仕方がない」と微笑んでいた。それなら紗菜は演劇の神様に愛されているんだろう、きっと。  勇一はよく混ぜたカードを俺に渡す。俺はさらに自分で手早くシャッフルしてから、机にその一山を置く。右手をカードの上に置いて、「うーん」と唸った。何か強力なテレパシーでも受信するかのように。 「来た」  俺が顔を上げた瞬間、「ひっ」と勇一が小さく悲鳴を上げた。  俺はカードの山の上に置いた右手を上げ、改めて同じ手で一番上のカードを手に取り勇一の前で表に返す。ハートのAだ。 「ああ、もう何でだよ?!」  勇一が短いスポーツ刈りの頭をかきむしる。俺はニヘヘと笑った。 「で、お前が引いたカードは?」 「ハートのA……」  勇一が弱々しくつぶやくと、俺は「よしっ!」とガッツポーズをする。 「これで五回連続で成功したわけだ。で、勇一君、種はわかりましたかー?」  おどけて言った俺に、勇一は「わかりません」と首を振る。それから手を合わせて、「もう一回! 次こそわかりそうだから!」と頭を下げた。俺はふふんと笑うと、 「わかった、じゃあもう一回だけーーと言いたいところだけど」  俺はちらりと窓の外に目をやってから、手元のスマートフォンの画面に視線を落とした。開きっぱなしの気象予報のサイトは、十分後に雨が上がると告げている。実際外の雨もいくぶんか小降りになり、空も明るくなってきていた。 「もう止むらしいから、これで終わりな」  俺はトランプの山を取り上げトントンと机で整えると、ズボンのポケットからプラスチックのケースを取り出して中にしまう。 「え、何で? まだ雨止んでないじゃん」  顔を上げた勇一は一瞬窓の方を振り向いて眉をしかめる。俺は小さく笑うと、 「もう止むって。それに今思い出したけど、俺、数学の田辺に職員室に呼び出されていたんだった」  俺はそう言いながら机の脇にかけていたショルダーバッグを手に取り、中にトランプをしまう。それからさっさと立ち上がって、机の向きを元に戻した。 「じゃあな、勇一も早く帰れよ」 「お前のマジックに付き合ったのに、何だその言い草は」  勇一はそう言いながらも笑顔を浮かべ、ふいに思い出したように付け加えた。 「そういや、賭けはどうする? 結局トリックは見破れなかったんだから、何か頼みを聞いてやるよ」  俺は視線を天井に向けて少し考えるふりをした。勇一に「アイスでもおごるか?」と言われたけど、俺はそれには首を振って、自分の机に手を突っ込んで一冊のノートを引っ張り出した。表紙にサインペンのきれいな字で、『日本史 二年三組 植田紗菜』と書いてある。 「じゃあ、これ紗菜に返しておいて。今から取りに来るから」 「え?」と首を傾げた勇一に俺は続けた。 「この前日本史の授業をサボったとき、紗菜がノートを貸してくれたんだよ。今日返すことになってて、演劇部の自主練が終わったら教室に戻るって紗菜が言ってたんだ」 「そういうのは自分から返せよ」  勇一は眉間に皺を寄せたけど、俺はそのときにはもう教室の出口に向かって歩き出していた。 「俺は職員室に行かなきゃいけないから。紗菜に『ありがとう』って伝えておいて。それから俺の代わりにお礼しておいてよ」 「お礼って……」  俺はすっと勇一の胸元を指さした。 「すずいし屋のサービス券をやるから、それでかき氷をおごってやって。紗菜はあそこの宇治金時が好きだろ?」  勇一がはっと自分のシャツの胸ポケットに視線を落とす。そこには近くの甘味処すずいし屋のかき氷サービス券が二枚入っていた。紗菜と勇一の分。 「いつの間に……」  勇一はポケットから取り出したサービス券をじっと見つめる。  ふふん、気づかなかっただろう? さっき最後の一回を見せる前に、お前のシャツの胸ポケットを拳で軽く突いたときだよ。あのとき、こっそりサービス券を勇一のシャツのポケットに入れたんだ。これくらい、俺みたいな世界一のマジシャン候補には朝飯前だ。 「じゃあ、俺、もう行くから。あんまり待たせると田辺の奴にまた怒られるからな」  俺はそう言うと、背後で勇一が「おい!」と呼びかけるのにも振り返らず、そそくさと教室を出た。
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