究極の選択

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 高三の冬、早朝の教室でひとり机にかじりついている遥香を見つけて、菜月は後ろからそうっと近付いた。不意に振り返った遥香と目が合うと、彼女は慌てた様子で机の上に広げていたものを隠すようにしまった。 「おはよ」 「おはよ。菜月今日は早いじゃん」  遥香は何事もなかったようにいつもと変わらない笑顔を見せたが、それがより一層菜月の心をざわつかせた。机の上に広げられていたのはブルーのレターセットで、便箋に書かれた『陽向へ』の文字だけははっきりと読むことが出来た。  遥香から手紙を預かったのは、その翌日のことだった。内容が明かされることはなく、聞くことも出来なかった。ただ、「テスト明けの金曜日に返事をもらう」とだけ聞かされた。  そうして迎えたテスト明けの金曜日、解放感に満ち溢れたクラスメイトたちが足早にカフェやカラオケに向かう姿を横目に、菜月は遥香に付き添って中庭に向かった。  一番目に付きやすい噴水の前に立っていたが、しばらくして遥香に促されそばにあるベンチに二人で腰を下ろした。当たり前だが、陽向が来ないことはわかっていた。  一時間程待ったところで諦めともとれる長いため息を吐いた遥香は、「来なかったね」と呟き、悲痛な面持ちで俯いた。いつも明るく笑顔を絶やさない遥香の暗く沈んだ表情は今も菜月の脳裏に焼き付いている。  あれから五年。当時の記憶は風化することなく菜月の心の片隅に常在していた。 「あいつ結婚するんだな」  陽向が話を戻した。 「そうなの。入社した時から可愛がってもらってたっていう職場の上司とね」 「へえ」 「すっごい幸せそうな顔して報告してくれたよ」  そう口にして、菜月ははっとした。  自分は遥香という人間をわかっているようでわかっていなかったのかもしれない。友情と恋愛どちらをとるのかなどと、彼女が自分を苦しめるような究極の選択を迫ることなどあるわけがない。  あの時見せた悲痛な面持ち、「やっぱり陽向に届けてほしい」と言った強い眼差し、全てに菜月を思う気持ちが込められている。 「仕事どうなの? 最近全然愚痴りに来ねえじゃん」  何となく不満げに陽向が尋ねる。 「もう二年目だしね。人間関係にも慣れたっていうか……」 「そんなこと言って、お前も上司とデキてんじゃねえの?」 「ないない、それはない!」  菜月は首を左右に大きく振って笑い飛ばした。 「あいつがこの手紙をあの頃届けてくれてたら、俺たち何か変わってたかな」  陽向が突然真剣な表情を見せた。 「陽向が私に告白してたってこと?」 「だってあいつが『心配無用』って……」  菜月にはその言葉が「好きだった」と言っているように聞こえた。そうしてようやく決心がついた。 「本当はこの手紙、五年前に遥香から預かってたの」 「え、どういうことだよ?」 「渡せるわけないじゃん」 「何で」 「だってラブレターだと思ったんだもん」  言葉の意味を理解した陽向は、目を見張り言葉を失っているように見えた。 「片えくぼの笑顔を独り占めしたかったんだもん」  その声は、陽向の腕の中でくぐもった。  照れ臭いけれど、溢れる想いを届けたい。  まずは、“ごめんなさい”。  いや、遥香はそんな言葉を望んではいないはずだ。  明後日の誕生日に合わせて贈りたい。  察しの良い彼女だからきっと全て伝わるだろう。 『結婚おめでとう スピーチは任せて』  幸せ色の封筒に詰め込んで。 【完】
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