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「結婚することになったの。入籍は明後日の私の誕生日に」
親友の遥香が弾ける笑顔と共に口にした言葉に、菜月は心底安堵していた。遥香から食事の誘いの連絡があった時、その報告ではないかと予感していた。遥香には何としても幸せになってもらいたいと願っていた。幸せになってくれなければ、菜月が罪悪感から解放される日が訪れることはないだろう。
「今日はね、菜月に結婚の報告とお願いがあって食事に誘ったの」
「何、どうしたの?」
何でもそつなくこなす遥香からの頼み事は珍しく、菜月が記憶しているのは過去に一度だけだった。逆に、学生時代から幾度となく遥香に助けてもらってきた菜月は、自分に出来ることであれば力になりたいと考えた。
「菜月が緊張しいなのは重々承知の上で、どうしても結婚式のスピーチをお願いしたくて」
遥香は祈るように顔の前で手を合わせている。人生の特大イベントである結婚式で友人代表としてスピーチを頼まれるというのは光栄なことで、自分が特別な存在であり、信頼関係が成立しているということがわかる。だからこそ、それを引き受けるには全てを清算してからではないといけないと思うのだ。
今がそのタイミングに違いない。幸せ絶頂の今なら、彼女は笑って許してくれるだろうか。
そんなことを考えながら、菜月は重い口を開いた。
「あのさ、その返事の前に遥香に話さなきゃいけないことがあるの」
察しの良い遥香は途端に表情を曇らせた。恐らく菜月のちょっとした表情の変化や声のトーンからそれが良い話ではないと読み取ったのだろう。遥香は昔から人の気持ちを察する能力に長けていた。
菜月はバッグから用意してきた封筒を取り出し、静かにテーブルに置いた。
「これ、覚えてる?」
「え、もしかして……」
「高三の冬、遥香から陽向に渡すように頼まれた手紙」
「だよね」
「実はさ……渡せなかったんだ」
遥香の顔に落胆の色が浮かぶのを見て、菜月は思わず目を伏せた。彼女の脳裏には、あの日、中庭で陽向を待ち続けた情景が浮かんでいるに違いない。
「あのさ……」
しばらく続いた沈黙の後、遥香が口を開いた。
「これ、やっぱり陽向に届けてほしいんだけど」
澄みきった青空のようなブルーの封筒が菜月の前に移動した。
「……あ、うん。そ、そうだよね……」
納得した返事とは裏腹に、菜月は内心面食らっていた。届けてほしいと言われるのは想定外だったからだ。
時間が経っても当時の気持ちが色褪せることはないのだろう。そんな遥香を思うと胸が痛んだ。日の目を見ないラブレターは切なすぎる。女心に年齢は関係ないのだ。たとえ今は婚約者がいようとも――
親友を裏切った罪は重い。
遥香が望むならば陽向に手紙を届けることが最優先だと判断した菜月は、スピーチの返事を一旦保留にして遥香と別れた。
その夜、菜月は陽向の帰宅時間を見計らって、自宅から徒歩数歩で到着する陽向の家のインターホンを押した。
間もなく、Tシャツに短パン姿の陽向が姿を見せた。
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