梨香子

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「話し終えたSさんは、命が大事ならもうあの山には関わるな、とAさんに言いました」  話を進めるほどに、臭気が強くなっている気がした。何だこの臭い、と、宵山が顔を顰めた瞬間、真ん中の席に座っている男が宵山の左肩の辺りを見て、のけぞるような素振りをした。  話しながら目を凝らすと、男は薄暗い店内でもはっきりわかるような青白い顔をしている。その視線につられるようにして、眼球だけを左側にやったが———直ぐに後悔した。  自分のすぐ横で、人影のようなものが動いている。宵山には霊感がない。にも関わらず一瞬、見たことがない幽霊の姿を思い描いた。今、自分の左にいる人影のような何かは、怪談で聞く幽霊の気配と似通っていた。しかし、ステージの宵山を気遣ってか、客席の誰も声を上げない。  やがて「おいで」と、人影は言った。 「僕が聞いた怪談はここまでですが、一つ気になることがあるんですよ。話を聞いている最中、ずっとAさんが僕の左肩のあたりをちらちら見ていましてね‥‥いったい彼女には何が見えていたのでしょうか? あれ以来、肩が重くて仕方がありません———以上です。お付き合いいただきありがとうございました」  宵山がステージを降りると、ふっ、と気配が消えた。今見たものが幻だったかのように、フロアにいる客たちは怪訝そうな顔をするでもなく、平然と拍手を送ってくる。今夜の客は三組。約一名を除いて、他の客は気づいていないようだ。 「あの、宵山さん」  話しかけてきたのは、先ほど青褪めた顔をしていた男だった。ワイシャツの首回りには、恐怖による冷や汗なのか、濃い染みができている。 「すみません。突然声をかけてしまって。実は、宵山さんのおかげで思い出せたことがあるんです」
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