動揺

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◆◆◆ 東京の忙しく歩く人達の間を、赤月はコーヒー片手に歩いていた。 普段はあまり飲まないが、昨日はほとんど寝られず、眠気覚ましになればと気休めに買ったものだ。 今のところ効果は感じられていない。 相変わらずこの辺りは人が多くて、色々な音に溢れている。 その五月蠅さに懐かしさを覚えつつ、目的地である病院まで向かった。 ここに来るのは冬休みの時以来だ。 あの時はイルミネーションが綺麗だったっけ。 病院まで着くと、一瞬足を止めて深く呼吸してから中に入った。 今日は、数か月に一度の特別な日。 小鳥遊 椛と会う日だ。 彼とは中学生の頃に出会った。 当時の俺にとってとても大きな存在で、何よりも優先するくらい『大事な人』だ。 「あ、当麻!早かったね。」 「久しぶり、元気そうじゃん。」 「うん、すごい元気。」 病室に入ると、本を読んでいた小鳥遊がぱっと顔を輝かせた。 大きい目が笑う事で細くなった。 髪は相変わらず綺麗な黒髪で、最近切ったのか、冬に来た時にはなかった前髪があった。 手元の単行本は、随分と堅苦しそうな装丁をしている。 入院中に見つけた趣味が『読書』らしく、最初はファンタジー系を読むことが多かったが、今では哲学書やエッセイ等、違うジャンルも読み始めていた。おそらく今日も難しそうな本を読んでいたのだろう。 着実に本の虫に近づいている。 「今日は何読んでるの?」 「パンセ。」 「何それ。」 「パスカルの本だよ。知らないかー。当麻もまだまだだねぇ。」 小さく笑う小鳥遊につられて、つい俺も口元がほころんだ。 「今日、水族館行くんだよね?ちょっと待っててもらっていい?準備しちゃうから。」 「急がなくていいよ。」 ベッドに座る体勢になって荷物の準備をする小鳥遊の横に座り、静かに待った。 横目で観察してみたが、相変わらず体が薄っぺらい。 病院食な上、運動も限られているから仕方ないとは思うが、もう少し大きくなって欲しいところではある。 (…この小ささ、ちかちゃんに似てんな。) ふと、無意識にそんな事を考えてしまった自分に苛立った。 何故だろう、どうしても七海が頭をよぎってしまう。 昨日から眠れなかった原因もこれだ。 今日小鳥遊と会っていることを知ったら、俺に好意のあるアイツは傷ついた顔をするだろうかと、考えても意味のないことで頭を巡らせてしまっていた。 別に悪いことをしている訳でもないし、俺の勝手なのに、まるで小鳥遊と七海を天秤にかけられているような感覚に襲われる。 答えは分かり切っているはずなのに。 「当麻、なんか険しい顔してるね。」 「…そう?気のせいでしょ。」 「誤魔化さなくて良いのに!なんか、表情増えたね。入ってきた時も顔柔らかかった。」 「それも気のせいだと思うけど。何も変わらないよ。」 「素直じゃないなぁ。」 頬を膨らませながら鞄を肩にかけ、よし、と跳ねるように立ち上がった。 「準備出来た!当麻と水族館楽しみ!早く行こ。」 小鳥遊に手を引かれ、病室を出る。 廊下ですれ違った顔見知りの看護婦達に何度か『外出楽しんで来てね』と声をかけられながら、二人きりだけの時間が始まった。
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