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『雨上がり』
雨上がりの空の下で、大の男は呆然と途方に暮れていた。
深夜の局所的な大雨によって発生した洪水の被害は、壊滅的な惨状と言う他ない。
河川の氾濫によって県道も崩落し、数百という世帯が孤立。それでも雨風は緩まず、家屋を流し、橋まで流してしまった。
交通が遮断され支援が遅れているところへ土砂崩れも発生。崩れ落ちた山肌は田畑も果樹園も呑み込んでしまい、地域の産業の基盤が潰されてしまう有様だ。
「ここから復興できるのか……」
呟く彼は得に被害が甚大であった山間の市町村区・廉輪村で生まれ育ち、四十数年間地元に築き上げてきた何もかもが流された壮年の農家である。
災害当夜、避難指示は出ていた高齢で認知症を患っている両親がいたために、大雨洪水警報が発令されても身動きはとらなかった。
晩婚の下で生まれた子供もわずか四歳と二才。下手に動くよりはと、嫁共々家に残ったのが間違いだった。
表の様子を見るかと家を自分一人で出た直後、発生した土砂崩れによって貯金をはたいて改築した我が家も家族も皆が流された。
今思えば無理にでも避難していればと悔やんでも後の祭り。
「もう、この村も潮時かねぇ」
米寿を迎えた老夫婦は、静かに微笑みながら終わりを推測していた。
地域全土が酷い惨状で、悲観的な空気に満ち満ちている。
「ふざけるな……」
誰かが立ち続けなければならないではないか。
「いい年をした大の男が泣いて恥ずかしくないんか」と怒鳴りつけ、デモを続けた。
配の村民達を訪ねては思い出話や思い出の品を
自身も崩れた家屋の後、泥の中から掘り起こされた将棋盤をカメラに掲げ「父の遺品」だと、思い出を語った。
「父は 『あきらめずに手を打っていけば打開できる』と語っていたんだ」
さらには自ら両親の遺産や入ってきた保険金を寄付すると宣言。感銘を受けた他の住民達にも自らぞ私財を投げ打つ有志が続いた。
彼のヒロイックな言動には県外からも称賛が集まり、インターネット上で話題を集めた。その勢いは中央メディアの目にも止まることとなり、動画サイトで復興作業を配信すれば少なからず投げ銭も集まってゆく。
もっとも腰が抜けている手合いや、冷笑的な者達が近所にもいた。
「あまり我がままを言っていてもねぇ……」
小学生の子供を育てている隣家の家族は、国に復興支援を要求する行為に引け目を感じている様子であった。
「なぜですか、ここは我々の故郷ですよ。故郷が国に見捨てられようとしてるんです。それを見過ごそうというのですか」
必死の訴えにも、夫婦は怯えている様子だった。
私財を少しでも出したくないという守銭奴なのであろう。彼らはデモや募金にも消極的であり、理由に「育児にかかる費用や時間が――」等と無垢な子を盾にするやり口が何とも卑劣極まりない。
そういった非協力的な者達は、そそくさと県外へと逃亡した。
――故郷を復興させようという想いは無いのか……。
裏切者達の遁走を止めようと試みたことがあったが、無駄だった。戦う意思がない物にはどんな言葉をかけたって無駄だ。
それよりも、自分にできることは運動に精力をつぎ込むことだけだ……。
そんな純粋な思いから起こる運動が実ったのか、知事は支援を表明。復興支援予算が通り、決して少額ではない公金が流れ続けた。議員と仲が良い土建屋が請け負った工事は、諸々の中抜きが行われつつも進んだ。
「故郷が守れますよ」と、彼は運動に協力してくれた村民達と力強く握手を交わした。
遂には最も人口が少ない集落へ渡るための橋が架かった時には、集まった町民達は涙を流して喜ぶばかり。
「雨は上がるんだ――」
しかし、県の情勢は上向かなかった。
確かに道路や橋、交通インフラは早くに復旧した。しかし、その道を通って経済活動を行う労働生産人口が減ったままだったからである。整備された道を行き来する人間はもう田畑も耕せない老人ばかりで、巨額の資金を注いだインフラは社会に何ら還元するものはなかった。
加えて公共事業に予算が流れたため、公立小学校や中学校、高等学校の老朽化が解消されなくなっている。高齢者用とハコモノだけが残り、若年世代や現役世代用の公共サービスには全く予算が流れなくなってしまう。
就任当初は首長が公約に掲げていた子育て支援も立ち消えになってしまい、子育て世代も急激に離れてしまったのだ。
住み手がいなければ、地方産業の再生も創生もあったものではない。働いて税を治める人手が減れば、復興次第若者向けのサービスに家事を切ると息巻いていた県や市も、身動きの取りようはない。
Uターン就職も県が検討していた学生向けの就職支援金も否決されてしまったため、足止めを食った。これで、少子高齢化は決定的である。
徐々に外部の人間からも、彼の取り組みは“老害の我儘”や“ただの失敗”と結論づけられるようになった。
『こいつに踊らされた奴おる?』と、ネット上では諸悪の根源かのように語られている。
動画サイトでは、彼が声高に目標を語っていた姿を テロップ付きで拡散されている始末。そのコメント欄には「近隣に暮らしていたけどー―」と語る者が現れた。
『ガチで最悪だった。お父さんとお母さんが強制的に自己満足な活動に参加させられそうになった』『受験勉強中の私まで巻き込もうとしたから、お父さんの実家に引っ越したわ』という書き込みに何百というグッドボタンが押されていた。
気が付けば、彼の周りには誰もいなくなっていた。
――どうしてこうなったのか。
父の思い出の将棋盤を見つめて、父と将棋を打っていたころを思い出す。
『取られそうな駒から守る様な手筋で駒を打っていたら、王は取られるもんだ』
ともに戦った住民達は、この二年で病に伏せるか都市部の介護施設に入ったためもはや一人も残っていない。
「あう。ぉおおうっ」
いい年をした大の男は、ポタポタと涙を流した。梅雨明けで、カラリと晴れた日照りの下。乾いた将棋盤が湿ってゆく。
復興工事の完了から三年が経つ頃には鬱病を患ったが、身寄りもおらず近所づきあいも無い彼の異常に気が付く者などいるはずもない。
虫の声しか聞こえぬ真夏の昼間、エアコンもつけずに朦朧と室内を徘徊していた彼は
熱中症でバッタリと倒れ、そのまま畳の染みとハエの餌になっているのを当然ながら発見されなかった。
そこには誰も暮らしていないから。
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