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眠れないまま朝を迎え、いつもよりも早く家を出た。
雨上がりの雲間から、陽の光がまばらに辺りを照らしている。濡れた街に吹く風はまだ熱を孕んでおらず、七月とは思えない爽やかさだ。
天気予報は晴れ。どうせこれから暑く苦しくなるのだろうが、今だけはこの清々しさを味わっていたい。そう思っていた。
「大雨の後は空気が澄んでいて気持ちがいいな。卜部君」
背後から突然声を掛けられ、反射的に振り向きそうになる。けれど、その瞬間に昨日のやりとりがフラッシュバックし、私は傾いた体を無理矢理押しとどめた。
不自然に足がもたつく。私の異変は、察しのいい先輩には丸わかりだろう。続きの言葉を呑み込む気配に、思わず俯いた。もっと上手に聞こえない振りができたらよかったのにと、後悔の中くちびるを噛む。
「……すまん」
「いえ」
予定外の場所に止まった左足は、水たまりの中に浸っている。今はまだ大丈夫だけれど、このままでは雨水がじわじわと靴底に沁み込んでくる。
「先輩」
「ん?」
見上げた先輩は半分だけ上司の顔をしていた。その向こうで、街路樹の葉が揺れている。
「急ですが、今日は午後から早退していいですか」
「あっ……ああ。体調が悪いなら、今すぐ帰っても」
「いいえ。今日中にカタを付けないといけないことがあるので」
遮ることで自分を奮い立たせる。私はわざと強い言葉を口にした。それを受けた先輩がどう思うのかまでは考える余裕がない。
「そうか。じゃあ、話しながら行こうか」
「はい」
身勝手だと知りながら、向けられた先輩のやわらかい微笑みに甘えた。
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