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第6話
彼女が知りたいと望むのならば、話しても大丈夫だ。茅野だって数年前からこの地に住んでいるのだし、もう立派な村人という括りに違いない。
「この村に伝わる、とても古い話なんだ」
どこから話そうか、俺はいったん頭の中を整理する。
「――昔、この村のとある女性が領主の息子に恋をした。二人は恋仲だったけれど、身分が違いすぎた」
それはどこにでもある、身分違いの恋人の話だ。
「どんなに二人が想いあっても、身分の壁は二人の恋を邪魔した。そのうち男性は、隣村からきた高貴な身分の人と結婚することになる。恋人だった女性は、彼の幸せや健康を毎日祈り続けることしかできなかった」
女性は男性の幸せを願うために、彼の先祖だという豪族が眠る古墳に向かって祈り続けたのだという。
「彼女が祈り続けた小さな円墳を、俺たちは親しみを込めて『短冊山』と呼ぶんだ」
「短冊山……」
山と言っても、実態が古墳なのだから大きいわけではない。
「そう呼ばれるようになった、由来があるんだ」
女性は七夕の夜、短冊山にある笹の葉に願い事を書いた紙を吊るした。そして、天の川に向かって一晩中祈り続けた。
「領主の息子がどうか幸せに暮らせますように。あの人が、どうか病気にならず、生涯健康でいられますように……そんなことを祈ったんだ」
夜が更けるまで祈りを捧げた彼女は、短冊山から家に帰る途中に転んで泥だらけになってしまった。
仕方がないので、彼女は古墳の脇にある小川まで手を洗いに行った。
そこで女性は、不思議なものを見つけた。
「不思議なもの?」
いつも眠たそうな茅野の目は、今は好奇心で溢れている。俺は頷いた。
「――鯉だよ」
見たこともない鯉が、上流から川の流れに逆らって上ってきていた。
「鯉の口元には、さっき彼女が吊るしてきたはずの、願い事が書かれた紙がくわえられていた。鯉はそれを川の上流まで運ぼうとしていたんだ」
見たこともない光景に女性が驚いていると、鯉はあっという間に川を上っていき、見えなくなってしまった。
果たしてあの鯉はどこに行くのだろうかと、女性は手を洗うのも忘れて鯉を追いかけた。
「実は、短冊川って呼ばれている川の上流には小さな滝があるんだ」
草を掻き分け、木の枝に引っかかりながら、女性は川の上流へ向かった。そして、ようやく滝のところまで来たとき、彼女はさきほどの鯉を見つけた。
「彼女の目の前で、鯉が滝を登り始めたんだ」
「鯉が、滝を?」
「そう。鯉は滝を登ると龍になる。彼女はそんな話を思い出したらしい」
彼女は鯉が滝を登りきることを見守ることにし、その場でさらに祈り続けた。
「朝になると鯉は滝を登りきった。そこで、彼女は願いが書かれた短冊をくわえた龍の姿を見た――」
「すごい……!」
「彼女の願いは叶って、領主の息子は生涯病気にもならず幸せに暮らせたそうだよ」
茅野は目を丸くして、感慨深そうに頷いている。
「この話には続きがあるんだ」
女性が不思議な体験を村のみんなに話すと、彼女の話を信じた村人たちは川に向かった。
「そしたら、どこから来たのかわからないけど、川にいっぱい鯉が泳いでいた」
村人たちはその鯉を『鯉神様』と崇敬し、各々で持ち返って翌年から彼女と同じことをするようになった。
「願いを込めた短冊と一緒に、育てた鯉を川に放流するんだ。今で言うお盆時期に」
「鯉が、願いを叶えてくれるんだね」
「そう。だからみんな、願いを叶えるために自分の鯉を――『鯉神様』を家に持ち帰って一緒に暮らしている」
神様と一緒に暮らすことは、日々の行いを神様に見られているということだ。だから、悪事をすれば願いを叶えてもらえない。
村の人はそれを心に刻み、真面目につつましやかに生きている。
「素敵な話だね」
「そうでもないさ。この祭りは村人限定だ。よこしまな気持ちを持った人間が外部から入ってきて、神聖な儀式を邪魔する可能性があるから」
川を上っていく鯉を決して追いかけてはいけないという掟がつくられ、村人には箝口令が敷かれた。
「でも、つまりそれだけ本当に、願いが叶うってことだよね?」
茅野はそこまで厳しくする理由を、ポジティブにとらえたようだ。俺はそれには返事をしなかった。
「いまだに七夕の翌日になると、上って行ったはずの鯉が戻ってきているし、願いが叶った人の鯉は戻ってこないらしいよ」
「すごい、本当に伝説なんだね!」
伝説であり伝統であり、村一番の秘密。
だから、この村はとても排外主義を貫いている。田舎なのが功を奏して、秘密は守られているようだが。
「茅野。絶対に、この話を誰かにしたらダメだよ」
じゃないと、大人たちにきつく絞られてしまう。
「わかった、誰にも言わないって約束するよ!」
茅野が小指をこちらに向けて差し出してくる。
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