1 桜舞う日

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 ふと俺の思考を断ち切るようにして、高く透き通った声が鼓膜を揺らした。顔を上げれば、目の前には高い位置でポニーテールにした長く美しい黒髪を風に靡かせる少女が立っていた。艶やかな黒髪と頬にほんのり差した赤が優美で綺麗だ。 「……雪也(ゆきや)でいい。お前も苗字『鈴木』だろ」  この高校は総合学科しかなく、授業も自分で好きな科目を選ぶことができるので、同じクラスになっても知らない顔はザラにある。それでも、クラス替えで初めて同じクラスになったとはいえ自分と同じ苗字だということもあり、彼女の顔と名前はいの一番に覚えた。クラスメイトを呼ぶのに自分の苗字を口にするのは、俺自身もむず痒いものがある。  俺の言葉に彼女は一瞬驚いたような顔をしたものの、すぐに口元を綻ばせた。 「あ、うん……じゃあ、雪也くんって呼ばせてもらうね。私も若葉(わかば)って呼んでもらっていいから」  若葉は名前で呼ぶことに慣れていないのか、少しだけ戸惑いを滲ませながらも少し照れくさそうに微笑んでいる。花が咲くような笑顔とはこういうことを言うのだろう。その表情になぜか胸が高鳴るのを感じて視線を逸らすと、彼女の手が靴箱に伸びていることを視認する。どうやら俺と同じく下校するところらしい。 「雪也くん、靴箱隣なんだね。これから一年、よろしく」  自分の名を呼ばれることがなぜか妙にくすぐったくて、俺は短く「ん」とだけ返事をした。若葉は履き替えたローファーのつま先をトントンと整えていく。なんの気なしにその動きに目を遣れば、彼女はそのままこちらを振り返るようにして微笑んだ。 「雪也くんって部活とか入ってないの?」 「いや……なにも」 「そうなんだ。私は美術部に入ってるんだ」 「へえ……」  彼女と初めて交わす会話は、至極ありきたりなものだった。『部活に行かなくていいのか』と問いかけようとした刹那、胸元に生じた違和感に言葉を飲み込んだ。酸素を求めて浅く呼吸を繰り返すが、その度気道がヒューヒューと嫌な音を立てた。 (また……)  このところ頻繁に起こるようになった喘息のような症状にぐっと唇を噛む。
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