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*8-2
(もし、アキくんに父さんの話をしたら、なんて言うんだろう……)
性根がまっすぐな彼のことだから、いますぐに顔を見せに行こう、と電車の切符を手配し始めるかもしれない。自分ごとのように、真剣な面持ちをして、ユズのことを気遣ってくれるかもしれない。これまでなら、そう、容易に想像できた。
だけど、涼真の言葉がもし、いまこうしている間にも行動となってアキに向けられようとしていたら、どうだろうか。
自分たちの関係を認めてくれるかどうかわからない、気難しい父親との関係性を今更改善していくよりも、なんのしがらみのない若い新鮮な相手を選ばない、そう言い切れるだろうか? そんな不安がユズの中にじわりと沁み込むように浮かび上がり、両手で顔を覆わせる。
そんなことない、アキに限って……そう、なんでいまは言い切れないんだろう。彼を、信じていないわけではないのに。
――本当に、信じているの? だって、父さんに認められていないのに?
(父さんに認められているかどうかは、俺とアキくんには関係ない)
――でも、父さんのところに行くことになっても、会ってもらえるかわからないのに? そんな関係、続けてもらえるかな?
(そんなことない、俺は、俺とアキくんは、愛し合っていくって……)
――でもさ、本当の家族じゃないよね、俺らって。
頭を抱えたまま自問自答を繰り返しても、結局その結論に至ってしまう。どれだけ考えても、きっとこれ以上の答えは出てこないのではないだろうか。ユズは身も心も重く沈みそうになりながら、小さく息を吐いた。
「……じゃあ、どうしたらいいんだよ……」
自分の呟きが誰もいないリビングの床に転がり、小さくなっていく。問いかけても応えのない空間はただ息苦しく、初夏の陽気の陽射しが射し込んでいるはずなのに暗く見える。
ユズはそっと目を閉じ、深く息を吐きながら、ひとり静かに少しだけ泣いた。行き場のない感情を抱えた苦しさを少しでも緩めるために。
鉛を抱えたような重たい気分のままでは執筆もままならないため、ユズは早めに夕食を作ることにした。
冷蔵庫には買い置きの鶏もも肉があり、それを解凍しながら旬の新玉ねぎでコンソメスープを作り、春ニンジンでラぺもどきを作る。
エンドウ豆を使った豆ごはんを仕込んだあたりから、ユズもようやく自分の気持ちが落ち着いてきたのを感じ、小さく唄いながら味噌汁を作れるほどになっていた。
鶏もも肉をアキが好きな照り焼きにしようと思いついた頃には、鉛は拳大の石ほどになっている気がした。それでもまだ、お腹の中は重たい。
甘辛いタレに肉を絡めて焼きながら、ユズはそっとまだ違和感のある胸と腹の間をさする。そこにはまだ消化しきれていない父の余命宣告のことや、涼真から投げつけられた言葉がわだかまっている。どれもそれなりに重量があり、棘もある。
「それでも、どうにかしていかなきゃだよね……」
小さく息を吐きながらそう呟いたところで、玄関の方から「ただいまー」というアキの声がする。
こうして今日も、ふたりの一日は暮れていき、同じ料理を分かち合う。たとえそれらを作りながらどれほどユズが苦しい気持ちであったとしても、ユズは笑ってアキを迎えようとも思っていた。
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