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*10 溢れ出る想いを真っすぐに伝えられるか
突き飛ばされた涼真はもとより、傍らで見ていたアキも、涼真を突き飛ばしたユズも自分が取った行動が信じられず呆然としている。普段大人しすぎるほど大人しいタイプのユズの突飛過ぎる行動に、誰も言葉が出ない。
何か言わなくては。そう、思えば思うほど言葉が喉の奥で空回る。半開きにした口からは「あの……あの……」と、臆病な妖怪のような声しか出ない。
完全に自分に分が悪い状況を、自分で創り出してしまったことをユズは後悔したが、すでに突き飛ばされた相手はそれを察知して薄く笑っている。
「へぇ……ユズさんって、僕より大人なはずなのに、結構子どもっぽいとこあるんですね。それに、前から思ってたんですけど、僕のこと、嫌いですよね? 初対面の時からなんか睨んでくるし」
それはそっちの方では? と、ユズがうつむきかけていた顔をあげて涼真を見据えたが、涼真は何か含みのあるような顔をしている。
彼は、自分たちに関する何かを知っている――そう直感したユズは、次にどんな言葉を発するかでこの状況の優劣を決めてしまう気がして、一層言葉が出てこない。
そんなユズの胸中を見透かすように、涼真がさらに追い打ちをかけるような言葉を投げかけてくる。
「前から気になってたんだけど、ユズさん、笹井さんのことどう思ってるんです?」
「……え? どう、って……」
十年寄り添ってきた恋人について、いまさらにどう思うのかなどと、第三者に訊かれるとは思っていなかったユズは、その言葉に思わずアキの方を向く。アキもまた、こちらを窺うように見つめている。
即座に答えようとしないユズの様子に、涼真は何かを捕らえたような笑みを浮かべた。
「やっぱりねぇ……この人にとって、笹井さんのことはその程度なんだ」
「その程度って、そんなことはないよ」
慌てて弁明しようとするも、涼真は怯むことなく「どうだか」と言って肩をすくめる。
「僕が入って来ただけで突然弁当を変えたり、指輪をつけさせたり。勝手すぎません? それまで全然だったって話なのに」
アキが彼に話したんだろうか。日頃弁当を観察されているのだから、世間話でそういう話になることはなくはないかもしれない。問うようにアキの顔を見返すと、彼もまた驚いたような顔をして首を振っている。
アキの口から聞いたわけではない、と真に受けてしまっていいかもわからないのもまた事実で、ユズは戸惑いの中にふつふつと怒りを再燃させていく。
そんなふたりの様子に気付いているのかいないのか、涼真は大袈裟に嘆くような首を横に振り、「僕ならそんな勝手なことしないのに」と呟く。
「どういうこと、それ」
「べつに、言葉のままですよ。僕は笹井さんを大切にできるけれど、ユズさんにとって、笹井さんは、自分のステータスのためのツールとしてしか見てないんじゃないですか? あんた、本当に笹井さんのこと好きなの? 長く一緒にいるから情が移ってるだけじゃない?」
長く一緒にいるから情が移っているだけ――その言葉が、深くユズの胸に刺さる。
初めて本当に好きになって好きになってもらえたのも、肌を重ねたのも、同じ皿の料理を分かち合えたのだって、ユズにとってはアキが初めてだった。そんな彼との関係が長く続く奇跡を、ただ情が移っただけだなんて一度も思ったことはない。恋人をまるで肌馴染みしたブランケットのように扱っているつもりなど、ユズには毛頭ない。
だけど同じ事が、アキにも言えるのだろうか? 涼真に言い返そうと口を開きかけた瞬間に過ぎったもう一つの考えに、言葉が止まってしまう。もしここでユズは、自分は違う、と言ってところでアキも同じでなかったら、この先ふたりはどう向き合っていけばいいだろう。一瞬の迷いが永遠のように感じられる。
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