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 約束をしてから約半月後、アキとユズは新幹線と特急を乗り継いでユズの地元にある大きな総合病院を訪ねた。今回はスーツではなく、綺麗な色合いのシャツにチノパンという少しフォーマル寄りのカジュアルな服装だ。  母と妹には都内で流行りだと言う菓子店の焼き菓子をお土産にし、父には色鮮やかな小さなアレンジメントとやわらかな素材のブランケットを選んだ。  父は一応一般病棟にいたが、ほとんど寝たきりで、数年前に見た時よりもはるかにやつれて痩せこけていた。 「……ああ、来たのか。まあ、そこに……座りなさい」  それでも父としての威厳を保ちたいのか、ユズとアキが現れると、母にベッドを起こすように言い、「わざわざ来たのか」と、相変わらずこちらを歓迎している風には見えない。  それでも、サイドボードにある菓子を勧めてきたり、ユズに仕事はどうしているんだと訊ねたりする口調は、以前よりもやわらかに感じられた。 (父さん、小さくなったな……)  母によれば、父の容体は思っているより悪く、手術をしてもそれほど延命は期待できないと言われている。体力的にもきっと起きていることも容易ではないはずなのに、息子たちの前では威厳ある父であろうとする彼の姿に、ユズは言いようのない切なさを覚えた。こう振舞うことでしか、自分たちは向き合えない親子だったのだと思うと、目を反らし続けてきた歳月の長さを今更に悔やむ。もうそれは、戻らないのに。 「相変わらず、ふたりで暮らしてるのか?」  何かの話の途中で、不意に父にそう訊ねられ、アキとユズは顔を見合わせる。それまでユズの傍にいたアキのことなど見向きもしていなかったのに、突然話を振ったからだ。 「はい、柚樹さんと一緒に、仲良くしています」  話を振ってもらえたことでアキは嬉しそうに元気よく答えるが、「君には訊いていない」とばかりに苦笑し、手を払う素振りをする。以前であれば父のそんな態度に腹が立っただろうが、今日はそうでもないな、とユズは思った。それはやはり、残されている時間が少ない名残惜しさから来るのだろうか、とも考えながら、父とぽつぽつと言葉を交わす。 「あの、あれはしないのか、柚樹たちは。何だったかな……パートナー……」 「パートナーシップのこと? あれは、多少の便宜はあるけれど、現実的に夫婦のような扱いを受けられるわけじゃないんだ。家族になるとしたら、いまはやっぱり養子縁組しかないんだけど」  父からまさかパートナーシップの話題が出るとは思っていなかったふたりは、思わず顔を見合わせる。世間的に誤解されている仕組みの話をしなくてはならなかったが、それでも父なりに、自分たちの取り巻く状況を把握しようとしてくれた形跡が見えたことが、何よりも嬉しかった。 「そうか……存外不便さは変わらないんだな……まだまだという所か……私のようだな」  父はベッドによりかかり背を預けながら目をつぶって呟き、苦笑する。そうすると削げた頬やくぼんだ眼が際立ち、ユズは一層胸が痛んだ。  ああ、何で今ごろになって気付かされるんだろう。父は、いつからこちらを向こうとしてくれていたんだろう。向き合わなかったのは、自分の方だったんだろうか。そんな自責の想いが込み上げてきて視界を揺らしそうになるのを、ユズはぐっと堪える。うつむいた左の薬指には、初めてアキを連れて帰省した時と同じ揃いの指輪が光っている。  あの時と違うのは、父の状態だけではない。それがわかっただけでも、ユズは今回帰省してよかったと思えた。 「父さん。俺と陽人さんは、この先もずっと、家族として暮らしていくつもりだよ。父さんは許せないかもしれないけれど、ふたりで、生きていくよ」  顔をあげ、まっすぐに父を見つめながらユズがひとつひとつの言葉を区切るようにはっきりと告げると、父はつぶっていた目を開け、ゆっくりとこちらに向き直る。体力が衰えても尚、曲がらない信念を湛えた父の眼差しに、ユズは背筋が伸びる。 「その気持ちは、ずっと変わらないんだな……あの時も、言っていたな、柚樹と、陽人君は」  アキの名を口にした父の顔がほころび、初めてアキの方を真っすぐに、しかしあたたかく見つめ、アキの目許が感極まったように赤くなっていく。  そんなアキの姿を見つめながら父とユズは顔を見合わせて苦笑し、その瞬間、心が通じ合ったような気がした。  そうして父が痩せた手をユズの方に伸ばして重ね、ぽんぽんとやさしく叩く。その手には、中学時代にユズが小遣いを貯めて父の日に贈った腕時計がつけられていた。  父さん、まだこれを……驚いてユズが父の顔を見やると、父は穏やかに微笑んでこう告げた。 「――いつまでも、仲良くふたりで暮らしていきなさい。もう、私の許可なんていらないだろう」 「父さん……」 「陽人君、柚樹を、頼んだよ」  父の言葉に、アキはこくりと力強くうなずき、「はい、もちろんです」と、しっかりと答える。頑なにふたりの関係、特にアキの存在を認めようとしなかった父からの頼みに、アキは姿勢を正してうなずく。そのやりとりに、今回の帰省と面会のすべてが詰まっている気がした。 「ありがとう、父さん」  何年もかけて言えなかった言葉を伝えられたユズは、泣き出しそうな笑顔でそう告げ、アキと共に父の病院をあとにした。  ――それが、ユズと父がきちんと会話をした最後の機会になった。
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