節祭の星

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節祭の星

 そして乞技節。細雨(さいう)の中、宮の祭華殿で節祭は始まろうとしている。昇殿できない身分の貴族歌人に混じって、馬富は殿の周囲に張り巡らされた廊下の端に座ろうとして……。 「何をしておる、砂川氏。其方の席はここじゃ」  そう仲麻呂から呼び寄せられたのは、貴族方の首手の席だった。 「は? しかしここは……」 「其方はわしの切り札じゃと言ったではないか、つべこべ言わずに座っておけ」  反論するなと言われて、馬富は渋々その席についた。しかし、どうにも座り心地は悪かった。こいつはどんな奴だと、周囲の歌人たちの目が光る。  それでも、祭りが始まると気分は段々と良くなった。馬富の気が上がるのと同時に雨が上がって行き、空が晴れ、満天の星が見える。その星空は、目が覚めるほど美しかった。  宴が始まる。最初は妓女たちの舞だ。  星の下で踊っている圭衣子が馬富を見つけ、微笑みかけてくれる。  自信を持とう。自然に自分を励ます言葉が浮かんできた。それだけの修練は積んできた。大丈夫だ。  第一首は、大湖首側の歌人だった。  星の海 その泡沫(うたかた)に  綾糸の 衣の裾濡らし 君が行く  悪くない歌だ。正殿の中にいる貴族たちのざわめきが聞こえる。それを聞きながら、馬富は大湖首の顔を遠くに眺めていた。  国一番の侍は最も上座に座り、ゆったりとした笑みを浮かべている。上機嫌なのか、負けなどはなから考えていないのか。馬富が貴族の味方をしたのがあの侍に知られれば、砂川氏もタダでは済まないかも。それは確かに形を持った恐怖だ。それでも。今、最初で最後かも知れないこの機会があるのだから、この場で自分の歌を確かめたい。  それは馬富の切なる願いだった。  川渡し 鳥の運ぶは  艶やかな 誰ぞの星の 文一つ  歌合せはゆっくりと進んでいく。どう考えても大湖首の連れてきた歌人の方が上手い。真に迫るような歌でただ美しいだけではなかった。  そして、首手の順番はいつの間にかやけにあっさりと来た。  遣らず雨 其方の袖濡らす 我が涙  宿雨に変われと 薄月見ゆ                        まず、大湖首の首手が歌を詠んだ。馬富がそれを受ける。  黒雲の最後の雫 落ちてきて  景星穿たれ 晴るる水鏡  今日で長雨が終わって空は晴れ渡り、明日から光り輝く季節が来る。望む未来が開ける、それを暗示した歌だ。  その歌は馬富の願いそのものだった。馬富が詠み終えると、空気が変わった。大湖首側の首手の歌が霞み、馬富の歌の中の水鏡のようにその場がシンと凪ぐ。  それでも相手はその力で、歌の良し悪しなど簡単にひっくり返せるほどの人物、大湖首だ。  祭華殿の中に静寂が広がる。そして……。  遣らず雨 其方の袖濡らす……  誰かが、大湖首の首手の歌を口にした。  黒雲の最後の雫……  それに相対するように、貴族側の誰かが馬富の歌を口ずさむ。歌を競う人数は徐々に増え、馬富と相手の歌が、祭華殿の中に響き渡る。  一瞬、大湖首が顔を顰めた。  そして、ハッと帝のいる御簾の方を向く。その動きで、場が静まり返った。  黒雲の最後の雫 落ちてきて  景星穿たれ 晴るる水鏡  御簾の中の人物は間違いなく、馬富の歌を詠んでいた。
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