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青を写す
カラカラと車回る カラカラと
雲影踏み 揺るる水鏡
馬富は蘆野國の宮の門番である。今日も宮に設けられた十六の門のうちの一つ『承平門』を守っていた。
彼のすぐ側を、貴族を乗せた牛車が列を連ねて通っていく。
長霖雨は一休みをしているのか、今日は雨が上がり雲の間に青が見えていた。牛車の踏む水溜りがその青を写している。
カラカラと車回る カラカラと
雲影踏み 揺るる水鏡。
……これだけでは少し弱いか? 隠喩を入れる? ……長霖雨の晴れ間を喜ぶような……? この歌に必要なのは何だろう?
牛車を横目で捉えながら、馬富はさっき脳裏に落ちてきた歌を検討した。いい歌になりそうな気はしていた。だが、やはりこれだけではダメで、何かもっと大胆な展開が必要だ。
歌のことを考えながらも、馬富は儀仗兵らしく直立不動で無表情を保っていた。
歌を捏ねている間に牛車の列は終わりに差し掛かっている。最後の牛車が見えた。あの牛車が通り過ぎたら、木簡を取り出して今の歌を書き付けよう。その前に、もう少し推敲を……。
心ここに在らずで馬富の対応は一瞬遅れた。
作歌に沈んでいなくても、すぐに対応するのは無理だっただろう。門を通り過ぎようとしていた最後の牛車の車軸が折れ、その衝撃に牛が叫び、馬富は現実に引き戻された。
「落ち着け! どうどうっ!」
門番の相方が、暴走を抑えるため牛の口輪をとる。馬富は腰を抜かした牛飼童を無視し、横倒しになった牛車の御簾を跳ね上げた。
「ご無事でっ!」
中にいた初老の貴族は座った態勢のままひっくり返っている。烏帽子を抑えて髪が見えるのをなんとか避けようとしていた。
「お摑まりください」
馬富はそう言いながら、右手を差し出した。相手がその手を取ると同時に、馬富の襟から紐に通した木簡が溢れでた。
馬富はハッとしたが、片手には老人、片手は均衡を取るため牛車の縁を掴んでいる状況では、どうにもできなかった。
焦ったのは確か。だが、侍の木簡などに貴族が興味を抱くはずなどない、と結論づけ馬富はその貴族を牛車の中からひっぱり出すのに注力した。
「お怪我はありませんか?」
牛車から助け出された貴族は問いには答えず、馬富の首から下がる木簡の束をじっと見詰めていた。
「これは……」
そして、手を伸ばしてくる。
「は!? いえ、お見苦しいものを」
馬富は慌てて木簡を仕舞おうとしたが、貴族はそれを押しとどめ、木簡を引き寄せ熱心に読み始めた。
「あの……?」
木簡には馬富自作の歌が書きつけられていた。貴族は全ての木簡に目を通してしまうと、ギロリと長身の馬富を見上げた。
「この歌は、其方の作か?」
「は……はい、左様ですが」
ふむ。そう言ったきり貴族は白髭を撫で黙り込んでいた。
「それが何か?」
戸惑う馬富が問い返すと、貴族はピッと節くれだった指を突きつけた。
「其方。乞技節の歌合せにわしの組の首手として出ろ」
それは、紛れもなく命令だった。どう反応していいかわからない馬富に、貴族は続けて言った。その言葉は、馬富にとって驚くべき……いや誰が聞いても驚く言葉だった。
「わしは、白露流宗家の白露仲麻呂じゃ。其方の歌には見るべきモノがある。わしは今度の乞技節の切り札を探しておったところよ」
白露流宗家! 詩を学んだ人間なら誰でも知っているような歌人の家だ。帝にも歌の指導をするような、そんな家の長が自分に声をかけた?!
「は……」
馬富はそれしか言えなかった。頭は真っ白。
「今宵に参れ。鼬黒。其方が案内せよ」
仲麻呂はそう言い捨て、鼬黒と呼ばれた男と牛車を置いてスタスタと宮の中に入っていった。
馬富は呆然と立ちすくむしかできなかった。と、その肩に手が置かれる。
「とりあえず其方の職務が終わってから私が説明する。あと、壊れた牛車は家人が来るまで、門の脇にでも置いておいておくがいいか?」
鼬黒が言って、そこでやっと馬富は現実に戻った。
「その話は衛門頭にしてもらいたい。仲間が走ったのでそろそろ来るはずだ。その牛車の処置は頭が決める」
「わかった」
今まで晴れていた空が急に暗くなり、ポツリと雨粒が落ちてきた。
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