0人が本棚に入れています
本棚に追加
おわり 現在の僕…「紅の鬼炎刀」
「…とまあ、これが俺がいまの仕事をやってるきっかけかな」
僕は眼鏡をクロスで磨きながら、目を細める。
30を超えた身には、そろそろ徹夜の作業はきつくなってくる。
染めてからしばらくたっている僕の茶髪は毛根が黒くなり始めている。しばらく美容院にも行っていない。
僕の目の前にはまだペン入れをしてない原稿用紙が5枚あった。
ついこの間まで徹夜できたのになあ、なんて懐古することも多くなった。
眠気を飛ばそうと、僕は思い出話を始めたのだが、思いがけず喋り続けてしまった。
背景を描いていた、はっしーは作業の手を止めてハンカチで目元を覆っている。
「いい話ですね…!!」
「うん。泣くのはいいんだけど、手を動かしてね」
箒で床の消しかすを掃いている齋藤くんは、にやにやと笑うと
「文ちゃん先生は作り話がうまいな~」
なんて、笑っている。
僕は曖昧に微笑んだまま、アシスタントさんたちの後ろにある棚に目をやった。
『紅の鬼炎刀』の背表紙が15巻分きっちり並んでいる。
週刊少年ホップで連載しているこの漫画は、雑誌上ではいま136話まで話が進んでいる。
僕は、あの夜のことが忘れられなくて、漫画家になった。
黒羽の必死な顔。
流れる血と汗。
体全身から心臓にびりびりくるような震え。
そしてなによりーーー黒羽は、僕の中で生きている、という気持ちを伝えたくて、僕は漫画を描いている。
あのときの一夜は長い時間が経って、今となっては夢だったのかもしれない、と思う。
夢でも、本当でもどちらでもいい。
あの夜は僕の胸に確かに焼き付いて、なににも情熱を燃やせなかった僕を動かす原動力になっているんだ。
「じゃあ、今度は俺の漫画家志望動機ね!俺は、10年前にホップで連載してた歌川先生の『はやぶさ』を読んで…』
「でたー!スポーツ漫画の金字塔ですね!」
はっしーと齋藤くんは互いの思い出話を始める。
僕はペン入れの続きをしようと眼鏡をかけて原稿用紙に向き合った。
そのとき、コマの中で敵を見据えていたはずの黒羽の目が動き、こちらを見て微笑んだ。
『あの夜のこと、俺は覚えてるよ。晃くん』
と黒羽の小さな声が耳元でした。
「もちろん、俺もさ」
と呟き、僕は片頬を歪めて、得意げにほくそ笑んだ。
END
最初のコメントを投稿しよう!