『届けたい情熱〜超合金の筆〜』

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/  Myスターズにログインしなくなってから4ヶ月は経っただろうか。生活は相変わらず、楽しくもない仕事に追われるだけの日々が続いている。  ただ執筆のことを考えなくなったことで、少しばかり時間の余裕が生まれた。最初のうちは喜んであちこち出掛けたり、意味もなく散財したりしてみたものの、なんだか味気なく、結局直近の休日は暇を持て余すようになっていた。 「ちょっと、覗いてみるだけ」  誰にともなく言い訳し、もう二度と開くまいと思っていたサイトページを開く。4ヶ月も開いてなかったのに指ははっきりとその手順を覚えていて、淀みなくログイン用のパスワードを入力していく。  ホーム画面を開くと通知がいくつか届いていた。見ると、最後に書きかけになっていた作品にいくつかページコメントが付いているようだ。 「現実もこんな世界だったらいいのになぁ」 「ナナミちゃんかわいい」 「私はミカコちゃん派です」  好意的な言葉に溢れるコメント欄を見ながら、あの日の怒りが静かに再燃する。ほらみろ、俺の作品はウケているじゃないか。なんでこれで順位が下がるんだ……そんなふうに思っていた時、画面の下の方にとある作家の作品が表示されていることに気付いた。どうやら孝久の作品の読者が読んだ別の作品らしい。  タイトルは『シンガーに憧れて』。なんの捻りもない、つまらないタイトルだ。一ミリも食指が動かない。  だけどなんとなく、本当になんとなく気になって(暇過ぎたせいかもしれない)、孝久はその小説のページを開いた。思えば、書籍化作品を勉強目的で読む以外の読書は久しぶりだ。  あらすじはこうだ。  シンガーソングライターになりたくて上京した主人公。はじめのうちは「自分の音楽を世界中に届けるんだ」なんて息巻いていたのだが、すぐに壁にぶち当たってしまう。  それから音楽の基礎や流行りの勉強をして少しずつ周りに認められるようになるのだが、いつのまにか目的と手段が入れ替わり、売れて有名になることばかりに頭を支配されるようになっていた。  そんなある日、路上ライブをしている一人のシンガーに出会う。誰にも見向きされない中、それでも時代遅れのボカロチックな曲を楽しそうに歌う彼の姿に、主人公は「俺の届けたかった歌ってなんだっけ」と自問自答し……  はっきり言って陳腐な物語だ。展開はありきたりだし、文章も決して上手いとは言えない。  だけど孝久は気付けば涙を流していた。主人公の葛藤が自分自身と重なり、一文ごとに胸が締め付けられるような心地がした。  物語の最後、主人公が出した結論は書かれていない。意図的に省かれているのか、あるいはこの作者も孝久と同じように途中で、力尽きてしまったのか。  どちらかは分からないが、孝久は結末を自分に委ねられているように感じた。お前はどうするんだ? もう諦めるのか? と。  考えるまでもなく、孝久の頭は新作のプロットを練り始めていた。  書籍化とは程遠いこの隅っこ暮らし作家の作品によって、孝久は心の奥底に眠っていた折れない「超合金の筆」を見つけた。そしてそれは、今一度文字を綴り始めた。思い出したのだ。自分が初めて筆を取ったあの日の気持ちを。作品を通して読者に届けたかった想いを。  心に届く作品とはどんな作品か。それはきっと、読んだ人の行動までをも変えるような作品だ。  現実逃避のための仮初のユートピアじゃなく、現実に立ち向かう勇気をくれるもの。読者に勇気を届けたい。小説を書き始めた頃に持っていた情熱の火が、今再び孝久の心に灯った。
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