あなたはカエルの王子様

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 傘も持っていない日に通り雨だなんてついていない。そう思っていたのだけれど、まさか王子様に出会えるなんて。ちらりと横目で隣に立つ男の子の様子を伺う。しかし同時に男の子がこちらを見たので慌てて目線を下に向けた。変に思われただろうか。でも目が合ってしまったらもっと好きになってしまうような気がした。今まで誰を見たって、どれだけ世間で人気があるアイドルを見たってこんな気持ちになったことなんてなかったのに。  男の子は同い年くらいに見えるが、クラスの誰よりも落ち着いた男性に思えた。話を聞いたところ彼は雨が激しくなる前からこの軒先で雨をしのいでいたらしい。そして雨雲の動きをスマホの画面で確認していた時にすっかり濡れネズミになった私を見つけたとのことだった。急な豪雨にどうすればいいか分からずうろたえる私のために雨に打たれるのも構わず軒先から飛び出し、私の手を引いてこのシェルター代わりの軒先に招き入れてくれたというわけだ。こんなの、お母さんから言い聞かせられていた「運命の出会い」そのものじゃないか。今までずっと運命の王子様を探していたから恋なんてしたことがなかった。だから自分がこんなに惚れっぽい人間だなんて思いもしなかった。  ちらりと盗み見た「王子様」の姿はとても整ったものだった。濡れた前髪をかき上げる姿は美術の教科書で見たギリシアの彫刻のよう。すっと通った鼻筋もちらりと見えた色素の薄い瞳もそして濡れて張り付いたシャツからちらりと見える均整の取れた体つきも、何もかも作り物のように綺麗だ。もうどこを見ていたって目の毒としかいいようがなく、ずっと下を向くことしかできないでいる。  でも。できればもっと私が可愛くいられる日に出会いたかった。俯いたまま足元を濡らす雨粒を睨みつける。服も髪も濡れているし、その上髪は湿気でうねって広がっている。こんなの全然可愛くない。私は王子様を見つけたけど、王子様にとって私は運命の姫になりうるだろうか。 「あの、大丈夫?」 「ひゃっ! ……ひゃい」 「なにその返事。……雨、止まないね」 「そ、ソウデスネ」  狭い軒下に収まっている王子様は黙って俯いたままの私を心配してくれたらしく、案ずるような言葉をかけてくれた。なんて優しいのだろうか。やっぱり彼は私の王子様に違いない。  しかし彼は一体誰なのだろう。制服を見る限り同じ学校の生徒に違いはないのだろうけど、こんな背の高い男の子は見たことがない。それにこれだけの容姿だ。学校で騒がれていたりするもんじゃないのだろうか。でもそんな話は一度も聞いたことがなかった。  そうだ。ずっと無言でいるんじゃなくて、名前とか学年とかを聞いたらいいんだ。そしたら会話ができる。彼の声はさっき少し聞いただけだが、雨音の中でもよく通る低音は耳に心地いい。顔もよければ声もいいだなんて一体天に何物与えられているというのか。もっと聞いてみたい。そう思って先ほどから何度も口を開くが、恥ずかしさが勝って言葉が出てこない。助けてもらったのに黙ったままの女なんて印象が悪くないだろうか心配になる。ああ、なんて私ってダメな子なんだろう。 「あ、ちょっと弱まってきた」 「え。ほんとだ」  声をかけられて顔を上げると確かに雨は弱まりつつあった。つまり二人きりの雨宿りも終わりが近いということだ。あんなに雨を疎ましく思っていたのに今は止んでほしくないと思っている。なんて自分勝手な話だろう。……いや、だめだ。 「い、今何時?」 「四時半過ぎだけど」 「まずい……塾間に合わないかも……」  濡れたまま行くわけにはいかないから一度家に帰らなければならないし、もう一度出かける準備にも時間がかかる。時間を逆算しつつ唸っていると、王子様から白黒のものを渡されて反射的に受け取る。棒状のものが何か認識するよりも早く、王子様は優しげな声で話しかけてきた。 「これ、使って」 「え……あ、折り畳み傘?」 「そう。あの雨の中だと役に立たなかったけど、これくらいだと多少使えるでしょ」 「でも、あなたは?」 「これくらいの雨なら走って帰れるから大丈夫。じゃあ、また」  王子様は少しだけ口元を緩めると私が口を挟む暇も与えずにくるりと背を向けて走り去ってしまった。呆然とその背を見送り、そして我に返る。急いで叫んだ「ありがとう!」は彼にちゃんと届いたのだろうか。  貸してくれた傘は白と黒のストライプというシンプルなものだった。いたって平凡な傘なのに品の良さすら感じるのは惚れてしまった欲目なのだろうかと自虐的な笑みを浮かべ、そしてハッと気が付き血の気が引く。 「ど、どうやって返そう……」  私は彼の名前も学年も知らないのだ。だからもっと早くちゃんと聞いておけばよかったのに。そう肩を落としたところでもはや後の祭りでしかない。  ぎゅっと傘を握り締めて決意する。よし、明日から彼のことを探そう。そしてお礼がわりにとお茶に誘ったりなんかしよう。そこまでできなくても連絡先を聞くとか、とにかく何か。先ほどまでなんにも行動できなかったのにとは思ったが、少し時間が空けば勇気も余裕も出るだろう。だって私は運命の出会いと大恋愛をしたという両親の娘なのだから。 「……って思ってたのになぁ」 「全然見つからないってどうなってんの」 「つーかその子って本当に実在するわけ?」 「傘があるんだからいるんでしょ」  あの雨の日から三日が過ぎた。来る日も来る日もあの男の子を探しているのだが、どうしたことなのか全く見つからないのだ。全学年の全教室を見て回ったのに全く姿が見えない。実在を疑われるのもある意味仕方ないとも思える。せめて証拠となる傘があってよかった。しかしこれを返せないというのも大問題なのだけれど。 「つーかちゃんと名前聞かないからこんなことになるんだろ」 「そいつも名前言ってから貸せよなぁ」 「あの子のことは悪く言わないで……私が全面的に悪い……」  毎日相談を聞いてくれている友人たちも流石に呆れ果てた顔でそんなことを言う始末だ。しかしどうしても親切にしてくれた彼のことを悪く言われたくはなかった。それに名前ならちゃんと傘に書いてあった。該当者はどこにもいなかったけど。 「イワサキくんじゃないのかな……」 「岩崎って子は一人いたけど女の子だったもんね」 「その子も兄弟はいないって言ってたしなあ」  あまりにも当てがなさすぎるので岩崎さんが男装をしていた可能性すら視野に入れたものの、顔立ちにしろ体格にしろあまりにもあの日の王子様とは違いすぎた。 「遥が美化しすぎてる説」 「そ、それはあるかも……いや、そんなことない。めちゃくちゃかっこよかった!」 「でもそんなかっこいい男子いたら聞いたことあるでしょ」 「あー、でも遥ってどんなイケメンに言い寄られても話聞いちゃいなかったしなあ」 「遥の審美眼が我々と違う可能性?」 「もー、そんなことないってぇ」  全く誰か分からないので仕方ない部分はあるがどんどん話がおかしな方に行ってしまう。確かに三年生の王子と呼ばれる男子から声をかけられたことはあるけれど、全然心が動かなかったのだ。だってあれは運命の出会いとは程遠かった。あの時は確かめちゃくちゃ上から目線で「可愛いって聞いてたけどほんとだね。俺と釣り合うじゃん。な、付き合わない?」とか言われたところで誰が惚れるというのだろう。あの時の目は完全に害虫を見るときの目だったと友人たちは話を出すたびに爆笑している。 「ほかになんか……あ、制服だったんでしょ。スクールバッグの刺繡は?」 「あ……あーっと……なんだったかな……」 「ちゃんと見とけよ……」  指定のスクールバッグには確かに名前の刺繍が入れてある。しかしあの時はそんなところを見る余裕がなかったのであまり覚えていないのだ。しかし唸りながら記憶をたどってようやく少しだけ思い出せた。 「KAから始まってたはず!」 「イワサキじゃないのかよ。うーん、該当者多すぎるな……」 「『か』……まさかカエルなんじゃないの?」 「ちょっと、まじめに考えてよ!」 「だって雨の日以来顔見てないんでしょ? カエルじゃねーんだからさぁ」 「そもそもアンタみたいなの助けたら向こうから恩着せがましく声かけてくんのよ。普通の男なら」 「硬派ってこと? ますますいいねぇ……」 「ダメだこりゃ」 「『か』から始まるんなら……うちのクラスだと神谷と川北か。あ、あと幽谷」 「幽谷はないだろ。声かける度胸ないって」 「なんで? 幽谷くんいい人だよ?」 「うーん。遥は人が良すぎて心配になるなあ……」  ちらりと幽谷くんの方に目をやる。彼は今日も一人で本を読んでいた。幽谷くんは確かにあまり積極的に誰かと関わるタイプではないけど、以前助けてもらったことがある。ああ、あの日も一瞬運命の出会いかもなんて思ったっけ。でも声をかけようとした瞬間に友人が来てしまい、幽谷くんは走り去ってしまったものだから彼とはほとんど話をしたことがないのだ。会話のチャンスがないままずっと時が経ち、そして私は王子様に出会った。王子様のスマートな気遣いを思い返して一人くふくふと笑みを浮かべていると、友人たちはそれを見て呆れたように笑っていた。 「ダメだこりゃ」 「黙ってればかわいいのになぁ」  失礼な言葉も耳に入らない。だって彼女たちが優しいことはちゃんと分かっているし、王子様が実在したのは私がちゃんと知っているんだからそれでいいのだ。  あれからずっと探し続けているが、王子様はまだ見つからない。友人たちも私のことを哀れに思ったのか最近では王子様のことを話題に出さないようにしてくれているらしい。しかし話さないとどんどん彼の面影が記憶から薄れていくように思う。彼の存在を証明するものは、今やカバンの中に忍ばせたあの日の折り畳み傘の重さだけだ。 「はぁ……」  今日もまた返せなかった。ここのところ雨は降っていないが今日の風は少し湿っているようにも思う。恐らく雨が近いのだろう。彼がこの傘を必要とする前に返したかったのに。彼を困らせたくはないのに。  そんなことを思いながら歩いていたら不意に頭のてっぺんに冷たいものが触れた。そして地面にぽつぽつと雫の跡が広がっていく。あ、雨だ。そんなことを思っていたらあっという間に豪雨と呼べるほどの雨足になっていた。 「わっ! えーっと……」  この辺りだとこの前雨宿りをした場所が近い。走ろうと思ったとたん、雨のせいで見えなかった道路のくぼみに足を取られて派手にすっころんでしまった。服は泥だらけだし強かに打ち付けた右ひざがじんじんと痛む。大惨事とはこんなことを言うのではないだろうか。雨のせいか、それとも羞恥と痛みで滲んだ涙のせいなのか視界が滲む。だから目の前に現れた男の子に一瞬気づくのが遅れた。 「大丈夫?」 「え……?」  記憶が薄れているとはいえ、この声を聞き間違えるはずがない。目の前にいるのは確かにあの日の王子様だった。 「う、あ……またひどいところ見られちゃった」 「言ってる場合じゃないでしょ。立てる? とりあえず濡れないところまで行こう」 「ちょっと待っ……えっ?」 「こっちの方が早いから。ちょっとごめんね」  私が言葉を返すよりも早く体が宙に浮いてパニックになる。ずぶ濡れの体は冷たかったが、それでも人の体温を感じた。今、私は抱きかかえられているの? それも、これって、お姫様抱っこというやつでは? 「え、えっ?」 「ごめん。つかまってて」 「で、でも汚れちゃうよ!」 「今日体育あったでしょ。着替えればいいから平気」  体操服を持っているから大丈夫という意味だろうか。いや、それでも制服を汚してしまうことには変わりないのでは。目を白黒とさせている間に王子様は恐らくあの軒先を目指して走り出した。  しかし王子様の言い方が少し引っかかった。脳内はまだパニックなのだけれど、少しだけ残った冷静な部分が先ほどの言葉を分析し始める。彼は「体育があったから」ではなく「あったでしょ」と私に共感を求めるような言い方をした。つまり私は彼が体育の授業を受けていたことを知っているはずなのだ。そして彼も私がそのことを知っていると思っている……。  今日体育があったのはうちのクラスと合同でやったクラスの二組だけだったはずだ。そして向こうのクラスは文系だから驚くほど女子ばかりだったはず。そしてあのクラスには「か」から始まる男子はいなかった……ということは、王子様はもしかして私のクラス? え、でもこんな子……。  ちらりと私を軽々と抱き上げた男の子の顔を伺う。この前見えた色素の薄い瞳は張り付いた前髪のせいで見えない。しかし、その面影に一人の名前が脳裏に過る。 「……か、幽谷くん?」 「え、あ、はい。そうですけど」 「……えーっ! うわ、ごめん!」  咄嗟に謝ると幽谷くんは何故か眉根を寄せて目を伏せた。その表情がとてもつらそうに見えて困惑しながらも言葉を続ける。 「毎日クラスで会ってたのに傘も返さず……本当にごめん……」 「え、そっち?」 「それに毎日会ってたのに顔も分からないとか……。本当に何も見ずに生きてて申し訳なさすぎる……。あ、いや別に普段何も考えず生きてるとかそういことじゃないからね!」   誤解を招かないように慌てて弁明すると、幽谷君は少しだけくすりと笑ったがすぐに何かを諦めたような目で遠くを見た。悲しげな姿を見ると私までぎゅっと胸が締め付けられるようだ。 「別にそうは思わないよ。……俺なんてクラスでも目立たないから仕方ないでしょ」 「そんなことないよ。だって幽谷くん、入学式の日に迷ってた時にも声かけてくれたじゃん」 「え」 「確かに背高かったもんねぇ。そっか、その時にも運命の王子様かと思ったんだけどあってたのかぁ」 「う、運命の王子様?」 「あっ! えーっと……ナンデモナイデス」 「なに、急にそんな言い方して」  笑っているのを隠さなくなった幽谷くんの姿は新鮮で思わず見惚れてしまうほど美しかった。だから呆けた頭のままぽつりと「カエルじゃなかったなあ」と溢してしまった。 「かえる?」 「え、あー……雨の日に会った人が誰か分からないって言ったらカエルじゃないのかって揶揄われて……」  次から次へと墓穴を掘っている。もうどうにでもなれという気持ちで友人から言われた冗談をそのまま伝える。幽谷くんは何を言われているのかよく分かっていないようで首を傾げていたが、笑いもせずに私の話を聞いてくれた。そしてうーんとなにかを考えながら口を開く。 「カエルが人間に化けてるって、なんか童話にそういうのあったよね」 「えっ。じゃあやっぱりおとぎ話みたいな運命の出会いってこと?」 「……天使さん、もうなんにも隠さなくなってきたね?」 「あ……まあいいかなって」  幽谷くんは私が何を言ってもきっと馬鹿にしない。だって王子様なんだもん。そんな馬鹿げたことを思いながら笑うと幽谷くんも少し口元を緩ませた。その姿は整ってはいたが私と同じ年頃の普通の男の子にも見える。でも理想は傷ついたりなんてしていない。優しい幽谷くんのことが好きだ。もっと彼のことを知りたい。その一心で彼の袖を引いた。 「雨がやんだら、どこかでお茶でも飲まない? もっと幽谷君のこと知りたい」 「こんな格好で?」 「……あ」  しまった。さっきドロドロになったのを忘れていた。それに幽谷くんの制服も私のせいで泥があちこちについてしまっている。しゅんと肩を落とした私を見て、幽谷くんは今まで見せたこともないくらい声をあげて笑っている。そして面白がる様子を全く隠さないままなぜか私のカバンを指さした。 「なら少し弱まったら一緒に帰ろうよ。傘、持ってるんでしょ?」 「え、でも止んでからの方がよくない?」 「相合傘とか、天使さん好きかと思って」 「……めーちゃくちゃ好き!」  なんで分かったのだろうかと声を上げると幽谷くんは今度こそお腹を抱えて笑い始めた。そんな彼の姿を目をぱちくりとして見つめる。なんだ。作り物みたいだなんて思ったけどちゃんと私と同じ高校生で。そして私にとっては運命の王子様だ!
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