雨よ、止め。物語の果ての未来のために

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雨よ、止め。物語の果ての未来のために

 佐柳 世志郎(さやなぎ よしろう)は窓の外を満たす水を見ながら苦笑した。ここは水区(すいく)、3階の窓が防水と防御に優れた特殊仕様と言うのは聞いていたが実際に窓枠以上の高さになる水を見たのは初めてだった。  「確かに雨に封じられていたいとは願ったけどよ……」  うっかりこれ以上水嵩(みずかさ)が上がって窓が破壊されてしまったらおそらく助かる手はないだろう。消防への通報は繋がらなかった。ネットで見るニュースでは水区以外も水没が起き、災害対応で手が足りないと報じられていた。水区は避難誘導除外地区。対応は一番後になるのは想像がつく。それでも1週間前になんとか水区の運び屋に依頼し食料の追加は届けてもらえたが残りが少ない。  理不尽(りふじん)にクビになって、水没したのを好機と初めての物語を集中して書いた。ある意味ずっとやりたかったことができて悔いがないといえばない。昨日入力し終えたパソコンに目をやると不思議な達成感が(よみがえ)る。物語を書く母親に(あこが)れていた自分が17日間で書き上げた初めての物語。文字数は5万を超えていた。本当に自分が書いたのか。信じられない気もする。世志郎は画面を最初に戻した。まだ空白だったタイトル。気の利いたタイトルなんて浮かばない。でも、これがないと完成とは言えないだろうから。  「降り止まない世界の果てで」  この物語を連れてきたのは雨だから。書きながら思ったのだ。世界は無数にある。国や種族に留まらず、個人が持つ世界や感じ方に溢れている。交錯して、出来事が連なって、歴史になる。そして歴史は投げかける。お前達は過ちを繰り返していないか? そのままでいいのかと。きっと、行動を起こした者が物語を語るのだ。  世志郎は冷凍しておいた最後の肉で豚丼を作った。最低限の食事で物語を書いていたからとてもお腹が減った。今日はちゃんと味噌汁も作る。こちらも冷凍しておいた油揚げとわかめ。ほうじ茶も急須で淹れてひたひたと打ち付ける水を見ながら手を合わせる。  「いただきます」  最後の晩餐(ばんさん)かよと考えて少し微笑う。甘辛い味付けの肉とご飯は最高に美味しい。久しぶりの味噌汁は()みるようだ。幸せだと思う。満腹でボーっとしながらスマホを手に取った。メッセージ相手はクビにされた仲間の物語を書くことを提案した元同僚だ。励まし合うように、安否(あんぴ)を確認の連絡をしていた。むこうは有言実行で旅行に行ったものの帰れないでいる。  『相変わらず空港から出られせん。地元のニュースが怖いことになっているけれど無事ですか? ……物語はどうですか?』  「ついに窓の外も水になった。物語は書けたから、最後の肉を食ったところ。うまい」  返信が即行で入る。  『それ大丈夫なの!?  物語書けたんですね。おめでとうございます‼ っていうか、何最後の晩餐みたいなことしているんですか!』  やっぱり最後の晩餐みたいだよなと世志郎は笑った。血相を変えて慌てている姿が目に浮かぶ。心配をかけているのは心苦しいが現実、自分ではどうしようもない状況だ。  「……単純にまともに食べないで書いていたから腹減ったんだよ」  『世志郎さん、物語、僕に送ってください』  「は? え、なんで?」  『うっかり水没してデータ消えたらどうするんです!?』  確かに。人目に見せるつもりで書いたわけじゃないけれど、これだけ精魂込(せいこんこ)めて作ったものがあっけなく消えるのは見たくない。本当にここで死んだらすべてが消える。  「……じゃあ、預ける。どこに送ればいい?」  すぐにアドレスが添付されてくる。古いパソコンだがメール機能はある。送信を済ませふっと息をついた。本当にやり切った感じがする。  『受け取りました! 読んでいいですか?』  それはものすごく恥ずかしい。が……ひとりくらい読者がいてもいいかもしれない。  「預かり賃代わりに許可する」  『ありがとうございます! 絶対お互い生き延びて会いましょうね! また明日」  また明日か。貴重な言葉と思う日が来るなんてな。世志郎は苦笑して寝支度を整える。食べてすぐ寝ると……とは言うが、やり切って満腹になった体は睡眠を求めている。素直に寝てしまおう。
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