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「ねえ、虹だよ!!」
再び、花梨が声を上げた。
「え?」
僕はどういうわけかその声に引っ張られるままに、顔を上げて窓の方に目を向けてしまった。
飛び込んでくるはずの青より先に、僕の目に飛び込んできたもの。
それは、ポニーテールを揺らしながら、得意げな笑みを浮かべる花梨の姿だった。
なぜかそれを見た瞬間、心臓が一つ大きくはねた。
見慣れて、いや、もはや見飽きていたはずの花梨が、急に特別な存在に思えて、僕は言葉を失った。
「やっとこっち見た」
「……なんだよ」
「せっかく好きな髪形してあげてんのに、ちっともこっち見ないから」
「だから……勉強してんだって」
いつも通りの軽口をたたいているはずなのに息が詰まる。
一言一言を、まるで終わりかけた歯磨き粉のチューブのように一生懸命絞り出さねばならない。
「今更の付け焼刃じゃん?」
「うるさいな」
「虹、見たら? 綺麗だよ?」
「見ねぇよ!! どうせ出てないんだろ!!」
言ってから、少し言葉が強かったかもと後悔した。
なんで僕だけがこんなおろおろしなきゃならないのか。
いつものやり取りじゃないか。
「酷いなぁ」
ぽつり、と花梨が言った。
「え?」
「せっかくの二人きりじゃん?」
トーンを落とした声でそう言った花梨の笑顔は先ほどと打って変わって弱々しい。
「私のポニーテール、似合ってなかった?」
伏せ気味の顔から上目遣いでこちらを見てくるのは反則だ。
「いや、そんなことは……」
「じゃあ、似合ってる?」
「……ま、まあ」
「まあって?」
小首も傾げないでいただきたい。
まあって言ったらまあに決まってる。
つまり、まあってことなのだから、おとなしくまあを受け入れてくれたっていいじゃないか。
「ちゃんと、言って欲しいな……」
「えと……だからその……」
素直に似合っていると言うべきか?
それとも憎まれ口のひとつでも叩いて、一刻も早くこのおかしな空間から脱出すべきか。
「ねえ、どっち?」
「それは……その……」
しおらしい顔で花梨は容赦なく詰めてきた。
何か言おうとするのだが、言葉がうまく出てこない。
陸に挙げられた魚の如く、パクパクと口だけが動いているのが我ながら間抜けだった。
「似合う? 似合わない? 好き? 嫌い?」
ここに来て選択肢が増えた?
花梨の目はじっとこちらを見ている。
その真剣な光からはからかっているとは思えなかった。
ならば僕も真摯に答えよう。
「にあっ……」
その時、チャイムが鳴り響いた。
「あー、タイムアーップ」
「え?」
「昼休み、終わりだよ。テスト、行かなくていいの?」
「あ、あー!!」
「結局、勉強できなかったねぇ」
にやりと笑う花梨の顔には、先ほどまでのしおらしさなど欠片もなかった。
「精々頑張って、補習にならないようにねぇ」
「おま、まさか……からかって?」
「さーて、それはどうかしらねぇ。ほらほら、早く行かないとそもそも受けられなくなっちゃうわよ?」
おーっほっほっほ、と勝ち誇った高笑い。
込み上げて来る怒りに暴れそうになったが、それどころではないのも事実だった。
僕は大急ぎでカバンにすべてを詰め込み、それを抱えて走り出した。
「スっ転ばないようにねぇ」
後ろから聞こえてくる花梨のあざ笑うような声。
振り返った僕に向けて、花梨は口だけを動かした。
い・い・ん・あ・お・う……。
委員会おう? いや、後半は野郎か? 委員野郎……ますます何のことだ?
自分で言うのもなんだが、生まれてから今まで、委員なんてやったことも無い。
委員、じゃないのか? とすれば……。
いや、そんなことはどうでも良い、とにかく急がねば。
すっかり掌で転がされた怒りをどうしてくれようかと思いつつ部室等から一歩外へ出る。
むわっとした雨上がりの空気が僕の全身にまとわりついてきた。
「あつ……」
思わず見上げた青空には綺麗な虹がかかっていた。
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