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「今日も機嫌悪そうじゃないか。」
別に機嫌が悪いわけではない。そう見えるだけなのだ。損な役回りである。
「おまえさあ、宇宙まで飛んでいけないもんかね。」
無茶なことを言っている。宇宙? Pが尋ねる。先生は再びPに向き合う。先生はPが気に入っている。
「最近、宇宙を輪切りにしたらどうなるか調べてるんだよ。」
「まあ、素敵。」
Pはアーモンド型の目を大きくする。長いまつげが整然と並んでいる。先生は白髪混じりの頭を掻く。素敵と言われて満更でもないのである。
「輪切りって、果物みたいに?」
「そうだよ、ちゃちゃっとさ。でも計算じゃ簡単に明らかにならない謎があるんだな。」
先生は物理学者である。でも偉そうな気持ちになったことは一度もない。他に何もできないから物理学者なぞやっているのだと思っている。
「それだからさ、宇宙まで飛んでいけたらてっとり早く見て回って、それで答え出しちゃえるじゃない。」
Pは今度は目を細める。横目づかいになって先生の顔を眺める。
「じゃあ、先生が今必要としてるのは翼ってことかしら。」
先生はふふんと笑う。その手には乗らないと思っている。
「いや、俺が今必要としてるのは苺だ。疲れてるから糖分がいるんだよ。」
「先生と話してると楽しいわ。」
Pは苺の入ったビニール袋を手渡す。幾らだい? と訊かれて三百円と答える。先生はポケットをごそごそと探る。五百円玉が一枚きりしか出てこない。
「数学的に割ることはできるんだけど、物理的に五分の三に砕いても嬉しくないよな。」
Pはまたころころと笑う。
「先生、お釣りぐらいあるわよ。うち、果物屋ですから。」
「ああ、そうだったな。」
先生はきちんと百円玉を二枚受け取る。砕かれていない百円玉である。あっさり出て行く。ベージュのスーツの裾がなびく。Pはこちらを見上げる。
「宇宙までって、ねえ?」
勿体ぶったようにPは間をあける。苺の香りがまだ満ちている。
「それぐらい行けるわよねえ。」
私は答えない。目を瞑って想像する。木星や、アンタレスや、名も知らない星雲のことを。
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